襲来、八人の性犯罪者
深爪に切られた手足の指先が痛い。適当な造りのうっすい布の靴越しに、木の切り株や地面に露出した石がごつごつ当たる。
さっきの光は何だろう。もしかしたらサユリがなにかやったのかもしれない。僕が高天原を追い出された直後から、空が真っ暗になって世界は闇に包まれていた。あ、なんかカッコいいフレーズだなぁ。
「せ、世界は……闇につちゅまれていた」
くそ、ちょっと噛んだ。カッコ悪い。
高天原を出る時に頭に乗せられた三角帽子はとっくに、途中の木の枝に引っかかってどこかに消えた。
光で闇が吹き飛ばされてやっと明るくなってきたと思ったけど時刻はそろそろ夜らしい。また石にけっつまづいた。無理して歩くからいけないんだけど、なにかもう、立ち止まったらそのまま泣きぬれて座り込み、立ち上がれなくなりそうな感じなのだ。
「クソックソッ、歩いても歩いても、どこにも家ひとつありゃしない」
お腹がすいた。この体は神様のはずなのに、なんでこうもお腹が減ったりその他もろもろの情けない一次的欲求(保健体育で習ったんだ)に追い回されるんだろう。
延々と続く薄暗い雑木林の中に、やっと何か人工物らしいものを見つけて、僕は息を切らせてそれに駆け寄った。 一休さんのオープニングに出てくる立札みたいな、ちょっと申し訳程度の屋根(?)がつけられた立て看板だ。それにはこう書いてあった。
「性犯罪者に注意! このあたりには八岐大蛇が出ます」
黄色っぽい木目の板の表面に、墨でべっとりと書かれた文字。その下に八本並べられた、蛇の鎌首のようなもの。田舎の県境の農道なんかにある感じの、看板だった。
そんなものでも僕は大いに勇気づけられた。少なくとも僕はまだ生きているし、この近くには人間が住んでいるのだ。
どんどん歩いていくと不意に林がぶつりと途切れ、目の前には赤茶色ににごった水が流れる大きな川と、高天原に匹敵するくらい豊かに青々とした田んぼが広がる、広々とした平野が現れた。豊かな土地だ。
だがその平和な風景の中に混ざった、いやな感じがある。その正体は、先程の林の中で見たのと同じような、ヤマタノオロチへの注意を呼びかける看板だった。
「ヤマタノオロチ……」
ああぁクソックソッ、どうしてもわからないことがあるんだ。マタってのはあれだ、股のことだろ。つまり二股、というように何か一つのものから複数のものが生えているときに言う言葉だろ。二つ出てれば二股、三つ出てれば三つ股だ。だけどさ、自分の体を見て考えるに、僕には股は一つしかないよな。
つまりッ! 二つ以上に分かれているものも、その分かれたものの間にある場所も、どっちも『股』だろ。ヤマタノオロチのマタってどっちなんだ。それともまさか算数の授業で昔習ったみたいに、両端がつながった円形になってるのか。それならどっちのマタでも八つで収まるよなぁーッ」
↑
「あなたはさっきから一人で何をわめいているのですか、お若い方」
どうやら最後のほうを声に出してしまっていたらしい。矢印に注目。
僕に声をかけてきたのは品のいい白髪のお爺さんだ。彼は言った。
「八岐大蛇というのは、このあたりを我が物顔で荒らし回る、八人組の強姦魔集団でしてな。大陸から来た人たちの間では八人の性戯能師と、一人一人は単に『大蛇』と呼ばれています。つまり、頭も八つ、股も八つというわけです。すっきりされましたかな」
「う、うん。でもおじいさんはそんな危険なやつらがうろうろするところに一人で出歩いて大丈夫なんですか」
「わはは、私は男ですからなあ。大丈夫ですよ」
「そっか」
このおじいさんがネットで見た漫画みたいに恐ろしい目に合うことはないらしい。よかった。ほっとしたら何だかお腹がすいていたのを思い出した。膝から力ががっくりと抜ける。お爺さんは苦笑しながら僕を何とか励まし、家まで連れて行ってくれた。
ご飯は美味しかったけど、家の中の雰囲気はなんとなく暗い。おばあさんが時々隣の部屋に行ってはしくしくと泣いて洟をかみ、娘か孫娘らしいきれいな女の子がやっぱりしくしくと泣いている。家の中はなんとなく、この三人だけで住むには広すぎるように感じられた。
そのことをおじいさんに尋ねてみる。一体なぜそんなに顔を手で覆って、ぶるぶる震えて泣いているのか、と。
「ああ、申し訳ありません。泣いているわけではなくて、その。あなたのお顔が大変おかしなことになっているので……ご無礼をいたしました」
うわああああああ、そうだった! 僕の顔は今、片眉剃り落してひげは市松模様に刈り込まれ、さっきまで頭の上には三角帽子が乗っていたのだ。そりゃ笑うよ! 珍妙なうえにも珍妙な、バカの顔だッ!
