01
読み始めるのは自己責任で。
会話のみ。
ワンパターン。
「いーやーだー! 離れないぞー!」
ガチャンガチャンという音が教室内に響く。
男の子は机に張り付いて離れない、女の子はその男の子を引っ張ることをやめない。
でも、引っ張る方の力が強いせいでたくさんの机と椅子が犠牲になった。
「奏! いい加減言うことを聞いて!」
「嫌だぁ……」
私はそんなふたりを見ながら自らに問う。
なぜこれをじっと見ているのかということを。
いやまあ、彼女は友達だからこの距離感は別におかしくない。
いやまあ、彼女の弟さんはいつもこんな感じだから違和感はない。
問題はなぜここまで必死に弟さんが張り付こうとしているのかだろう。
「キノちゃん……」
うぐ、そういう目で見られると弱いんだ。
「ま、まあまあ、とりあえず落ち着こうよ」
「キノは奏に甘い!」
そりゃだって友達の弟に厳しくなんてできないし。
だけどそこでやっとふたりは落ち着きを取り戻してそれぞれの席に座った。
「キノちゃんがお姉ちゃんなら良かったのに」
「あっ、またそんなこと言って!」
どうして火に油を注いでしまうのか。
奏くんはこんなこと言ったらあれだけど、小学生からいきなり高校生になったみたいな子だ。
色々なところが幼稚で、よく姉であるムツキちゃんに怒られている。
それでも一緒にいられているのはムツキちゃんが優しいから。
私だったらこんな弟と一緒にいるのは嫌だ――って、普通にボロクソ言ってるな私は。
「もういいから帰るよ!」
「嫌だっ、だって勉強させられるから!」
「当たり前でしょうがっ、あんたはこの前のテストで赤点だったんだから!」
嫌がる奏くんをムツキちゃんは強い力で強制的に連れて行った。
急に静かになる教室、残っていても仕方がないから私も帰ることに。
「ムツキは大変そうだな」
「そうですね、よく毎日相手しているなって思います」
この人は奏くんとムツキちゃんの兄、昴さん。
奏くんはあんなことを言っておきながらムツキちゃんを気に入っているため、ふたりが一緒にいるところはあまり見ることはない。でも私としては長男なんだから弟のお世話を分担してあげてほしいというのが正直なところだった。
「昴さんが見てあげてくださいよ、ムツキちゃん困っているんですから」
「あいつ、俺のこと嫌いなんだよ」
「あなたが嫌いなんじゃなくて、ですか?」
ま、見ているだけでなにもしないのはこちらもだからこれ以上は言わないで歩きだす。
「キノ、この後って暇か?」
「そうですね、特に予定はないです」
「ならカラオケにでも行かないか?」
「昴さんが奢ってくれるならいいですよ」
「わかった、出してやるから行こう」
え――と困惑しつつも付いていくしかできなかった。
結局自分が偽善者であることには変わらない。
ムツキちゃんを見ていても、奏くんの姉じゃなくて良かったと思うだけだ。
助けることもせずカラオケなんかに付き合っている。
昴さんが受付で話をしている最中スマホをポチポチいじってた。
奏の相手は大変、もう嫌だ、でも私が見てあげないとな云々、ムツキちゃんの嘆きが聞こえてくる。
「行こうぜ」
「はい」
それでも他人事のようにやめてもいいんじゃないかとしか思えない。
甘くしていたら助長させるだけだ。
こいつにはこれだけ言っても大丈夫とラインを見極められて舐められるだけ。
「ぶっ壊しちゃえばいいのに」
「は……?」
「あ、いえ、こっちの話です。昴さんがたくさん歌ってください、私は聞く専門ですので」
まあいいか、ムツキちゃんから元気が失くなっていることが判断できた場合は私がやれば。
で、昴さんは高頻度でここを利用しているだけあって歌うのが上手い。
なんと言っても男性特有の歌声の低さが私を落ち着かせる。
これを聞くために一緒にいると言っても過言ではないぐらいだ。
「ふぅ……キノも歌えよ」
「いえ、私は昴さんの歌声を聞くのが好きですから」
「そうか? なら、歌わせてもらうかな」
お金を払っているんだから何時間でも歌ってほしい。
先程の微妙な気持ちなどすぐに吹き飛び、私は彼の歌声に夢中になっていた。
……段々と顔や雰囲気まで格好良く見えてくるところが難点だが。
