出来心
その日、雲がどんよりと頭上を覆う中、私はうきうきとした気持ちで、自宅の前でサッカーボールをつつきながら、これから来る小学校の友達を今か今かと待っていた。いつもは学校近くの公園や、ゲーム機の置いてある他の子の家で遊ぶことが多いのだが、その日はいつも遊ぶ友達の中で最もおしゃれなやつが、「〇〇の家で遊んでみたい」と提案したため、私の家でカードゲームをすることになり、これまでほとんど友達を家に呼んだことのなかった私は、その非日常間に少しそわそわとしながら、彼らを待っていたのであった。
サッカーボールを、目の前の電柱に真っすぐ跳ね返ってくるよう正確に当てる遊びをしていると、「おーい」という呼び掛けが聞こえ、ボールを手に取って道路に出た私は、坂の下から、彼らが自転車をつきながら登ってくるのが見え、その中に一人、いつもは遊びのメンツに入っていない子がいるのを、私は見止めた。彼は、私の通う小学校の中では、いわゆる「いじられキャラ」に分類される子であり、そのまんまるとした肉厚な体型から、みなに「おにく」と呼ばれていた。客観的にみると、太った小さい体格の子を皆が「おにく」と言って笑っているのは、完全なるいじめとも思えるのだが、何か直接的な暴力や、上履きを隠すなどの間接的な嫌がらせをされていた訳でもなく、ただあだ名で呼ばれていたというものであったから、その真意はどうであったのか、本人にしか分からない。ただ、彼自身少し引っ込み思案な子で、時々学校を休んでは不登校になっていた時もあったので、あの私たちの無邪気な、愛情表現ともいえる彼へのいじりは、私たちの想像よりはるかに彼の心を傷つけてしまっていたのかもしれない。今になって振り返るとそんなことを思うのだが、当時の私はそんなことを考えてはおらず、ただ彼の落ち着いた、柔らかい雰囲気が好きで居心地がいいという理由から、彼が一緒に遊びに来てくれたのを嬉しく思った、ただそれだけだった。
家に上がると、彼らを私の部屋に案内し、私は彼らに、お茶と少しのお菓子を持って行った。当時、私たちの間で流行っていたカードゲームはデュエルマスターズというものであり、動物や様々なものや事象をモチーフとした色とりどりのキャラクター達が、相手のシールドを五枚削ってとどめを刺すまで凌ぎを削る、というものであった。そのイラストや名前が、カッコよく尖ったものに惹かれる少年魂に突き刺さり、テレビゲームの他に常日頃行うゲームとしては、唯一私たちが行っている遊びであった。カードゲームで二時間ほど遊び、そのあとかくれんぼをし、私はベランダの裏に隠れ、鬼が私を見つけるまでの間、少しのハラハラと共に、充足感を得ていた。
何度もかくれんぼを繰り返していると、気が付けば空が茜色に染まり、友達の中の一人がもう門限が来るため帰ると言い、それに合わせて今日は解散するという流れになった。いつもはもう一時間ほど遊んでいたため、私は少し物足りなさを感じていたのだが、そういった流れに逆らうような必要性を私は感じておらず、友達を見送るため、彼らと共に玄関までついていくことにした。すでに何人かは階段を下りて玄関で待っているようであったため、私は「おにく」の後ろについて、階段を降りようとした、その時であった。ふいに私は、この背中を突き飛ばしたらどうなるだろう、という好奇心に襲われた。私は今まで生きてきた中で、しばしば、魔が差したように、これまで蓄積されてきた倫理観や道徳観から逸脱した行動を、ふいに取りたくなる衝動に駆られていた。この日のそれは、そんな情動の一種であったのだが、私は、とても優しく、誰かの門出を祝うかのように、階段を降りる一段目に足を延ばしていた「おにく」の背中を、押した。彼は一歩目を踏み外すと、重心が前のめりになり、下半身よりも頭が先行し、四歩目ほどで踏むはずだった階段の床板に、後頭部をぶつけるようにして、そのまま下まで転げ落ちていった。おそらく、二回転半ほどしただろか、階段の向かいの壁に頭が下になるよう叩きつけられた「おにく」は、瞬時全く何が起こったのか理解できていないような素っ頓狂な表情で私を見つめており、その表情が、私には酷く滑稽に思われていた。数瞬の後、何が起こったのか感覚で理解した彼は、その恐怖や衝撃に打たれて、泣いた。彼が向かいの壁にぶち当たったままの姿勢で大泣きしているかっこうは、全く生まれたての赤ん坊の産声と相違ないもので、すごく可愛かったのを覚えている。それはさておき、不意に魔が差したように友人を突き落としてしまった私は、何で自分がそんなことをしたのか全く理解出来ていなかったが、あ、どうやら何かまずいことをしてしまったようだ、という認識はあったため、すぐに階段を駆け下りて、「おにく」の肩を持ち、本気で心配して、「大丈夫か?」と焦ったように言った。おそらく、彼自身も私に背中を押されて転げ落ちたという事実が信じられなかったのだろう、本気で心配しているように見える私の演技に騙された彼は、少しの違和感を覚えながらも、私の言った、彼は自分で足を滑らせたという主張を信じ、周りのものもみな、どんくさい「おにく」が勝手に足を滑らせたのだと納得した。全く、思い出してみても詐欺師のソレとしか思えないような自身の少年時代の話だが、そういった過去が、二十歳を超えた今になって自身を蝕んでしまう大きな害虫になり果てるとは、いやはや、自業自得、全く遺憾である。