09
部屋から出てきた奏を見て嘘でしょと呟かざるを得なかった。
「おはよ、ムツキ」
低い声でこちらを呼び捨てにする奏。
でも、キノが兄の低い歌声に惚れた理由がなんとなくわかった気がする。
「どうしたの?」
「あ、いや……え? なんでそんなに大きくなってるの?」
「なんでって、それはムツキに相応しい男になれるよう努力したからだね」
い、いやいや、まだあれから1ヶ月間ぐらいしか経っていないんだから有りえないって。
段々とわかってきて頬を思い切り引っ張ったら、
「痛い!?」
「わっ!?」
あ、だけど場所は学校の放課後の教室だった。
しかも目の前にいたのは奏で、さすがに小さかったけどドクンと心臓が跳ねる。
「な、なにをしてたの?」
「お姉ちゃんがうなされているようだったから頭を撫でたんだけど……」
「そ、そうなんだ、ありがとう」
そりゃあんな夢を見たら落ち着かないって。
だって夢の中の奏は格好良かったもん、だけど今度は可愛いにやられてもう大変。
奏は私にとっての悪魔だ、1度その手を握ってしまえば後は落ちていくだけ。
「帰ろっ、お兄ちゃんたちは帰っちゃったから」
出ていこうとする奏を呼び止める。
「も、もうちょっと……いようよ」
「え、あ……うん……」
色々片付けてからでないと家事なんてできない。
そして私がしっかりしていなければ奏も兄も駄目なんだから頑張らないと。
「奏、まだ好き?」
「あ、当たり前だよ」
「……いいよ」
「えっ!?」
「だから、いいよ。どうせ両親はなにも言ってこないし、お兄ちゃんはキノと付き合っているし」
ああいう夢を見る時点で終わっている。
惜しいのは、血の繋がった姉弟だからあまり堂々とできないこと。
でもあんまり気にする必要もないか、元々ベタベタしていたわけだし。
抱きしめるとかをすると本気になっちゃうからそれだけは禁止になるけれども。
「奏が私で満足できるなら……」
「お、お姉ちゃん!」
「……抱きしめてもいいけど、名前で呼んで」
「む、ムツキ……ちゃん」
「ん……」
まあ……ずっと直してほしかったのはこういう時のためにだったのかも。
それに告白された後のことだったから、なおさら、ね?
好きでいてくれてるのはありがたいけど、ああいう方法は駄目だと思う。
あとこれから気をつけなければならないのはキノだ。
あの子は頭を撫でたり抱きしめたりするから……それはちょっと嫌だし。
――って、これじゃあもう独占欲でいっぱいってことじゃんか……。
「奏っ、キノに頭を撫でさせたりしちゃ駄目だから!」
「え、でもキノちゃんに頭を撫でられるのも落ち着――」
「私の恋人でいられなくなってもいいの?」
「それは嫌だ! はぁ……しょうがないからやめてって言おうかな」
当たり前だ! そんなこと許せるわけがない。
どれだけダサかろうと関係ない、恋人が他の子を撫でてたら複雑じゃん。
こっちをその気にさせた責任、ちゃんと取ってもらうんだから!
なんだか背中がソワソワする。
髪をまとめているというのはあるんだけど……。
「ね、ねえ、見過ぎじゃない?」
「そう? 俺はキミの絵が好きだから見ているだけだけど?」
いや絶対に嘘だ、明らかに私の背中を見ている。
意外と視線には気づきやすいみたいだ、そしてその間も創作を続けている私を褒めてほしい。
なんだろう、この前から凄くこういうことが増えた。
別にそれは嫌じゃないんだけど、どうせならなにか言ってほしい。
ただじっと見られているとなにかがついているかもしれないし、憑いているかもしれないし。
それにしてもキノと昴くんが付き合い始めたんだよなあと。
あれだけ一緒にいていまさら? ともなるけど、ふたりで順調に仲を深めていたんだなって。
「ね、ねえ」
「なに?」
「出会ってから数ヶ月は経ったよね? その……」
「ああ、キノちゃんと昴くんが羨ましくなっちゃった?」
「あ……」
頷いたらおいでと言われたのでやめて近づく。
「でもさ、キミは中卒さんだよね?」
「……無理ならいい」
「嘘だよ、キミから言ってくれるとは思わなかったよ」
滅茶苦茶な話だけど出会った瞬間に一目惚れだった。
すてきな作品が書けて、見た目も良くて、こんな私にも優しくて。
一目惚れなんてそんなことが本当にあるんだと自分で学ぶことになった。
「こういう時をずっと待ってた」
「涼くんは私のどこを気に入っているの?」
「見た目が良くて優しくて笑顔が可愛くてすてきな作品を描けるところ」
最後に関しては他の人も言ってくれているから信じることができる。
本当に見てくれる人たちのおかげだ、部屋から出られた理由のひとつでもあった。
もちろん、キノや両親が優しくしてくれたからというのが1番大きいけれども。
「正直、我慢した俺を褒めてほしいよ」
「我慢って……あの時の?」
「うん、だって滅茶苦茶幸せそうに笑うんだもん」
「ありがとう、会ってくれて」
「こっちこそ。ありがとう、会いたいって言ってくれて」
……き、キスとかそういうのはよく描いているので今度でいいか。
リクエストされたイラストを描いている途中だったので作業に戻る。
後ろから抱きしめられても作業中の私はメンタルが無敵だ――はずだったんだけど。
「いまはこっちに集中して」
「……は、はい」
簡単に負けたのは言うまでもない。
「なんでだ!」
もう10回目のおかわりをして席に戻る。
一緒に来ていた男友達、昴は落ち着けと言って笑った。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「大体、自分からぶち壊したのはお前だろ」
「くそ、俺も同じぐらいの年数三門といたら……」
それでも駄目か、こいつは三門のためになんでもできる奴だからな。
こうして付き合いがいいのも影響している、こちらとしてはムカつくけど。
「いいから飲め、金は払ってやるから」
「いいのかよ、三門に奢れなくなるぞ」
「これぐらいでなんてことねえよ、ほら、奪っちまったからな」
当然だがと言って頭に攻撃してくる昴に苛ついて立ち上がった。
「し、幸せにしてやれよ?」
「臭いな」
「付き合ったからにはちゃんと最後まで責任取れよ」
「当たり前だ、お前みたいな変なのに取られないようにするよ」
「誰が変なのだ、お前こそ俺のペースがあるとか言ってヘタれてやがって」
それでもいいよなって、なにも努力していない俺は羨んでしまった。
だってどうしたって、のんびりしたって、三門はこいつに振り向くことは確定だったんだ。
俺らからすれば舐めプ以外のなにものでもないわけで。
「俺がどれだけ待ったと思ってる、忍耐力を褒めてほしいものだが」
「お前のは臆して動けなかっただけだろ」
「ま、それを言われると痛いな、だからやめてくれ」
「それなら煽るのはやめろ」
「ならそういうことでお互いにやめよう」
ちゃんと座り直してジュースを飲む。
どうせただで飲めるならたくさん飲んでおかないと損だ。
こういうところが大人らしくないのか? まあ、気をつけたところで三門はもう無理だが。
「三門のことは頼んだぞ」
「お前のじゃない」
「あっそ、可愛くねー」
「はは、お前もな」
どうせ可愛くねえよ。
でも、同じクラスなんだから話して過ごしていけばいいと決めたのだった。
読んでくれてありがとう。