始まりと出会いとチンピラ
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「う……ん……」
眠っていた意識が、覚醒する。暗闇……しかしそれは、『目』を開けることで視界に光が射し込む。
しばらくまばたきし、ゆっくりと目を見開けば……先ほどとは違う、確かな景色が映りこむ。
それに伴い、無意識に出たのは『声』。おそらく自分のものであろうそれは、死んだ直前の90代のものとは思えない若々しさであった。だが間違いなく、自分の声だ。
「まぶしっ……」
先ほどまで暗闇の中にいたのだ、無理もない。日差しが体に照りつけ、ここに確かに自分の体があるのだと実感させられる。
自分の意思に通じて動く……こんなに自由自在に動くのは、いつぶりだろうか。
歳を重ねるにつれ、体の自由というものは効かなくなってくる。それはなんとも歯がゆいものだ。
……だがどうだろう、今は自分の考え通りに動く動く。動くことの感激どころか、楽しさすらあるのだ。
手を確認すると、そこにはしわしわの入ったそれではなく、張りのある健康的な手だ。触れても、若者のそれに間違いない。
「これ、ホントに……?」
手で顔を触り、またも確認。触るだけでは物足りない、きちんと見て、ちゃんと顔を確認したい。
徐々に景色がはっきりしてくる。人並み、建ち並ぶ建物……これらは生前の、現世の景色と似て非なるものだ。
建物は並んでいるのだが、現代的な機械で作られた近代建物ではなく、石造りの中世的なものが多い。
建物があるということは……鏡はないだろうから、窓を。とにかく自分の顔を確認するために、近くの建物に駆け寄り……窓を覗きこむ。そこにいたのは……
「これが……自分?」
現世現代人らしく黒髪黒目。髪は短く切り揃えられており、てっぺんから一本アホ毛が伸びている。顔は整っているものの……イケメンでもブサイクでもない、普通の顔。つまるところ……
「自分の若い頃にそっくりだ。……それが当然なのか」
20代の頃の自分と瓜二つの顔がそこにはある。これで確信できた……神様は本当に、自分の願いを叶えてくれたのだと。
もしも記憶を引き継がないと答えていたら、こうやって若い頃の顔にはなっていなかったのもかもしれない。
まっさらな気持ちで第二の人生を送るのに、記憶のない生前の顔をしてても不便だろうし。
神様は、生前の知り合いと会う可能性は低いと言っていたが……これだけ人が往来していれば、納得だ。それに自分のように若い姿であれば、お互い気づかないだろう。
こんな昔からの知り合いなんて、そうそういないのだから。
「……っと、いかんいかん」
いつまでも自分の顔をまじまじ見ているわけにもいかない。見れば人様の家の窓ではないか、失礼だろう。
「確か……サポートセンター、だったな」
そこへ行けと、神様は言っていた。自分でも意識しないうちに口調が若者のそれになっていることに驚きつつ、彼……トシロウは足を進める。
神様曰く、場所はすぐにわかると言っていたが……
「人も多いし、見つけられるかな。……それにしても……」
道行く人々の容姿に、トシロウはただただ唖然だ。現代社会では、髪染めや外国の違いから髪の色が違う程度の違いはあった。顔立ちも、国によって違う程度のものだった。
だがこの世界では……そんな程度ではない。髪の色はもちろん、人としての顔ではなく動物のような顔をしている者、人の顔をしていても頭から獣の耳が生えているもの。様々な種族がいる。
「はて、この世界じゃ動物は二足歩行で歩くのか……あれは、こすぷれというやつか?」
だが今時の若者ではなく90過ぎであったトシロウにとって、それらが獣人と呼ばれる夢の世界の住人であることは知るよしもない。
ちなみに、口調などは20代のそれになっているものの、今の20代に流行っているもの……まではさすがに補完はしてくれない。
「すぐわかるということは見て目立つって意味だ。……ということは、この街で一番大きい、もしくは派手な建物の可能性が……」
