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舞台裏 2


 男が車から降りると、ちょうど同じタイミングで玄関に人が立つのが見えた。

 自分みたいな者にもわざわざ迎えに出てくれるのが彼らしいと苦笑しつつ、呼び鈴を押さずにノックしてからドアを開ける。


「こんばんわです」

「ああ、よく来たな」


 段の低い敲きで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えリビングへ。通い慣れたものであるから割と気安いが、手土産も忘れない。

 濃い琥珀の瓶をひょいと手渡す。しっかりと封蝋のなされた品だ。


「30年物っスよ」

「すまんなわざわざ」


 気楽に渡し、気楽に受ける代物でもないが二人間に固いものはない。慣れているやり取りなのだろう。

 リビングに備え付けの棚からグラスを二つ持ちだし、早速ウイスキーの封を切った。

 洋酒の場合、二人とも最初はいつもストレート。チェイサーはない。


「ふう」


 とどちらともなく溜息一つ。強めの良い酒の後だといつも出る。

 後はロックか水割りの流れだ。とそこに、


「あの…お水とロックアイスです」


 丁度良いタイミングで、少女がミネラルウォーターの入った水差しと氷を入れたアイスペールを盆にのせて持ってきてくれた。


「あ、気をつかわせちゃった? ありがとね」


 客の男が愛想よくそう礼を言うが、少女は「いいえおかまいもできず」と硬い笑みで返してテーブルの上に盆を置いてするりと部屋を出て行った。

 その背を苦笑で見送る二人。


「マシにはなってるんだよ」

「でしょうね」


 家主…俊光はそう取り繕う様にいうが客の男は全く気にしていない。

 客の名は、津田(つだ) 直樹(なおき)。俊光の弟分だ。

 歳はまだ三十半ばであるが、その筋(・・・)では割と名を知られている。

 身長は高く、体も引き締まっており、焦げ茶色の癖のある髪の毛をした、どちらかと言うと見た目優男である。

 普段はサングラスをかけているが、眼差しは柔らかく見えるし、細く長い眉も相まってホストっぽく感じられる。しかしその実はいわゆる筋モノだ。

 俊光も以前はそこに身を置いていたが、今は粗粗(ほぼほぼ)切れて真っ当な稼ぎで生きている。

 粗粗というのは、この直樹のように今も尚慕っている者も多く、稀ではあるが訪ねて来るからだ。

 昔と違って筋モノにも表向きの顔が大事となった今では、らしい格好(・・・・・)なんぞ邪魔でしかない。無論、組の名が掛った時などは話は別であるし、如何に堅気の様に振舞おうとその筋と分かる空気を隠しきれない者もいるが。

 なので特に怪しい身なりの人間はこの家には訪れないし、来たとしても直樹のような裏表の顔をハッキリ区別して使う事ができる人間だ。

 特に彼には少女――あきら関係でかなり表裏共に面倒を見てもらっているのだし。


「あ、あの…おつまみです」


 それが理由…という訳ではないだろうが、彼女もわりと彼の前には出て来られるようだ。


「悪いな」

「ええです。手間でないですし」


 俊光の労わりの言葉を笑顔で受け、器をテーブルに置いてゆく。

 置かれたのは、洋酒(ウイスキー)に合わせてくれたのだろうナッツ類。そして、


「何かチーズの焼けるような匂いが」

「あ、解ります?」


 今、厚揚げにチーズ乗せて焼いているとの事。


おゆはん(・・・・)は魚やったんで厚焼きにしたん…しました」


 そうやはり笑顔で返するあきら。両手に持てなかったので次の分として取りに戻ってゆく。その気遣いに二人は頬を緩めた。

 暫しグラスを傾けていると、焼き立ての厚揚げが皿に盛られてやってくる。

 つまみ用なのか一口サイズに分けられているそれは、溶けたチーズの上に刻みネギと鰹節が載っていて見た目も良く、ジジ…と微かに焼けた音がするのがまた楽しい肴だ。


「ほな…じゃない、じゃあ何かあったら言うてください」


 そう言い残し、すすすとまた奥に戻っていった。

 恥ずかしいのか恐怖症の所為かは分らないが、すばしこいというより器用な動きだ。

 そんな所作にも苦笑しつつ二人は置いてあった刺し串で厚焼きを食す。


「あ、いいですねコレ」

「ああ…」


 思わず感心した。

 チーズの下には軽く味醂で伸ばした味噌が塗ってあり、それがまたチーズと合うものだから風味を増している。

 ウイスキーにはちょうどいいつまみだ。酒を知っている者のチョイスであるが、飲めない子供の選び方とも思えない。

 ふと、彼女の失ったものが頭を過ぎるが、酒でその苦い気持ちを飲み込んだ。


「だけど美味しいから飲み過ぎ注意っスね」

「確かに」


 彼のそういう部分に聡い直樹が空気を軽くし、気を浮かべてた俊光はまたつまみを口にする。確かに酒に合い過ぎて困る。


「晩飯が魚じゃなかったら、魚系を色々出されそうだったな」

「少し残念っスね」


 直樹は水割りで飲み、俊光はロックに。念の為だろう、少女はマドラーまでちゃんと置いてくれているが

かき回したりはしない。無論、気遣いそのものは嬉しいが。

 若いもののそういう(・・・・)やり取りに長けた直樹はチラリと奥に目をやり、やや声を潜めてから、


「で、例の一件っスけど」


 と切り出した。


「少しは懐の足しになったか?」

「まぁまぁっスね」


 例の一件――というのは、あきらに伸し掛かっていた医者、鳥居(とりい) 信也(しんや)仕出かし(・・・・)の事だ。

 歳は若いし家柄的にも長く医者を輩出している医師家系だったらしいが、今回の件がバレてはいけない相手とバレてはいけない関係者らに晒されてしまい、立場的にも物理的にも完全に行き場を失っている。