私は声フェチなのかもしれないと気づく――を繰り返して30回目となる。
「ちょっと疲れたから休憩」
「飲み物注いできましょうか?」
「あ、頼むわ、烏龍茶で」
彼曰く、口内が気持ち悪くなるから炭酸は駄目らしい。
私は逆に炭酸大好き女だからミックスをして持って戻る。
家じゃできないことをやる、それはなんと楽しいことだろうか。
部屋前からでもわかる美声、なんか然るところに応募してみた方がいいんじゃないかと思えるほど。
曲が終わったのを確認してから中に入ると急に頭を撫でられた。
「別に途中でも良かったんだぞ?」
「それよりそれはムツキちゃんにしてあげてください」
「だな、あいつ滅茶苦茶頑張ってるもんなあ」
こういう子ども扱いしてくるところは嫌いだ。
女として見てもらいたいからとかじゃない。
たかが1年の差があると言っても小学生ってわけじゃないんだから勘弁してほしかった。
あと、あまり触れられたりするのが好きじゃないというのもある。
こういうのには付き合うけど踏み込まれるのは嫌みたいな、ワガママな女なのだ私は。
「たまには俺も協力してやらないとな」
「両親が厳しいとかあります?」
長年一緒にいるのに会ったことがない。
偉そうにも躾けが云々を疑っていたのだが、
「逆だ、なんにも干渉なんかしてこねえ……全部ムツキに任せてそれだけだ。家にだって全然帰って来ないからな、なに考えてるんだかわからねえけど」
聞いたのが馬鹿だったと反省した。
謝罪をして黙っていたら彼が立ち上がって言う。
「そうだな……買い物ぐらい付き合ってやれば少しは楽になるか」
「そうですね」
「そろそろ帰るか、元々1時間設定だったからな」
外に出るとなんとも言えない暗さだった。
微妙に肌寒くて体を震わせたら上着をかけてくれた。
温かいけどそういう優しさを全部ムツキちゃんに向けてあげてほしい。
「寒くないですか?」
「ああ、寒い季節でも半袖でいられるぞ」
「ふふ、嘘つきじゃないですか」
過去に寒いと連呼していたのを聞いたことがある。
ムツキちゃんと関わっていると昴さんといることも増えるので大体はわかるのだ。
「こういうことあんまりしない方がいいですよ」
「寒いんじゃないのか?」
「勘違いしちゃう女の子だっていると思いますけど」
「キノは勘違いしないだろ」
「ですけどね」
さすがにこれでドキッとしてしまえるような乙女心は持ち合わせていない。
なんというか私が壁を作るタイプなので進展しようがないのだ。
仮に私がキャピキャピの恋愛脳だったとしても相手が変わらないから意味はないだろうが。
「ありがとうございました、ムツキちゃんのことお願いします」
「ああ、お前も支えてやってくれ」
「私にできることなんてありませんよ、それでは」
不器用なんだよなムツキちゃんは。
なんでもかんでも馬鹿正直に正面から接すればいいわけじゃない。
時には少しの距離を取ってみるのも大切だ、そうしないと精神が疲れてしまう。
で、奏くんはそれに甘えてしまっているわけだ。
姉弟仲を悪くさせないためにも私がぶつかろうと決めた。
「昴さんにも頼まれたしなあ」
これはムツキちゃんのためにすること。
友達が困っているところを喜んで見るような人間はいない。
――翌日、昨日の攻防がまた展開されていた。
同じように机に張り付いて離さない、そのせいで他の机や椅子も被害に遭う。
ため息をつきながらも説得を諦めないムツキちゃんの前に立って息を吸った。
「こらあああっ!!」
自分でも驚くぐらいの大声が出たことに困惑しつつも奏くんを睨みつける。
「これ以上ムツキちゃんに迷惑をかけるようなら君の好きな人にあればらしちゃうからね!」
「えっ……だ、駄目っ!」
「だったらっ」
「わ、わかりました……お姉ちゃんに迷惑……かけない……ようにします」
ふっ、私に好きな人なんて教えるからこんなことになるんだ。
そういう情報は本当にいい人だとわかった人にしか教えてはならない。
「ムツキちゃんに甘えてないで好きな人のところにでも行ってきなよ、それこそ一緒に勉強をやればやる気も出るでしょ? そうしたら捗ると思うけどなあ」
男の子は単純な生き物だと考えている。