「キャッ」
道行く人々が、不思議に思って振り返るのに気づかないほどに一人言に夢中になっていたのだが、思考に割って入ったものがあった。
短く鋭い、高らかな声。人が多く雑音も響く中で、その声だけが鮮明に聞こえたのだ。
声の主を探すために、足を止める。そして辺りをキョロキョロ見回すと……いた、のだろうか。しゃがみこみ、困ったように眉を潜める女の子が一人。
どうやら、物を落としてそれを拾っているらしい。しかも一つや二つではない。果物……だろうか? 転がるそれらを、一つ一つ手に取りかごに入れていく。
「……まったく」
感心しないのは、周りの態度だ。あからさまに困っている人がいるのに、見向きはするけれども手を貸しもしない。冷たく通りすぎるだけだ。
怒りを通り越して呆れてしまう。世界は変わっても、世の中というやつの仕組みはみなこうなのかと。人と人とが手を取り合う、あの温かな時代はどこへいってしまったのか。
第二の人生とはいっても、あっちでもこっちでも、変わらないものはあるらしい。
「あ、すみません。そこ、通して……ぁ……」
「はい、どうぞ」
「!」
見ていられなくなり、人の流れに消えていきそうな果物を手に取り、女の子に手渡す。女の子はまさか、拾ってくれる人がいると思わなかったのか目を丸くしている。
「あ、ありがとう……ございます……」
「いえ、大変でしょう。手伝いますよ、お嬢さん」
果物を受け取りお礼を述べる女の子に、トシロウは笑いかける。ちなみにだがこれは、好感度アップとかそういう狙いではない。あくまでトシロウの人柄だ。
90余年生きてきたからこそ、人との繋がりを大切にしたいと思えるがゆえの行動。あまり歳の離れていない女の子をお嬢さんと呼んだのも、その中身に90余年分の月日が残っているからこそ。
手伝うために次々果物を拾っていき……残り一つ。そこにあるものを取れば完了である。そのため手を伸ばすが……誰かに、果物を蹴られる。
驚き、その人物を見る。しかしその人物は何かに夢中なのか、気づいた様子もなくその場を通りすぎようとする。それを見てトシロウの中に怒りの感情が湧き……
「ちょいとお兄さん」
「あぁ?」
「ひっ?」
通りすぎようとする巨漢の人物の肩を引っ張り、振り向かせる。その人物は猪のような顔をしており、それを見た女の子からは小さな悲鳴。が、トシロウは怯まない。
「そこの果物、あんた蹴ったな。謝りなさい」
「あぁ? 知るかよそんなこと」
「あ、あの……いいですから、別に……」
「あ、や、ま、り、な、さ、い」
猪顔に臆することなく詰め寄るトシロウ。それを見てか荒事になることを恐れた女の子は、大したことじゃないからと落ち着かせようとするが……トシロウは引かない。
その迫力に、一度はぞんざいに扱った猪顔が逆に臆してしまう。
「っ……わ、悪かったよ。これでいいだろ、離せって……」
「自分にじゃない。この子と果物に。ちゃんと謝りなさい」
なげやりな謝罪を、しかしトシロウは許さない。しつこいぞと猪顔は目を見開き、手をあげて……
「いちいちうるせえぞ!」
「キャアッ!」
「逆上か……まったく最近のもんは」
丸太のように太い腕を振り下ろされ、こんなものが当たればトシロウの細い体などどうなってしまうかわからない。最悪の光景に女の子は目を閉じる。
だが……トシロウはあきれた様子で猪顔を見上げるのみ。そして……
「……っ!?」
振り下ろされた腕を危なげなく避け、相手の懐に入る。そして腕を掴みあげ、勢い余った相手の力を利用して……
「せい!」
……そのまま、背負い投げを決め込んだ。
「っは……げほっ!」
「寄る年波に動かぬ体じゃどうしようもなかったろうが……体さえ動けばお前さん程度、どうということはない。戦場を生き抜いた自分に怖いもんなどないわい」
……余命98年。トシロウにとって昔体験した戦争の記憶……それはこんなチンピラ猪に遅れをとるほど、薄い記憶ではなかった。




