吸血姫
今日の朝は特に気分が悪かった。
最近ずっと倦怠感が続いている体を無理やり動かして何とか制服に着替えると、私は棚から瓶を取り出した。固くしまっている蓋に少し手間取りながら開けると中から黒い錠剤を何粒か取り出して口の中に放り込む。がりっと歯で噛むとよく知る味が口の中に広がって嫌気がさしてくるのに、私の体は歓喜しているかのように先程までの倦怠感が少しずつ和らいでいく。少し休憩を取れば大分体調が回復したため鞄と日傘を持ち、学校へと足を踏み出した。
「おはよう、ひらり!…今日も気分悪そうだね、大丈夫?」
「おはよう。最近、少し夏バテしてるのかも…えへへ」
「気分悪くなってきたらちゃんと言ってよ?無理はだめだからね?」
「うん、ありがとう」
教室に入って早々に友達から心配されてしまった。顔色の悪い私をいつも心配してくれる彼女に申し訳なくてついうつむいてしまう。
私なんかを心配する必要ないのに…。
周りは私のことを病弱だと思っているけど本当は違う。
だって私は……
「ひらり」
「…!」
ハッと顔をあげると教室の入り口のところによく見知った男子生徒が立っていた。彼は私の様子を見るとわずかに口の端をあげ、ゆっくりと近付いてくる。
私はとっさに鼻と口を押さえて彼から逃れるようにしゃがみこんだ。周りにいたクラスメイト達が心配そうに声をかけてくるが今の私にはそれに答える余裕がない。
彼が近付いてくるたびに濃厚になる香りに気が狂いそうだ。
「ひらり、無理はいけないよ?さ、保健室に行こう」
「…やだ、いかない」
「駄々をこねるのはダメだよ。ほら、皆にも迷惑がかかるから。ね?」
そう言って彼は心配そうな顔で私の腕を取った。いかにも心配していますという態度で私を連れ出そうとしているが、その目は楽しくて仕方ないと語っている。力の入らない足で踏ん張るが彼の方が力が強く、バランスを崩してしまい彼の胸に寄りかかってしまった。
「ほら、じっとしてて」
「…ぅわ!」
彼は私の背中と膝に腕を回して横抱きにした。不安定な体勢に思わず彼の首にすがり付いてしまい、彼の香りがよりいっそう感じられて目眩がしてくる。一刻も早く離れたいのに助けてくれる人はいるはずもなく、彼にされるがまま保健室へと連れていかれてしまった。
「よかったな、ちょうど誰もいないぞ」
保健室の扉を開けて中を確認する彼、花霞紫郎は鍵を閉めると私をベッドに放り出した。そのままベッドにぐったりと横たわる私をじっくり観察するとシャツのボタンをあけて私に覆い被さってくる。
「…や、こな、いで……っ」
口と鼻を手で覆って顔をそむける私を彼は静かに笑った。
「大分弱ってるみたいじゃないか。今回は大分頑張ったもんな?」
えらいえらいと私の頭を撫でるとそのまま後頭部に手をまわし彼の首もとへと近付けられる。目の前には少し日に焼けた綺麗な首筋。
その薄い皮膚の下にはきっと芳しい血が流れて……
「いや…っ!!」
「駄々をこねるな。欲しいんだろ?俺が許可してるんだ、拒む必要はない」
「…あなたには、分からないっ!!」
私は必死に本能に抗いながら腕を突っ張り彼を押し退けた。
彼には、普通の人達には絶対に分からない。
私のような吸血鬼の気持ちなど!!
私がどれだけ普通の人になりたいと願ってもこの化け物の体は血を求めてやまない。その欲望に抗うのがどれほどの苦痛を伴うのか、そして結局は我慢することのできない自身にどれほどの絶望を抱いているのか決して分からないだろう。
「化け物の私の気持ちなんか…あなたには、分からない…っ」
知らずこぼれた涙が頬を伝っていく。彼はそっと私の涙を拭うと暗い笑みを浮かべた。
「ああ、分からないな。下らない」
「……っ」
「素直になれよ、ひらり」
そう言うと彼はまた自身の首筋に私の尖った歯を当てようとしてきたため私は抵抗をした。言うことを聞かない私に彼はしびれを切らしたのか舌打ちをすると親指を自分で噛んだ。その途端にぶわりと香りが沸き立ち頭がくらりとする。
「体は素直みたいだな」
彼の親指から滴り落ちる血に目を離せないでいると彼はくつくつと笑う。
「良い子だ、ひらり」
彼の指が近付いてきて、気がついた時には私はそれを口に含んでいた。
あぁ、まただ…また私は人間にはなれなかった……。
彼の血に体は歓喜しているのに、私はまた涙を流す。
「それでいいんだよ、ひらり…」
嬉しそうな彼の声を聞きながら私は目をつぶったのだった。