たかだか挨拶程度でもうっとりとした表情で女の子を見つめる子だっていた。
落とした物を拾ってもらえただけでも、それこそ話しかけられただけでもだ。
しかも奏くんが言ったのだ、優しくしてくれるから好きだって。
「……わ、わかった、キノちゃんの言う通り……だから」
「うん、叫んでごめんね」
無駄に体力を消費してしまったから帰りに甘い物でも買って帰ろう。
「お姉ちゃん、これまでごめん!」
「え、あ、うん……」
「行ってくる!」
あとはすぐ積極的になれるところとかね。
好きな子のためならなんでもできるって感じで行動できるのは素晴らしい。
「奏って好きな子がいたんだ……」
「うん、そう言ってたよ」
「お姉ちゃん初耳なんですけど……というか、キノの言うことはちゃんと聞いて複雑なんですけど」
「いいじゃん、楽になるんだから」
しかもあれは説得できたわけじゃない、脅迫したから仕方がなく従っただけだ。
それでもあれで少しは落ち着いてくれればいい、他所様の事情に首を突っ込むのはリスクがある。
それに良かれと思ってしたことが相手のためになるとは限らないのも面倒なところだった。
「そうだけどさ~……まあいいや、帰ろ?」
「そうだね」
こちらがでしゃばるようなことをしてもムツキちゃんが怒ることはなかった。
こういうところはあまり良くないと思う、甘い顔ばかりしていたら距離感を見誤られるから。
例え相手が小学生時代からずっと一緒にいる人間だったとしてもしっかりしなければならない。
「怒らないの?」
「え? だってキノは私のためを考えて動いてくれたんでしょ? お兄ちゃんがいきなり手伝いとかしてくれるようになったのも説得してくれたからってわかってるしさ」
「ムツキちゃんのために動いたのは本当だけど昴さんのことについては知らないよ。頑張っているのを見て協力してあげたくなったんじゃない? ほら、長男だから責任感とかもあるだろうからさ」
「わざわざそんなこと考えるかな~?」
「考えるでしょ、近くで頑張っている子がいたらね」
了承を得てからコンビニに寄らせてもらう。
いつも友達でいてくれてありがとうという気持ちを伝えるべくクリーム付きのプリンを買った。
自分には1番やっすいアイスを買って店外へ。
「はい」
「え?」
「お疲れ様」
「あ、ありがとう?」
齧りながら歩いていたら急にお礼を言われたが気にせず歩き続けた。
なんでそうなのかな、寧ろ友達でいてやっているんだからこれぐらいは当然だ、ぐらいでいいのに。
家族じゃないのだから当たり前だけど、奏くんに対するそれとは違って微妙な気分になる。
「キノ!」
「んー」
「ばいばい! また明日ね! あ、これありがとっ」
「うん、ばいばい」
こちらは正直アイスにしたことを後悔していた。
そうでなくても外は肌寒いのに冷たい物を食べるなんて自殺行為だ。
だから速歩きで家へと帰って、すぐに布団にこもることに。
「キノ」
「なに?」
部屋に訪れたのは常に部屋に引きこもっている姉だった。
両親の前では絶対に現れないため、なかなかレア――ではなく私の前にはこうして現れる。
「100円貸してくれない?」
「この前貸した1000円は?」
「それも今度またまとめて返すから」
仕方がないから机の引き出しから財布を取り出して渡した。
甘くしたら駄目だと言ったのは自分が実際にそうなっているからだった。
それならせめてと大切な友達であるムツキちゃんが苦労しないようにって常々言っている。
「なにに使ってるの――って、いないし」
本当に一切家の外には出ないのになにに使用しているのだろうか。
引きこもりでも両親がお小遣いをくれているのに。
しかも年上だからということで私の2倍ぐらいだぞ?
「お姉ちゃん」
こちらから呼びかけたところで当然返事はなかった。
下に移動したら母が突っ伏して寝ていたので起こすことにする。
「あ……おかえりなさい」
「うん、ただいま。風邪引いちゃうから寝るなら部屋で寝てね」
「ご飯作らないと」
「私がやるからいいよ、できたら呼ぶからさ」
働きながら全ての家事をやるのは辛いだろう。
だから一応娘なりに考えて動いているわけだが、役に立てているだろうか?