 件の病院は直樹のいる会社を通して色々と美味しい思いをしてきた。

 秘密にしたい病名持ちは無論、後ろ暗い人間や、隙を見せたくない者、それなりの財界人とのコネクション作りや異性関係スキャンダルのもみ消し等、お互いで利用し合える良い仲と言えただろう。

 内容的に五分だが会社()的にはそんな優しい分け前でも十分に利をとれていたのだから。


 が、しかしここで病院側がやらかした。


 ここならば世間にもれず安心して治療できるだろうと会社(古巣)が紹介してくれた病院で、よりにもよって担当医が、意識が無いのを良い事に件の患者に対して不埒な行為に及ぼうとしていたのである。

 証人は山ほどいたし、件の被疑者は下半身を曝していたのだから誤魔化しようがない。本番行為には及ぶつもりはなかったとほざいていたらしいが、そんな問題ではないのだ。

 会社側のメンツは潰れているし、病院側に対する信用も地に落ちている。病院も躍起になってそれらを目にした入院患者ら当直員らに口止めをしていたが、信用して紹介した直樹らは顔に泥を塗りたくられたようなものだから簡単にはいかない。高過ぎる勉強代は医師一人生贄に出しても全く足りていないのだ。

 お陰でこれからの友好費(ツナギ料)はより良くしてもらえるようになったし、良い検体も一体(・・)入った。その検体のパーツ(・・・)から得られる分もあるので、直樹個人も会社に回す分(シノギ)を差っ引いてもかなり得をした事となった。


「得したやら面目ないやらでオヤジも複雑そうでしたよ」

「オヤジさんの所為じゃないから気にしないでほしいと伝えてくれ」

「了解です。でもまぁ気にはするでしょうけど」


 俊光の知るオヤジ(組長)も、その後継ぎも割と気さくで身内に優しいし付き合い安い人物だ。無論、その筋にしては(・・・・・・・)、と付くが。

 しかし、身内に優しい分、敵対するものには凶暴な獣性が向けられる。だからこそ(・・・・・)鳥居という男もまだ生きているのだろう。無理矢理に。そしてその家は搾りかすのようになっているだろう。


「まぁ、そんな事はどうでもいい。

 オヤジさんのとこに面倒が掛かって無ければな」

「そりゃこっちの台詞っスよ。面倒かけてすみませんでした」


 直樹はそう頭を下げるが、俊光はもういいと手で制する。


「そう何度も謝らなくていい。悪いのはあのカスだ。だから終わった話だ」

「面目ないっス……」


 酒が入っているからか、やや涙目だ。

 強い弱いとかではなく直樹は泣き上戸なのである。

 厚揚げを食べ、ナッツを嚙み、グラスを空け、


「くぅっ美味いっ! 料理が上手くて気が利くなんいい娘っスねぇ。

 これは良い嫁さんに…あぁ、だけどアレの所為で彼氏なんて…クソがっ」

「おい、酒に飲まれてるぞ」


 そうは言いつつも、この怒気にあきらが怯える事を危惧し、俊光はペースを上げさせて早々に酔い潰した。

 元より酒を入れるのだから泊まらせるつまりだったので問題はない。

 枕を敷かせソファに横たわらせ、その寝姿を肴にするかのように俊光はまたグラスに氷を落として酒を流した。


「もう終わったんだよ」


 喉が焼けるような味がやや苦く感じる。

 気が付けば厚揚げの皿は空。このヤロウ何だかんだで全部食いやがったと寝顔を睨むが鼾しか返ってこない。

 残ったのはナッツだけだが、それだけだと何だか味気ない。

 丁度そう思った時にあきらがシーツと、生ハムを巻いたチーズを乗せた皿をもってやって来た。


「おじさん、飲み足りひん思て」

「助かるよ」


 渡されたシーツを直樹にかけている間に彼女は開いた皿とグラスを盆にのせて、


「じゃあ、終わったらシンクら置いといてください。朝、洗いますから」

「これくらいなら洗っておくよ」

「これくらい、ならウチ…私がやっておきますって」


 そう笑顔で返し、おやすみなさいと言葉を残して台所に戻っていった。

 ほんとに良い嫁さんになれそうだと苦笑し、ほんの僅かだけ表情が曇るがそれを酒で押し込んだ。


 終わったやつら何か知るか

 だからこれからなんだ。あの子の未来は。と――





「うわっホントに嬉しい」

「大袈裟です」

「いやホントにっ」


 その次の朝、温かいご飯と梅干、卵焼きと焼き鮭と焼き海苔、味噌汁という定番の朝食メニューによって心身を癒され、お代わりまで催促した直樹はしっかりと回復して家を後にしたのだった。



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