悠々自適!
キュキュキュ~と♪
歌いつつ靴を磨く私。古い? ええやんけ。ノリやノリ。
正確にはそこまで力入れて磨いてる訳じゃないけどね。ンな事したら痛むし。
で、何で磨いてるかというと、おじさんの靴の手入れ任せてもらえたからなのだ。スゴイぞ私!
家主の靴磨きって何か舎弟気分。あ、おじさんには既にいるから舎弟の舎弟……下っ端? ま、まぁ、それでも気分的にランクが上がった気がするから良しとしよう。ウン。
おじさんはイイ革靴を履いてる。んでもってイイ革靴だから丁寧に使う。だからこそケアとお手入れは大事なのだよ。
やーらかいブラシでホコリとか落として、クリーナー塗って細かい汚れをとって、保湿の為にクリームを塗り広げにゃならん。履きなれた靴は皺ができるからそこにも気を付けて…と。
そして最後にブラシで撫でるっ! そう撫でるのだ。これ忘れたらムラが残ったりするんだよね。
最後にチェ~ック……よし。シューキーパー入れて完成!!
よーしよし。三足できたぞい。
「お、出来たのか」
ノーパソで何やら作業しつつチラチラこちらを見守ってくれてたおじさんは、仕上がりを察してこちらにやって来た。
むふふーと胸を張りつつ出来を見せる私。
「初めてにしては…いや、かなり上手いな」
「やーそれほどでも」
何か覚えてるんだよね。私のか前の自分なのか知らんけど、どっちかの記憶で。
できるに越した事はないのです。だから無問題。古い? ほっといて。
そんな私を目にしつつおじさんはふと眉を顰めた。
すわ磨き残しでごわすか?! と思わずビビる。自慢げだった気分が一瞬でしおしおのプーに凹んだ。
しかしアタシゃすぐにピンときましたよ。
「ああ、大丈夫ですよ? 便利な事に変わりありませんし」
だから私は軽く笑ってそう伝えた。
気にせんでえーのに。ここらがおじさんの美点で難点やなー
おじさんはちょっと驚いた顔を見せたけど、すぐにくしゃりと笑って頭を撫でてくれた。
「敵わないな」
いえいえそれほどでもー
マジ気にしないでいいんですよ? 思い出せない事を悟らせたとか考え過ぎっス。
腫物扱いは勘弁っス。シリアスとかノーセンキュー。今世では鬱なんて誰得って言葉を信条にしてるもんで。
今の状態になってこの家に戻って一ヵ月。
最初こそ普段通り彼が家事を行っていたのだが、一週間も面倒を見ていると彼女の方が我慢しきれず家事を申し出てきた。
俊光は一通り以上の家事ができるので遠慮してもらわずとも良かったのだが、食っちゃ寝は嫌だとかサボり癖がついてしまうとか文句を言いだし、果てはリハビリになるからと推し切って彼女は家事権を勝ち取った。
しかし任せてみたら働く働く。
とにかく手早く、無駄が少なく丁寧だ。十代半ばの少女というよりは一端の主婦くらいのレベルである。いや、下手するとそこらの主婦より器用かもしれない。
料理にしてもやたらめったらレパートリーが豊富だ。調味料をキッチリ図りはするが、ネット等のレシピを閲覧したりせず記憶と舌で完成させて見せる。
蒟蒻を任せてみれば、下茹でをきっちりやって、短冊に切り、その真ん中にすじ切りを入れて捻じった細工物を作ったりもする。それを醤油と砂糖、みりんと少量の鷹の爪で甘辛くに付けて出せれたものだ。
「あ、味噌田楽の方が良かったですか?」
そう聞かれたものだから、思わず『次に頼む』と答えてしまった。
因みに、その時の田楽もきちんと味噌をすり鉢で擂っていて感心してしまった。そして味も好みだから困る。
いや真実困る訳ではないが、そこまで働かずともと思ってしまうのだ。
確かに何もせずただボーっとしているよりかはずっと良いのだが、独楽鼠が如くちょろちょろと細かく掃除やら洗濯やら家事をこなし、三食作ってその合間に通信教育を受けると言った日々だ。
少なくとも、重度の男性恐怖症と記憶喪失というハンデを背負っているようには見えない。
何しろ俊光が想定していた以上に前向きなのだ。
記憶の方は流石にひと月でどうとなるものではない。
ドラマのように奇跡的な回復、とはいかないのが普通だ。恐怖症の方も言わずもがな。相変わらずレーダーでも備わっているかのような感度で来訪者を察知している。
現在のあきらでは通学学習は不可能である。
完全な男子禁制にしている女学校でもあれば話は別かもしれないが、見つけるのは相当難しい上に登下校時に発生するであろう問題は避けられない。