「ふんふーん」
とにかくこちらは行動していくだけだと決めて晩ご飯作りに励んだ。
あれからあっさりと奏くんは大人しくなった。
ただ好きな子のところのばかりに行くのではなく姉であるムツキちゃんともいることから、やはり好きなのは変わらないようだ。
これはあれだろうか、好きだからこそちょっと意地悪して興味を引きたくなるみたいなそういうのだろうか、あんまりそういう方法は良くないと思うけどね。
「キノちゃん」
「あ、なに?」
「め、迷惑かけてないからね?」
「うん、見てればわかるよ」
完全に迷惑をかけないということは無理だから最小限に抑えてくれればいい。
私はこれでもムツキちゃんのことを大切な存在だと思っている、困らせる人は許せないだけだ。
「それよりキノちゃん、僕の友達が君に興味があるって」
「男の子?」
「うん、僕と一緒のクラスの子」
おいおい、一応私は奏くんより年上だぞ。
年下から好かれる~なんてのはムツキちゃんとか昴さんがやっておけばいい。
つまり私には関係ない、大体無駄なことで時間使いたくないし。
今回動いたのは無駄じゃなかっただけで基本的には不干渉でいたいのだ。
「断っておいて」
「えっ」
「ん? なにかおかしいこと言った?」
「ただ友達になりたいってだけでも断るの?」
「うん、だって意味ないし、じゃあねー」
なるべく静かな生活を送りたい。
どうこう言われようと私は私のしたいように過ごすだけ。
しかし、
「お前ってそういうところがあるよな」
昴さんからおでこを突かれつつ言われて後ずさる。
だからこういう接触はやめてほしい、私じゃなかったらセクハラ認定されて終わりだぞ。
「だって他人からの情報のみで興味を抱くとかおかしくないですか?」
「最初はそんなもんだろ」
「私の方は違います。ムツキちゃんと友達になって、そこから奏くんやあなたとも出会って話すようになりました、実際にこの目で見てから判断しましたよ?」
ムツキちゃんは優しい女の子だ、だからこそ奏くんや昴さんだって信用できた。
そう、ボロクソに言ってみたものの基本的には奏くんはいい子なのだ。
年下の男の子が頑張っているところを見ると、正直キュンとして抱きしめたくなる時もある。
歌声を聞いていると頭がぼーっとなって抱きしめたくなるから昴さんは危険な人物でもあった。
この人の歌声は相手を魅了する力がある、頻繁に誘うのは私がチョロいと思われているからかも。
「そういうつもりじゃありませんからね!」
「は? どうしたんだ?」
「私がカラオケに付き合ってあげているのはあなたの歌声が好きだからであって、あなた自身に興味があるわけではないですから!」
矛盾しているのはわかっているが誤解されても困るのだ、いづらくもなっても嫌だから。
「つか、なんでずっと敬語なんだ? お前がムツキと友達になってからずっと一緒にいるんだぞ?」
「最低限の礼儀ですよ、親しき仲にも礼儀ありというやつです」
遅れてやって来た姉弟と一緒に帰路に就く。
観察してみると奏くんは昴さんの方を1度も見ていない。
なんでだろうと不思議に思ってムツキちゃんに聞いてみたらわからないと言われてしまった。
それならばと本人に聞いたら、
「あ、兄貴といると劣等感しか感じないから、かな」
という理由らしい。
それを近くで聞いていた昴さんは不思議そうな顔をしていた。
「だ、だって、僕と違って背も高いし格好いいし頭もいいし運動能力も高いからさ」
「そんなの気にするなよ」
「そうだよ、私には散々甘えてるくせに。背だって成績だって運動能力だって奏より高いよ?」
「うぐっ……き、キノちゃん、ふたりが苛めるぅ……」
3人きょうだいと一緒にいる私がどうしたって浮く。
とはいえ、無駄に抜けたりするのもあれだから黙って見ていた。
ごめん奏くん、私ではなにも力になってあげられないの!
「いちいちそんなこと気にすんな」
「うん……でも、お姉ちゃんの方が好――わぷ!?」
「ああもうそういうところが可愛い!」
シスコンさんだ、姉弟で仲が良さそうで結構だけど。
奏くんも抱きしめられて顔を真っ赤に染めていた、さては女体に慣れていないな? 可愛い!
