エピローグ:タイトル詐欺は永遠に
「それで、なんで今ここにいるんですか」
「まあ、その何だ。飽きた」
「ひどい」
私の結髪を解き、髪に沸いたシラミ――ではなくムカデをつまんでは取りしながら、オオナムチがため息をついた。この男は私の六代だか七代だかの孫にあたるのだが、何と八十人兄弟の末っ子だという。私の子孫もまあずいぶんと増えたものだ。
大蛇を退治した後、いろいろあって私は最終的に自分で歩いて母のいる『根の堅洲国』へ引っ越した。理由はオオナムチに告げた通りだが、クシナダの死後に迎えた後妻が日光が苦手だったというのもある。
母、つまりイザナミさんは最初のうち
「千引の岩でイザナギ様にあれだけのことを言って現世と線を引いたのに、周りが寄ってたかってなし崩しにする」
と不満そうだったが、年を取るというのはそういうものだ。
私もどうやら、根の国に来てから生まれた可愛い娘を、このどうにもおっとりしすぎて不安を禁じ得ない末孫に掻っ攫われることに甘んじなけらばならないらしい。
最初は年甲斐もなくいじめ殺すか追い払ってやろうとあれこれ画策したものだが、こいつは八十人の兄たちに凄絶ないじめを受けてきて、生死の間をさまよったこと二回。とにかく打たれ強さだけは神々の中でも文句なしにトップクラスだ。
おまけに、娘を筆頭にやたらと周囲の信望を集め、有形無形の援助を集める才能にたけている――いいだろう。スセリはくれてやる。いまもこいつがかみつぶして吐き出していると装っている『ムカデ』の残骸は、実際には椋の実と赤土だ。スセリの入れ知恵なのだ。もう仕方ないではないか。
しかし、自分の数代前の大叔母に当たるような女性に結婚を申し込むとはこいつもなかなかいい根性をしている。
(ふう。数百年も生きていると、さすがに中学生のままの感性ではいられなかったなあ)
「何かおっしゃいましたか?」
「いやなんでも……むにゃむにゃ」
寝たふりをする。どうせこいつはこの後スセリと手に手を取って葦原中国に帰るに違いない。
しゃらん、と鳴った。スセリが愛用している琴の響きだ。そろそろ潮時か、と思って起き上ると――
宮殿が崩れた。
あの人の良さそうな間抜け面をしたすっとこどっこいめ。やりおる。私の髭や髪の毛をひっぱって、そこらじゅうの柱に結び付けていたのだ。
「うおんどりゃああああああああ」
一応逆上してみる。瓦礫を取り除けるのに少し時間がかかったが、折れた柱を引きずって外に出てみると、根の国のはずれ、草原のかなたに高天原からの光が何とか届くあたりを娘と求婚者が手に手を取り合って駆けていくのが見えた。私の太刀と弓も盗み出したらしい。なぜか笑いが漏れた。
「オオナムチ! 葦原中国はお前に任せた。兄貴どもをその太刀と弓でぎたぎたのふるぼっこにしてやれ! 俺のやり残した国づくりを、しっかり完成させてくれよ! スセリをよろしくな――」
声を限りに叫び、娘夫婦を祝福する。隠し通したつもりらしいがあいつらはすでに夫婦だ。オオナムチがこの国にくるなり、二人が出会って結ばれたのはお見通しだ。
走り去るスセリが一瞬こっちを振り向いて、手を振ったように見えた。
宮殿の奥から足音が近づいてくる。妻だ。
「行ってしまいましたね。何だか昔の私たちみたいです」
「いや、あんなシーンはなかった」
「じゃあ今からでも遅くないですよ?」
「頬の熱くなるようなバカをやるのは、もう若いやつらに任せておこう」
「そうですね、私は今十分に幸せです。時間がかかったけど、スサノオ様のところに戻れて本当に良かった」
隣に立った妻の肩を抱きよせ、一呼吸おいて口づけを交わす。神に老衰はない。妻は今でも美しいままだ。
彼女の名は、底津穢食狭蠅比売という。
私の、初恋の女性だ。
=完=
内政なんてなかった。




