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彼と彼女の365日  作者: 如月ゆう
August
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8月8日( ) 勉強合宿・三日目

 勉強合宿も折り返しの三日目。


 一面に漂う湯気。ただでさえ甲高い声は壁などに反響して聞こえ、見渡せば肌色ばかりが目に入る。

 そんな数少ない憩いの場の一つ――お風呂場で髪の毛を洗っていた私は、そっとため息を吐いていた。


「…………幸せ、逃げるよ?」


 そうすれば隣からは声が掛かり、同時に人の座る気配が……。

 生憎と、シャンプーが目に入ることを恐れて正体を確認できない状況にあるのだけど、聞き馴染みのある声音だったために誰なのかすぐに理解する。


「……そんなに疲れた?」


 入学して早四ヶ月。誰よりも一番仲良くしている自信のある友達――かなちゃんはそう心配そうに問い掛けてくれた。


「ううん……別に、そういうわけじゃないの」


 けれど、違う。そうじゃない。

 確かに大変な毎日だけど、勉強がそれほど嫌いではない私にとってはそんなに苦痛だと思っていなかったりする。


「…………じゃあ、何で?」


「じ、実は……一組から落ちそうなの……」


 毎日行われるクラス分け……その順位が悪く、落ちそうで私は困っていた。


 今の、この時間を楽しんでいられるのは偏に、彼の存在があるから。

 一緒のクラスで、同じ空間で過ごせるからこそ、私は頑張れていたのだ。


 明日、もし別クラスになってしまったら、私はどうすればいいのだろう……。五日目は帰るだけで、実質最終日だというのに。


「…………それこそ、畔上くんに教えてもらえば……?」


 本気で悩んでいる私とは裏腹に、かなちゃんは事も無げにそう告げる。


 ――が。


「む、無理無理……! まだそんなに話したことだってないし、それに他の子たちを差し置いて抜け駆けなんて……」


「…………そんなの、気にしなければいい」


「そうじゃなくて……! その……あとが怖い…………」


 今のクラスが穏便でいられているのは、意外や意外。彼女の幼馴染さんである蔵敷くんの功績だったりしているのだ。

 彼が翔真くんの友達でいるおかげで、自由席という形態をとっている教室の最も競争率の高い席が必然的に埋まるようになるのだから。


 そして、その蔵敷くんと幼馴染であるかなちゃんのおかげで、彼らの一つ前という良スポットに私もまた(あやか)れているというわけ。


 だというのに、それが突然翔真くんの隣に座ろうものなら、確実に敵対視されてしまう。

 故に、かなちゃんの無謀な助言は受け入れられない。


「うわー……大変…………」


「そうなんだよ…………って――べ、別に私は翔真くんの話とは一言も……」


 無謀な、勝算の低く、身の丈に合わない恋。

 だから、いつの間にかの誘導尋問に気が付き、何とかはぐらかそうとするけども、「分かった」とばかりに露骨に手を振られるだけだった。


「…………それより、さっきの話は本当?」


「えっと…………さっきのって?」


 髪の手入れが終わり、今度は身体。

 持参したボディソープを手に垂らし、泡立てると優しく素手でなぞっていく。


 その間に投げかけられたかなちゃんの質問であったのだけど……要領を得なかったため、再度聞き返した。


「『畔上くんとそんなに話したことない』って話。……同じ部活のマネージャーをしてるよね?」


「あ……うん…………実はそうなの。私たち一年生は雑用が多くて、ドリンク出しは殆ど三年生の担当だから……。だから話す機会なんてないし、もしかしたら私がマネージャーだってことも……知らないかも…………」


 どうしよう……言ってて、自分で悲しくなってきちゃった…………。


「…………ふーむ、そっか……」


 そして、かなちゃんはといえば、何でもないように髪の毛を洗っている。

 私の時と同様に、目を瞑ったまま。


 ……はぁー、本当にどうしようかな…………。


 この合宿の一番の謎である三泊五日――この意味が最近では生徒の間でまことしやかに囁かれ始めており、それが真実ならば、このクラス争いはさらに苛烈を極めることになるだろう。