だから今のところ通信教育に頼らざるを得ない。
幸か不幸か彼女の通っていた中学ではフリースクール等の出席日数もカウントしてくれるようになっているので、通信制で受講して学力を高めつつ日数を稼いでゆくのが目下のスケジュールだ。
尤も、それで問題が全て解決とはいかない。確かにオンライン受講も良い講師が揃っているのだが、LIVE中継となるので担当講師が男性だと彼女は硬直してしまって何もできなくなってしまうのだ。
だから予め講師をきちんと確認した上で、更に選別して受ける事となるので通常より日数がかかってしまう。
幸いにも多少の下駄は履かせてもらえるので、今なら彼女が合間の試験で点を取り、きちんと受講していればまだ何とかなるらしい。
尤も、当の少女は面目ないと項垂れていたが。
通常の学費より多少はかかるものの、その受講料も俊光からすれば雀の涙程度。だから気にしなくとも良いのにと慰めたが、申し訳ないからせめて点でお返しすると奮起していた。
強い娘だ。と苦笑したが、細々とした家事や庭の菜園の世話よりよっぽど悪戦苦闘しているのは面白い。
「理数なんてーっ!」
と吠え、ピタゴラスみたいな数学信者の所為やーっ!!と八つ当たりしていた。
正直、笑った。
さて、靴箱にしまい終わったから今日の晩御飯は何にしようかと考え――るまでもなく、ムニエルにすると決めてる。下ごしらえ終わらせてるし。つか、おじさんがバター系食べたそうな気がしたからそう決めてるのだよ。
因みにポテトサラダもつけるぜ。無論、ちょい厚めにきったキュウリニ三枚ぶっ刺すの。トマトもつけるぜ。完璧だな。
でも汁物はお澄まし。豆腐とエノキと分葱で行くぜ。
めちゃくちゃだな、と思わないよーに。箸で食うのが良いんだよ家庭料理だし。
とまぁこんな感じにメニューは既に組み立てているので悩む必要はない。目下のところ悩んでいるのはもっと根本的な事で……
ホントに自分は何なんだ? という事。
ぶっちゃけ料理のレパートリーがメタクソ多い。自分で言うのも何だが包丁の使い方も上手い。身体が覚えてるってやつだと思う。山芋の桂剥きができたしなぁ。
前世の記憶なんじゃね? という説も考えられるけど、味付けからして料理人だったとは思えない。家庭料理としてはGoodだけど、金出して食う程でも…のレベル。
それともこのボディの記憶か? となるけど、中二でここまでレパートリー持つのか? という疑問も湧く。
何しろ酒の肴なんかも得意なんだぞ。おじさんの話によると両親は下戸だったらしいんだ。そうなるとどうして肴まで得意なのか更に謎が深まってしまう。
逆に不得意なのは…何とデザート類。特にスイーツ系がてんで駄目。そのくせ羊羹やら干し柿は作れるっポイ。いや感覚で分かるんだよ。必要な材料も手順も。
ホンマに何なん私?
ひょっとして、前の自分は老成してた(マイルド表現)かも。だったらこの異様に多いレパートリーも納得できる。
だけど我ながらこんなテンションの年寄り(ストレート)なのは嫌だなぁ……
等といつものよーに悩みつつ、作業に使ったゴム袋とビニール手袋を脱いで手を洗う。
いや二重に付けてないと匂い移るんよ靴墨とか特に。あ、服にも匂いついてる気がする。洗濯しよ。
手を洗って匂い嗅いでみるとまだ微かに残ってる。やっぱシャワー浴びてスッキリさせよう。
大袈裟? 女の子のエチケット? いやそれもあるけど、下手したら料理に匂いウツやん。それが嫌なんだよ。
トレーナー脱いで、巻きスカートとって、ソックス脱いでそれぞれ洗濯袋に入れ、下着は風呂場に持ち込み、シャワー浴びつつ揉み洗いする。
やっすいコットン下着だけど丁寧にすると長持ちするのだ。それに白が多いからさ、汚れが目立つんよ。
頭からお湯被るから髪が重い重い。
シャンプーするのは当然として、トリートメントがなー…髪長いとメンドイのなんの……。
脱衣所の床が濡れるの嫌だから風呂場で身体拭いて、片足づつふき取ってから脱衣所に。
頭乾かすの部屋でやるからタオル撒いたまま着替える。まぁ、バスローブだけど。あ、言うまでもなく下着は着けてるよ? 恥じらいのない女の子って嫌じゃん。
もちろん洗った下着は持ってる。部屋で陰干しにするのだ。
おじさんの視界に入らないように部屋に戻り、タオル越しにドライヤーで乾かす。
