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告別

 その日、母からの連絡があり、危篤状態のおじいちゃんがあと数日で死んでしまうという子だった。大学の夏休みに実家に帰省していた私は、久しぶりの地元を味わうため、漠然と自転車で色々な思い出の場所巡りをしていた、そんな折の連絡だった。夕方ごろ家に帰ると母は居ず、晩御飯は家にあるもので済ませておいてと言われていたため、冷凍の500gのチャーハンを簡単に食べた。チャーハンは、レンジでチンするタイプだったため、少し油っこく、べっちゃりとしていた。夕飯を終え、夜が更けてきた頃、母が着替えを取りに一度家に帰ってきたため、私は母と共におじいちゃんの入院している病院へ向かった。


 おじいちゃんは酒好きで、若いころから激しくお酒を飲み続けていた。そのため、私が生まれる前から、頭の血管を何度か切っており、胃も半分摘出していて、その為満足に体を動かせないような、そんな老体であった。私が幼児の時などはまだ自力で歩くことが出来ていたから、保育園からの帰り道で、手押し車を押しながら散歩をしているおじいちゃんと道路越しにすれ違い、手を振って挨拶を交わせることが嬉しかったのだが、私が小学校高学年になる頃には、自分の力だけで満足に歩くことが出来なくなり、自室のベッドに座り、起きている間中、ずっとテレビを眺めているような、そんな生活を過ごしていた。故に、私の中の祖父の記憶は、自室で布団を被り寝ているか、ベッドに座ってテレビを見ているのを、玄関から、祖父の部屋の少し開かれたドア越しに眺めている、そんなイメージが大きかった。そんな祖父の世話は、在宅介護であったため、全て母が行っており、その介護に専業主婦の母はかなり苦労している様子で、それを見ていた私は、そんな祖父のことを少し煩わしく思っていた反面、心の底では祖父のことを好いてもいた。祖父は、先述したように、身体の不調が凄まじく、その影響で、私が小さい頃から上手く口を動かして喋ることが出来なかったため、思い返してみると、私は祖父と満足のいくような会話を一度もしたことが無かった。しかし、祖父はまだ自身で歩けていた頃、散歩のついでで寄っていたスーパーで、私にいつもお菓子を買ってきてくれたし、年明けの挨拶の際には、いつもお年玉をくれ、その時の祖父の優しさに満ちた笑顔が、私は大好きであった。だが、それから時は流れ、私が中学生になる頃には、祖父は自室に籠りっきりで、顔を合わせるのも一か月に数回というような状態であり、次第に祖父への認識や記憶は薄れていった。


 病院に付くと、まず駐車場に車を止め、病院の出入り口まで迎えに来てくれていた看護婦さんに連れられ、祖父の病室へ向かった。真夜中の病院は、ひっそりしていて静まり返っており、静謐な雰囲気を醸し出していた。病室のドアを開け中に入ると、個室であったため祖父の姿はすぐ目の前にあり、その様相は、清潔感のある浅い青色の病院寝具に身をくるみ、人工呼吸器を付けたままベッドに横たわっている、という状態だった。身体はかなり衰弱している様子だったが、私の記憶の中の祖父の様相は、やはりベッドで横たわっているのが常であったので、私はその弱り切った、しかしどこか安寧そうな祖父の様子に、あまり感傷的なものを感じなかった。ベッドを挟み向かい側に父の姿があり、もしかすると今夜が最後かもしれないと伝えられた。私は脇の丸椅子に座ったままそれを聞いていたのだが、私にとってはその全てが漠然としたものに感じられ、上手く掴みとれなかった。しばらくして、叔父が病院に到着し、慌ただしく病室に入ってきて、居場所が少し無くなった自分は、俯瞰的にベッドに横たわる祖父と、少し神妙な面持ちのまま向かい側で話をしている父と叔父を眺めながら、そこに何か意味合いの強いものがあるような感覚を持ちながら、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。


 何か騒々しさを感じ、目を覚ますと、父が部屋の外に出ていくのが薄めで視認でき、向かいの席では、母が少し悲しそうな、優しい表情で祖父の顔を眺めていて、いつの間に帰ったのか、辺りに叔父の姿は無かった。祖父は、死んでいた。その表情は、私が眠りこけてしまう前と変わらない様子で、私は眼前の祖父が本当に死んでしまっているのか、全く判別が付かなかった。少しして、父が祖父の担当医と二人の看護婦と共に部屋に戻ってき、医者は少しも慌てた様子の無いまま、簡単に祖父の瞳孔と胸の動きを確認し、「ご臨終です」と、私たちに伝えた。医者から伝えられて初めて、私は祖父が死んでしまったのだと、言葉として、実態として認識した。ぼんやりと祖父の顔を見つめていると、その表情は先ほどまでと変わらないようだが、確かに、言われてみれば、そこからは魂が抜け落ちていて、物質として祖父の抜け殻だけが残っているようにも見えるなと思った。


 本当に大切な瞬間、長く長く蓄積されてきた思い出や記憶の数々は、時間と共にすり減っていくけれど、間違いなく、忘れてはいけないものがあり、その蓄積の結果は、もし忘れてしまって実感として感じられないのだとしても、尊むべきで、忌むべきものだと思う。だから、あれから一年と半月ほど経った今、あの時の少しの後悔の連続が、いまも私の体を蝕んでいる。

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