 そうなれば私は、もうダメだ。


 結局は堂々巡りで、悩み、迷い果てる

 だから、隣の友達の言葉に気が付かなかった。


「…………やっぱり、あの作戦かな」



 ♦ ♦ ♦



 それが起きたのは、夕食と入浴の終えた夜の自習時間。

 ここ一組は勉強のことであれば大抵のことが許されており、持参した夏休みの宿題はもちろんのこと、生徒同士での教え合いも周りに迷惑のかからない範囲でなら認められていた。


 だから、かなちゃんは急にこう告げる。


「ねぇ、詩音……これ、分からないんだけど……」


 机を滑らせるようにして見せられたのは数学の問題。


「ご、ごめん……テストの対策で忙しいの」


 …………かなちゃんは忘れたのだろうか。お風呂場での話を。

 友達として教えたい気持ちはあるけど、生憎と私は自分で手一杯だ。しかも、私でなくてももっと頼れる人が彼女にはいる。


 だったら、そっちにお願いして欲しい。


「……ん、了解。てことで、そら教えて」


 そんな思いで断ると、切り替え早く即座に後ろの幼馴染へと話しかけた。


「何が『てことで』だよ……。…………で、どれ?」


 すると、彼もまた文句を言いながらも頼みを無下にはせず、ちゃんと聞き届けている。

 少し羨ましくなる、いつもの光景。


 ……………………あれ?


「この問題」

「あぁ、それはな――」


 そう、いつもの光景だ。二人は困ったらまず、互いに声を掛ける……はず。

 なのに、珍しいことに、私に先に話し掛けた……。


 席が後ろだから、気を使った……?


「――あっ、待って。ちょっと見づらい」


「見づらいって、学校ではこのスタイルだろ……」


 何やら、小さなやり取りを二人で挟むと、かなちゃんは手を合わせてこちらを向く。


「だから……ごめん、詩音。そらと席を交換してくれない?」


「…………え?」


 突然の展開に私は付いていけない。

 だからか、蔵敷の方がツッコミが早かった。


「いや、俺の話を聞けよ……」


「…………そらこそ私の話を聞いて」


 そして、無茶ぶり。

 少しばかり、蔵敷の方に同情しそうになる。


 ――だというのに。


「……………………あぁ、なるほどな」


 何故か、次の瞬間には彼は納得していた。


「なら、俺は別にいいぞ。翔真もいいか?」


「それは構わないけど……でも、当の菊池さんの意見がまだだよ」


 …………あっ。私の名前、覚えててくれたんだ。

 話には全く関係ないけど、それだけで私の心は有頂天。


「…………だって。詩音、変わってくれる?」


 その一方で、かなちゃんは問う。

 同時に気付いた。これは、私のためなんだ……と。


「じゃ、じゃあ……お願いします!」


 頭を下げた私は、いそいそと移動する。

 元々の席順より、そのまま反時計回りに座り変わればそれだけで引っ越しは完了であり、私はさっきまで翔真くんが使っていた席へと座ることができた。できてしまった。


 お風呂上がり……というのもあるのだろうけど、そこはまだ彼の温もりが残り、仄かにいい香りもする。

 …………どうしよう、勉強に集中できるかな……。


「――あっ、そうだ」


 ほんの少しばかり興奮冷めやらぬ私を前に、蔵敷くんは何かに気付いたように振り向いてきた。


「翔真、さっき『テスト対策してた』って菊池さんは言ってたし、何なら勉強を教えてやれよ。どうせ宿題も終わって、適当なプリントを解いてるんだしさ」


 ……………………えっ?


「構わないよ。分からないところがあったら、聞いてね」


 ……………………いいの?

 まさに、至れり尽くせりな展開なのだけど。


「…………こ、この問題……とか」


「その問題ね。それはこの文章から――」


 一つのプリントを二人で囲むため、必然的に距離は縮まる。

 先程の温もりを、香りを、より直で感じられて……正直、死にそう……。


 もう、頑張る。私、頑張る……!

 絶対に、明日も翔真くんと一緒に授業を受けてやるんだから!

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