ねえ、揚げパン食べない?
私は二階の寝室で、リムルと机を挟んで座っている。
一通りの話をした私は、喉が渇いたのでミルク瓶をぐいっと。うん、おいしい。
「あんた、自分が何者なのかわかってるんですか……?」
リムルが目を伏せながら、額に青筋を浮かべている。
おこだ。
こういうとき、嘘をつくのはよくないだろう。なので、私は事実を口にしてみる。
「え、パン屋さん?」
「ちげえよっ!? 怠惰の魔王だろ、あんた! 怠惰だよ、怠惰っ!」
怒られた。嘘はついてないのに。
「しーっ。マーサさんには秘密にしてるんだから、あまり大きな声を出すと聞こえちゃうじゃん」
マーサさんには、森で修行を積んだロリと言うことになっている。人間の国の常識はあまり知らないから、我ながら上手い誤魔化し方だと思う。
ちなみに、マーサさんは下でパンの売り子をしてくれている。本来は私の仕事なのだけれど、友達―――リムルのことだ―――と遊んでおいでとのことで、お言葉に甘えた。
だって、放置したらリムルが暴れそうなんだもの。
「いいから、魔王城に戻りますよ」
「え、やだよ」
「…………魔王城でベッドで寝ているだけでいいですから、ね?」
「だから、やだ」
「あんた、本当にベア様か……っ!?」
すっごい疑われてる。
「リムルが部屋に隠してるBL本の話でもする?」
ぶふぉっ、っとリムルが吹いた。
昔、口うるさいリムルから逃げるべく、かくれんぼをしているときにリムルの部屋で見つけたのだ。
「…………確かに、ベア様のようですね」
リムルはポケットからハンカチを取り出すと、口元を拭いた。
これでも私は人の気持ちがわかる魔王。あまり話されたくないことだろうから、これ以上の追求はやめてやろう。
「でも、それほどなんですか? その、マーサさん?が焼いたパンって」
「んー………」
私は悩むふりをしながら、思考を巡らせる。
リムルは口うるさい。それは、50年の付き合いでよくわかっている。
なんだかんだで魔王の従者としての癖のようなものが付いている彼女は、『怠惰』の魔王である私が人間と仲良くしているのをよく思わないのだろう。
きっと、今後もずっと魔王城に連れ戻そうとするだろう。それは面倒極まりない。
何かいい手はないだろうか。
…………………あ。
ピンときた。
「よかったら食べてみる? 『空間収納』に、売れ残ったパンは保管してあるから」
普通の『空間収納』は、中と外で同じ時間が流れている。
けど、私は『怠惰』の権能を無駄遣いして、空間収納の内部の時間を限りなく遅くさせているのだ。
空間内の一分は、外の世界の一年間に等しい。
便利。
「…………いただけますか」
「ほい」
私は手を『クリーン』で綺麗にしてから、空間収納に手を突っ込んだ。
割とお気に入りである揚げパンと、綺麗なトレーを取り出す。
瞬間、部屋に甘いココアの香りが漂った。
マーサさんの揚げパンには、黒砂糖とココアパウダーをまぶしてある。
甘いし安い人気のパン。
子供には当然、労働者階級の人にも安くてうまいと評判だ。
「…………(たらり)」
リムルも香りだけでこれが美味しいとわかったのか、口の端から涎が垂れている。
ちょっとはしたないけれど、このパンを前にしてこうならない人はいないと思うので、仕方ないと目をつむってやろう。
「食べる前に、いただきます、だよ」
私は揚げパンをトレーに乗せて机に置くと、お手本に手を合わせて見せてみる。
「………いただきます」
リムルは視線を私と揚げパンを何回か行き来させてそう言うと、揚げパンを口に運んだ。
「っ…………!?」
最初の一口。
リムルは目を見開いて、揚げパンをじっと見つめる。
もう一口。
ほっぺたに手を当てて、お口の中の幸せをかみしめるように両眼を閉じた。
本当においしそうに食べるなぁ………。
多分、最初にマーサさんのパンを食べたときの私も、こんな感じだったのだろう。
リムルは足とバタバタさせているようで、机が小さく揺れている。
「んぐっ……もぐっ……」
やがて、リムルは貪るようにパンを食べ始めた。
もう少し味わって食べたほうがもったいなくていいのだけど、幸せそうなリムルを邪魔してはいけないだろうと、私は特に口を出さずに見守った。
「あっ…………」
そうして最後の一口を飲み込んで、リムルは空虚となったその手を寂しそうに見つめた。
「………っ!」
だが、すぐに何かを思いついたようにパっと表情を明るくさせると、その赤くて小さな舌を出して、
「………(ぺろっ)」
自らの指を、なめ始めた。
幸せそうだ。
揚げパンの真骨頂は、砂糖とココアパウダーに他ならない。
パンの言う特性上、ナイフやフォークを使って食べることはなく、基本的には手に掴んで食べるのが普通だ。
けれど、人は手をあまり汚さないために、無意識下で親指と人差し指だけを使って揚げパンを食べる。
それが、最後の楽園――――、指についた砂糖とココアパウダーを舐めるその瞬間へとたどり着く鍵なのだ。
「食べ終わったら、ごちそうさま、だぜ?」
「…………ごちそうさま、でした」
リムルは唇についてしまったパウダーをペロリと舐めると、ほっと一息吐いて、こちらをじっと見つめてくる。
「………名残惜しそうにしても、もうないよ?」
「っ! い、いえ、そんなつもりじゃ………」
「いいっていいって。我慢は体に毒だし、さ?」
この様子なら、リムルはパンの魅力に夢中だろう。
私は椅子から立ち上がると、リムルの背後へと回って、耳元へと顔を近づける。
そして、畳みかけるように、
「ここにいれば、これがいくらでも、食べられるよ?」
「………………………今後とも、よろしくお願いします……!」
よし、落ちたな(確信)。
一章終了。次回は新キャラ。
モチベ上がるのでブクマ評価暮れると嬉しいです。ちびちび上昇中。