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番外編「ぺんぎん番長」

 金属バットから滴り落ちる血。

 青痣や血だらけになって気を失っている青年の山の頂に、そのセーラー服の“少女”はいた。

 長袖のブラウスは返り血で真っ赤に染まり、バットを握る手もぬめりとしている。

 “少女”にはここにいる男たちに、ほとんど見覚えがなった。

 中高生、それに無職の未成年、中には成人男性も混ざっていたかもしれない。多くの男たちが“少女”に襲いかかり、そして半殺しにされた。

 折り重なった人の山の中から男が這い出して来た。その男はナイフを握り締め、“少女”の背後から突進して来た。

 “少女”は呆然とそこに立ちつくし、一点の曇りもない蒼穹をただ眺めていた。

 もはや男は体力も残っておらず手元が狂ったのか、ナイフは“少女”の脇腹を掠めたかのように見えた。だが、それでも刃は肉まで達し、鮮血が滲み出す。

 バットを握る手に力が入った刹那、“少女”は振り向きざまにバットを横振りにして、鈍い音と共に男を薙ぎ倒したのだった。

 “少女”は無表情だった。

 空はあんなにも澄み渡っているのに、“少女”の心は晴れない。

 “少女”はバットを投げ捨て、どこにいる持ち主に返した。そして、この場をあとにしようとした。

 すると、前から“少女”と同年代か、少し幼いくらいの同じセーラー服の少女が駆け寄って来た。

「姐さーん!」

 手を振って寄って来る少女に“少女”は視線すら合わせなかった。知っている顔ではあった。同じ中学、同じ施設で暮らしている(あかね)という少女だ。

 施設で暮らしていると言っても、そこにはほとんど帰っていない。

 帰る場所など自分にはないと“少女”は思っていた。

 すでに両親はこの世にいない。その後、一人暮らしの祖母に引き取られたが、いつしかその祖母もさじを投げた。原因が自分にあることは“少女”もわかっていた。

 しかし、“少女”は世界に反抗し続けた。

 世界とはすべて。環境やそこに住む人々や運命そのもの。

 “少女”は運命に抗いたかったのかもしれない。

 だから“少女”はいつも独りだった。

「姐さんケガはないッスか?」

 それなのに、今はこの茜に付きまとわれている。いくら振り払っても茜を付いて来た。

 はじめのうちはそれが鬱陶しくもあったが、今はそれが心に、心になにか感じたからこそ、さらに“少女”を閉ざした。


 毎日のように喧嘩に明け暮れ、やがては誰も“少女”に手を出さなくなった。

 それによって“少女”は喪失を感じ、さらなる孤独を感じた。

 今まで自分を育てて来た人たちや、面倒を看てもらった人たち、“少女”はその人々に“いらない子”の烙印を押され続けた。

 そして、再びのその烙印を押されたのだ。

 喧嘩という形であれ、“少女”と関わりを持っていた奴らも、もういない。

 気がつけば茜すら“少女”の前に顔を出さなくなっていた。

 はじめは気にもしなかった。はじめから受け入れるつもりがなかった茜が消えても、気にすることではない筈だった。

 しかし“少女”は自分と茜を引き受けている施設に足を運んでいた。

 施設にいる子供たちは、明らかに嫌な顔をして“少女”を出迎え、大人たちは表面的には温かく迎えた。

 “少女”にはすべてわかっていた。

 大人のそういうモノは、幼い頃から感じ取っていた。

 この場所に茜の姿はなかった。

 さらに大人たちに尋ねると、皆口を濁した。

 癪に障った“少女”は男性職員の胸倉を掴みすべてを吐かせた。

 “少女”を襲う酷い喪失感。吐き気がするほどだった。

 ――茜は死んだ。

 悲しみよりも、なぜか憎しみが沸いた。

 なぜか茜のことが憎くて憎くて……でも、その先には悲しみがあった。

 さらに職員を問い詰めると、茜はどうやら男と一緒に、男の部屋で死んでいたらしい。それ以上のことはわからないと言った。

 “少女”は職員の顔面を殴り倒し、そのまま施設を飛び出した。

 多くの記憶が埋ずもれていくような感覚に陥った。

 世界が色を失い、音さえも忘却された。

 ただ聞こえて来るのは茜の声だけ。

 いつそこに立ったのかは覚えていない。

 “少女”は髪を風に靡かせながら、歩道橋の柵の上に立っていた。

 世界が揺れた。

 空が墜ちていく。

 “少女”の躰に伝わった衝撃。

 しかし、その衝撃はとてもやわらかいものだった。

「これはこれはお嬢さん、どこにお出かけかな?」

 “少女”は驚いてそのシルクハットの男の顔を見た。そして自分がその男に抱きかかえられていると気づいた。

 世界に色と音が戻ってきた。

「我が輩はこの通り、地獄から天国へ向かうところだ」

 シルクハットの男は後ろから追いかけてくる強面の男たちに目をやった。

「地獄の鬼どもがしつこくてな。逃げ切れぬと思っていたところにお嬢さんが降って来た。空から何かが降って来た日は、我が輩はいつもツイておる。さしずめお嬢さんは幸運の女神ということだ」

