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白兎

 気がつくと、私は白銀の世界を歩いていた。何時から歩みを進めているのかは皆目見当がつかないが、何かに急かされるように、何かを求めて歩みを続けている。周りを見渡すと、一面白色の世界。しかし、濃淡のぐあいのある白の世界である。天からは灰のようなものが降り落ち、私は立ち止まり、その一降りを、そっと右手で受け止める。私の手のひらに落ちた一降りの灰のようなものは、私に何かを思い起こさせる雰囲気を孕むが、何かが頭をかすめるようで、上手く形として脳内に浮かんで来ない。何かを忘れているような、何かを知っているような、そんな気がする。しかし、それが上手く掴みとれない私は、仕方なく、手のひらの上で積もり始めたそれを左手で叩き落とし、前を向いて再び歩みを始める。


 数分ほど歩いた後、視線の先に、何か輪郭のぼやけた大きなオブジェがあることを、私は見止めた。気になって近づいてみると、どうやらそれは、何か古い石碑のようであり、縦長に伸びたそれは、私の倍ほどの大きさを持つようである。長い間野ざらしにさらされたと思われるその石碑は、その歳月の蓄積を、傷や劣化によって凸凹になった表面の、ザラザラした手触りから感じることが出来る。その石碑は、頂点の部分が丸みを帯びた形になっているのだが、その右上部分は大きく欠けていて、古くそこに刻まれていたと思われる始まりの文章は、見る影もない。また、石碑には、刻まれた文章を囲むように、石碑の形に沿って外側に、繰り返し何かの言葉の印字がなされている。私は、右手でそこに付着している白いものを取り払い、その文字を読もうとするが、それは象形文字のような様相を呈しており、認識は出来ようと、言葉の理解は出来なかった。しかし、私はそこでまた、ふと一抹の違和感を覚えた。私はこの象形文字のようなものを知っているような気がする。理解は出来ないのだが、何処かその一文字一文字の象徴的な形は、私にある種の懐かしさを覚えさせる。だが、どれだけその違和感を頼りに自分の記憶を辿ろうとしても、やはり記憶に靄がかかったように上手く思い出せない。上手く思い出せないということが、何を意味しているのか、私には漠然として上手く分からず、ただ少し悲しい気持ちを抱えて、やり切れない思いのまま、私はその石碑に背を向けることにした。


 それからまた数分歩いていると、私は何かの鳴き声のような音を右斜め前に感じ、少し顔を上げて音のした方角に目を凝らした。しかし、強くなってきた風と、勢いを増してきた灰のようなものの影響で、視界は煩雑として判別がつかず、自分の数歩先を見通すのが関の山というような状態だったため、私はその視界に何も捉えることが出来ず、少し気落ちし、また自分の一歩先を見つめ続ける姿勢へと戻った。そんな形で歩き続けていると、私はまたもや何かの鳴き声を聞いたのだが、今度は自分のすぐ真後ろにその音をはっきり捉えたので、勢いよく振り返ると、そこには一匹の白兎がいた。その白兎の毛並みは、白銀の世界に存在する色彩の中で、最も白に近い色合いをしており、その白は他の濃淡のある白色とは一線を画した、圧倒的な極美とも言える、純白の白であった。また、その透き通るような紅色の瞳の煌めきは、私にその白兎は神に使わされた神獣なのだという気分を抱かせ、その神聖さに圧倒された私がその場から一歩も動けなくなっていると、その兎はクルルと小さく喉を鳴らした後、私を一度通り過ぎ、少し先から私を振り返った。その瞳は、激しく何かを私に伝えようとしているようであり、同時に私の全てを見透かしたような嘲りの光を纏っているようであり、その瞳に吸い寄せられるように、私はその白兎の後を付いていった。


 白兎の後を追うように歩みを進めていると、視界の先に私は、何か地面に横長に接している物体を捉え、その輪郭がはっきりするところまでよると、どうやらそれは人間のようであった。それは旅人のような様相をしており、背中に大きめの茶色いリュックサックを背負い、深めにフードをかぶったまま、地面にうつ伏せの姿勢で倒れていた。私は直ぐに何か強い嫌な予感がし、悪寒が始まり、体中の血が急速に熱を失っていくのを感じた。白兎は、その旅人の向こう側にこちらを向いて座ったまま、相変わらずいやに煌めく紅色の瞳で私を見上げている。私はこの旅人を知っている、いや、知ってしまっている。動悸の激しい胸を左手で押さえつけ、震えて汗ばむ右手で、そのフードを取る。その髪は、やはり私が知っていたように、毛先が黒色に変色している暗めの茶色の短髪であった。もはや間違いないと自身の本能は告げるが、それを受け入れられない理性が、ほんの僅かな期待にかけて、私にその旅人を仰向けさせる。くるりと反転したその旅人の顔は、私が最もよく知っている顔のはずだったのだが、損傷が激しく、長く野ざらしにされたことによって、眼球は陥没し、肌は萎み、とても私の知っているような顔ではないと、私は確信の一歩手前で梯子を外されたような気持になった。しかし、それは間違いなく私であった。ふと顔を上げると、変わらずそこには白兎が座っており、何を考えているのか分からないような、全てを知っていたような、そんな無差別な表情で私を見上げていた。

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