「なるほどな、ムツキが好きな理由はよくわかる」
「ですよね、ご褒美としてああいうことをしてもらえるなら私だってそちらを選びます。片方は歌声以外は普通の人ですからねえ、それに同性から抱きしめられたって奏くんは嬉しくないでしょうし」
たかだか相手を褒めるだけで抱き合っていたら怪しく見えてしまう。
そういうのはお互いに努力して優勝した際とかにしないと不自然だろう。
「おいおい、なにが普通だよ」
「え? もしかして自分が格好いいとかって自惚れちゃってます?」
「俺は結構モテるぞ、今年はもう4回告白されているからな」
ほぅ、なかなか嘘でしょと指摘できない数字だった。
1回だけしかされていない自分にとっては有りえない数字だが。
「私は2回」
「僕は……0回……。キ、キノちゃんは?」
「あー、私も奏くんと同じかな」
「仲間だね!」
可愛いから抱きしめておいた。
すぐに離したが今度は赤くなるということもなく。
もしかして好きな子ってムツキちゃんなのでは? そんなことを考えた。
3人きょうだいと別れて家に帰ったらまたリビングで母が寝ていた。
今日も同じだ、風邪を引いてほしくないので休める時に休んでくれと頼んだ。
仕事でなにかがあるんだろうか? それとも姉の相手がしんどくなってきたとか?
家事を終わらせ、食事や入浴を済まして部屋に戻ったら既に21時を越えているところだった。
「キノ」
「あ、お姉ちゃん」
「はい、遅くなってごめん」
「え、どうやって手に入れたの?」
実は長年絵を描いていて依頼されることもあるぐらいの実力らしいことを知る。
スマホで調べてみたらプロに負けないぐらいの上手さで、少しだけ興奮してしまった。
「ちょ……っと、恥ずかしいけど」
と、はしゃぐ私を他所に姉は耳を赤くしてベッドに座って。
「……頑張ればお金も稼げるし、少しはお母さんたちに返せるかなって」
「うん、大丈夫だと思うよ。あ、でも、あんまり無茶しないようにね? それと太陽の光には当たっておかないと駄目だよ?」
「うん……ありがと、キノは優しいね」
「そんなことないよ」
引きこもっていようが姉が大切な家族であることには変わらない。
あのきょうだいたちを見ていると羨ましくなるのだ、ならなおさら喧嘩なんかできない。
なかなか厳しくできなかったのはそういう理由でもある、単純に私が弱いだけかもしれないけど。
姉は頑張ると言って部屋から出ていった、私はベッドに寝転んで意味もなくスマホをチェック。
「あ、昴さんからだ」
どうやら家事をしている間に電話をかけてきていたらしいのでかけてみることに。
「早くお風呂に入りなさい!」
かけた瞬間に聞こえてきたのはムツキちゃんの声だった。
「ちょ、ちょっと待て、いまキノから電話が――」
「私が話しておくから行ってきなさい!」
ぷふ、兄弟揃ってムツキちゃんに勝ててなくて笑える。
「あ、キノ?」
「うん、さっき昴さんがかけてきたからさ」
「ちょっとこのままにできる? すぐお風呂から出してくるから」
それなら先に話させてくれればいいのではと考えつつも了承し放置。
大丈夫、アプリの通話機能を使用しているためお金が莫大にかかるなんてことはない。
寧ろ普段滅多に利用しないスマホを利用する機会になるのでありがたかった。
「ま、待たせたな……」
「あはは、ムツキちゃんはお母さんみたいですね」
「ああ、すぐ入らないと怒るんだ……まあそれは俺が寝たりするから悪いんだけどな……」
友達の兄とはいえ、こんな時間に男の子と話していることが不思議だ。
恋とかそういうのとは縁遠い人間だからというのはあるのかもしれない。
高校生なら部活とか友達とかで異性とこんな時間でも話すことはあるかもしれない。
だけどこれは私の人生、意外な時間なことに変わらなかった。
「先程はすみませんでした、家事をしていたので反応できませんでした」
「あれ、キノもやっているのか?」
「お母さんがお疲れのようなので代わりにしているんです」
私がもし結婚したらああなるのかと考えると、またなんとも複雑な気分になる。
というか私を好きになってくれるような人が現れるとも思えないんだけどね。
自分で言うのもなんだけど面倒くさい女だし、勝手に壁を作って一定を保つし。
見ているだけなのが気楽でいい、好きな子のために努力している奏くんを見ておけばキュンキュンできるからね。小さくて可愛いからなおさらグット。
「それでなんで電話をかけてきたんですか?」
「今週の土曜日なんだけどさ、キノの家に行っていいか?」
「ひとりで?」
「そう、ひとりで」
両親は朝から仕事だし姉はあんな感じだから出てこない。
それはつまり朝からふたりきりということになるが……まあいいか、なにも起こらんて。
「いいですよ」
「サンキュ」
「でもその際はカラオケに行きましょう、もちろん昴さんの奢りで」
「はぁ? 意外と高いんだぞ利用料が」
「私は聞く専門なんですよ? 払うのはおかしくないですか?」
は!? だけど歌声を聞かせてもらっているのなら払わなければ駄目なのでは?