「わたしが幸運の女神なんてありえない!」

「少なくともまだ我が輩は不幸にはなっておらんがな」

 シルクハットの男は“少女”を抱えたまま走った。途中で降ろすこともできたのに、なぜかそのまま走り続けた。

 やがて煌めく海が見えてきた。

「海を渡って隣の国に渡れば奴らも追いかけては来られんだろう」

「えっ、ウソでしょ!?」

 シルクハットの男は歩道を飛び出し砂浜を駆けだした。そのまま本気で海に向かっている。

「わたし泳げない!」

 “少女”の叫びを聞いてシルクハットの男は急に足を止めた。

「ならば計画変更だ……と言っている間に鬼どもに追いつかれてしまった」

 十数人の男どもに取り囲まれていた。

「もう逃がしやしねーぞこのペテン師野郎!」

 男の一人が吠えた。

 シルクハットの男は“少女”を砂の上に降ろした。

「ペテン師とは失礼な。喰らえ我が偉大なる奇術――アイン・ツヴァイ・ドラいっ!」

 ゴキッ、シルクハットの男の腰が鳴った。

 殴った二人の男とも共にシルクハットの男は砂の上で身悶えた。その間にほかの男どもが襲ってこようとしていた。

 “少女”が拳を握る。

 吹き荒む風。

 血の嵐。

 男どもは一人残らず片付けられた。

 シルクハットの男は息を吹き返しニカッと笑った。

「その気高き薔薇のごとき姿、我が輩の妻にそっくりだ」

 そして、シルクハットの男はどこからか、棒付きのクルクルキャンディを取り出した。

「我が輩の命を救ってくれたお礼と、友情の証に受け取るがいいッ!」

 そのキャンディを見た“少女”は、蕾が花開いたような満面の笑みを浮かべた。

 つい先ほどまでの殺伐した戦いが嘘のように、“少女”とシルクハットの男は和やか海岸線を歩いた。

「我が輩の息子もお嬢さんのように強く育ってくれればよいのだなぁ」

「息子がいるの?」

「赤子の時から貧弱でな。ひねくれておって、ちょっと変わった子だが、愛すべき我が息子だ」

 なぜか“少女”は涙が零れてきた。

 シルクハットの男はハンカチで“少女”の目元を拭いた。

「塩水などここにはいくらでもある、もう十分足りておるよ」

「変な人……」

「変な人ではないぞ、我が輩は偉大なる奇術師だ。お嬢さん、なにか好きなものはあるかね?」

「ねことぺんぎん」

「それは結構なことだ、実に素晴らしき。我が息子も昔テレビでやっておった『ぺんぺんのマジカル大冒険』が好きだった。我が輩と同じ奇術を使うペンギンが、空を飛んだり、悪党を懲らしめたりする……そんなアニメだったか?」

 この奇術師を名乗る男は、どこからか一枚のチケットを取り出した。

 “少女”がそれを受け取ると、シルクハットの男はマントを翻して歩き出した。

「また運命が交差すれば出逢えることもあるだろう。さらばだ未来ある少女よ、はっははっ!」

 風のようにシルクハットの男は消えてしまった。

 “少女”の手元に残ったチケット。それは水族館のチケットだった。

 水族館はすぐ目と鼻の先だった。

 “少女”は誘われるように水族館に向かった。

 平日でも水族館は人で溢れかえっていた。

 何種類もの魚たちや海の動物たちがいたが、“少女”の目的は一つだった。

 ――ペンギンの水槽。

 生のペンギンを見たのはこれがはじめてだった。ペンギンはおろか、水族館にきたのでさえはじめてだった。

「これがぺんぎん」

 愛らしい姿で歩くペンギンたち。そうかと思うと、水の中では驚くほど俊敏に華麗に泳ぐ。

 まるで空を飛んでいるようにペンギンたちは水の中を泳いでいる。

 “少女”は今見ているすべてを心に刻んだ。

 この記憶は数少ない“少女”の大切なモノとなる。

 絶対に忘れない。

 “少女”は時間の経つのも忘れ、ずっと水槽に張り付いて見ていると、

「ペンギン好き?」

 女の声でハッとした。

 白衣を着た女がタバコを吸いながら水槽の前に立っていた。

 “少女”は鋭い眼で女を睨み付けた。

「ぺんぎんの前でタバコ吸わないで」

「きっとペンギンだってタバコ吸いたいわよ」

「そんなはずないだろ!」

「アタクシの故郷のペンギンはタバコも好きだったし、空も飛んでたわ。こっちの世界のペンギンは……ただ可愛いだけね」

 まだ“少女”が睨んでいることに気づいて、女は火のついたタバコをそのまま白衣のポケットに入れた。

 “少女”は女のことを無視して再びペンギンに魅入ろうとした。

 だが、

「ペンギンのこと好き?」

「…………」

「ねえ、ペンギンのこと好き?」

「…………」

 “少女”は仕方がなく頷いた。

 すると女は笑った。

「もっと素直にしてたほうが可愛げがあるわよ。ねえ、ペンギンになってみない?」

 唐突な言葉に“少女”は理解こそできなものの、なぜか大きく頷いていた。

 そして、“少女”はペンギンのヒナへ……

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