こういった工程を普通にできるのは、身体が覚えてるからか、或いはセンセー教えてもらった事を適切に行えているのか、そこらははまだ不明。記憶回復の兆しは全くなーし。
身体の方は、この一ヵ月で多少は肉がついてきた(太った訳ではない)けど、やっぱりひょろい気がする。
胸にも多少戻った(?)と思うけど、まだCには届いていない。だから元から正しい着け方をしてなかったのかブラを胸の前で止めて一回転させるのをセンセーの前でやって、はしたないと窘められた。
そんなわけで未だに前世の性別がわからん。
座ってみると正座が楽で、胡坐だとふくらはぎが痛くなる。所作はおじさんによると女性のそれだとの事。
だけど、じゃあ女だったのかと問われると……何故かイマイチ納得できない不思議な感覚がある。
ニュウハーフだったとか? いやそれも違うような。ううむ……
髪が乾いたからトレーナー着てスカート巻いてソックス履きつつ色々考えてみる。
いやまぁ、記憶がないのと恐怖症以外問題はないんじゃね? と納得させている自分がいるのだけど、前にも行ったけど、前進できなきゃ地団駄と変わりないので、センセーらと一緒に試行錯誤してるんだけどさ。
暗中模索なんだよなぁ。
とりあえずお茶を淹れて一服しよう。おゆはんの準備にはまだ早いし。
ポットに水を入れて沸かす。昨今の電気ポットはホントに早く沸くのな。
茶の葉を分量とって茶こしに入れて、急須に…入れずに先に湯を入れる。
下手クソでもそれなりに淹れられるお茶の淹れ方。
先に湯を入れる。これ大事。高温の湯を茶葉にぶっかけたら渋くなり易いんよ。だから先に湯を入れてから湯に浮かせるように茶こしを入れる。この淹れ方だったら、下手くそでもそこそこの味にできるのよ。
ただ、普通に淹れるのと同様にそこそこ待つ時間は必要だけどね。モノによっては十分程度。
専門店じゃないんだからそこそこでええのよ。
で、一口飲んでみて…んン、こんなもんか。
という訳で湯飲み二つにわけて注いで一つは当然おじさんの元に。
お茶請け付けて…と。
「おじさん、お茶淹れました」
つまみに買っていたファミリーパックのあられだが、それが小皿に入れられてお茶と共に届けられた。
そういえば三時かと時計を見直し納得する。
仕入れた物品を流す分は終わっていたので殆ど趣味の範囲の売り買いをしていたのだが、意外と集中していたものだ。
重視していない投資であるが、だからといって下手に見落とすとしなくてもいい損切をやる羽目になる。だから思っていたよりも数値を睨んでいたようである。
湯飲みに触れると少々熱め。色はも味もやや濃い目と彼の好みだ。
一口飲み、あられを噛み砕き、また一口。
何とも落ち着いた気持ちになる。
あきらはお茶を置いてすぐに出て行っている。彼の邪魔をしないように、だ。
不思議な事に、あきらは俊光が不快にならない――と言うより、心地よい距離をずっと保っている。
彼自身も自覚している事であるが、人との距離感が実に面倒くさい男なのだ。
直樹のような付き合いの長い人間なら兎も角、あまり親しくない人間等は妙な緊張感を持たれて距離を置かれがちである。特に女性関係がややこしく、葉子のようなそれなりの付き合いのある相手でも踏み込まれると気にかかってしまう。
だというのに、あの少女は付かず離れずの適切な間を保ち続けている。
僅か一ヵ月という期間であるが、その間もこの距離感は変わらない。
男慣れ…とも違う、不思議な空気を彼女は纏っているのだ。
俊光に掛かり切りというのならまだしも、家事に畑の世話に勉強にとくるくると動き回ってこうなのだから感心するというか、恐れ入るというか……。
このまま世話されていたら娘離れできなくなるのではと苦笑してしまう程に。
ことりを湯飲みを置き、俊光は再びモニターに目を戻す。
夕食までまだ時間はある。
その間に少しでもあの娘に残せる資産を増やして置く為に再び相場を見張りだした。
既にあきらにとって、『多過ぎるわっ 散財するだけの余生なんぞ嫌やーっ!!』という額にはなっている事に気付く筈もなく――
因みに夕食はほうれん草のバター炒めが添えられた鱈のムニエルと、ポテトサラダ、すまし汁と白いご飯。白菜の漬物。
和洋折衷だが正に俊光が食べたいかな…と思っていた品々だったので驚いたものだ。
その様子を見、あきらは小さく拳をガっと握って勝利を噛み締めていた。