お金をケチったばかりに歌わなくなってしまった困る! 私がどれだけ好きだと思っているのだ!
「やっぱり払います、そのかわりに8時間にしましょう」
「い、いや……それは喉が死ぬぞ」
「お願いしますっ、私はあなたの歌声が! 好きなんです」
「俺の歌声が好きって言うけどさ、お前はただ男の声が好きなだけなんだろ?」
「あなたにしかこんなこと頼めません」
残念ながら男の子の友達は奏くんとこの人だけ。
念の為にもうひとりぐらい友達を作っておくべきか?
……私から動くとそういう気があるとか思われそうだからやめようと決めた。
「せめて4時間にしてくれ」
「それでもいいです、どうせ同じ額払うならたくさんがいいというだけで」
「じゃあよろしく頼むぞ」
「こちらこそよろしくお願いします」
通話を終了したので電気を消して寝ることにする。
風邪とか引いてしまったら困るからいまからしっかり寝て管理をしっかりしておかなければ。
――という努力(当たり前)のことを繰り返し、健康体なまま土曜日を迎えることができた。
「よ」
「はい」
集合場所はカラオケ店の外、こうしておけばソワソワすることもなくなる。
いつもの通り受付は任せて、それが終わったら昴さんの後ろを付いていく。
「飲み物はどうします?」
「いつもので頼むわ」
最高のコンディションを保ってもらうためになんでもするつもりだ。
今日は耐久的なことをしてもらうわけだし、これぐらいはしないとね。
もちろん、途中入室なんて無礼なことはしない、ちゃんと終わってから入室する。
「どうぞ」
「サンキュ」
後は聞いているだけでいい。
ジュースを適度に飲んだり、知っている歌を口パクで歌ってみたりと、楽しい時間を過ごしていく。
「キノ」
が、30曲ぐらい歌い終えた時のことだった、わざわざ隣に移動してきてそのまま座る。
な、なんだこの距離感はと困っていたらマイクを手渡してきた。
……馬鹿な私は接触してくるものだと考えていたから恥ずかしすぎて廊下に飛び出る。
「いやいや……」
「おいキノ、どうしたんだよ?」
「落ち着いたので戻ります、それに歌は歌いませんよ」
残念ながら歌うのは得意じゃないし上手くない。
アニメや漫画でたまにいる歌ヘタキャラだと思う。
さすがに両耳を押さえて退出したくなるほどではないだろうけど、わざわざ空気を壊すこともない。
「あの、背中がゾクリとするので接近するのはやめてください」
「悪かったよ、ただ俺ばかり歌うのは申し訳なくてな」
「違います、たかだか1500円払うだけであなたの歌声を独占できる私の方が申し訳ないです」
先程の羞恥心は既になかった。
これも自分で言うのはなんだが、そこそこ切り替えが上手い人間だと自負している。
「お前さ」
「なんですか?」
「……そういうこと、誰にでも言ってそうだよな」
おっと? 昴さんの表情が意味深な感じに。
テンションが上下すると歌声に影響が出るのでやめていただきたい。
でも、すてきな歌声を聞くために嘘をつくのもしたくない。
「そりゃ、上手かったら言いますよ」
そのため、こうやってはっきり言っておいた。
いまの私は昴さんの歌声しか知らないから。
実は奏くんの方が上だったり、同じクラスの男の子の方がいいかもしれない。
だけどそんな話をしたところでしょうがない、なんでそんなことを気にするのかがわからなかった。