「ううっ……ちょっと剃刀貸してください、こんなんだったらいっそ全部剃っちゃった方が」
「ではこれをどうぞ。このあたりでは製鉄が盛んなので、いい刃物ができるのです」
お爺さんがすごくよく切れる刃物を貸してくれた。へえ、いいねえ。内政系の主人公が大喜びしそうな土地じゃないか。むさくるしいひげを剃り落とし、眉もきれいさっぱりと剃りあげて黛で細く描いてもらう。娘さんの差し出した鏡をのぞき込むと、そこには意外とすっきりした顔立ちの美青年がいた。
「これが……僕?」
「ほう、これは」
おじいさんが何やら嬉しそうな顔をする。
「よいことを思いつきました。先ほどのお話ですが、実はうちにはもともと八人の娘がいました。ところがあの『八岐大蛇』が現れてからというもの、毎年わずかなスキをついては娘をさらわれてしまい、もうこの末娘のクシナダしか残っておりません」
「む、娘さんたちはどうなっちゃったんですか」
なんとなく嫌な予感がしてきて、僕はおじいさんに真顔で問いただした。
「それはもう……八人もの屈強な男たちに入れ代わり立ち代わり責められたのでは、どんな娘でも早晩、心か体が壊れてしまいます。さらわれてひと月もたつと娘たちは皆……」
ひいい。それでこの流れで、僕に一体何をどうしろというのだ。
「そこでよいことを思いつきました。スサノオ様は聞くところによれば、あの高天原から降りてこられた、太陽神アマテラス様の弟君であらせられるとか。お腰の剣も目にも明らかな業物。拵えからして違いますな。ここはひとつ、女装していただいてやつらをおびき寄せ、一刀のもとに……」
「あ、あの。いくらなんでもその計略は楽観的すぎませんか」
「言われてみれば、八人相手ですから八刀必要になりますな」
「そうじゃなくて」
そのとき、家の戸口からイケメンが一人走り込んできた。
「お兄ちゃん! 話は聞いた。ここを逃したら僕の出番は多分もうなくなっちゃう、手助けするよ」
レイ君(=ツクヨミ)だ。今までどこにいたんだ。
「よし、ちょうどいいお前も女装しろ!」
「ナンデ」
レイ君は素地がいいので僕よりずっときれいな女の子に変装することができた。とりあえず二人ならそこそこ楽になるはずだ。二か月は生き残れる。いやそうじゃない。
村の広場になぜか祭壇が設けられ、豊富な山の幸と八つの酒樽が用意された。やがてくねくねと怪しげに体をくねらせ、蛇属性であることを無理にアピールしながら、屈強な男たちが村に侵入してきた。見るからに凶相の持ち主、いずれも竜の角をかたどった被り物を頭にのせ、服といえばふんどし一つ。
「おお、今年はまたずいぶんと用意がいいじゃないか。酒に肴まで用意してあるとはな」
「娘も一度に二人だ。どうした風の吹き回しかな」
「大方、村長の悪あがきよ。二人ならば少しはもつだろうとか、そんなことを考えておるのに違いないわ」
うん、考えた。
「愚かなことよ。二人なら二人、一日に二倍の激しさで攻め立て弄ぶばかりだ。われら蛇の化生、精の強さは並大抵でないからな」
「わっはっは」
「違いないわ」
「とりあえず、せっかくだからこれを飲んで食って、精を付けるとするか」
おのれ。蛇悪とはッ! 蛇悪とはまさに貴様らのことだッ! 誤字じゃないよ!
恐怖ではなく怒りでぶるぶると震える手で酒を酌み、僕とレイ君は彼らにその眠り薬入りの酒を奨めた。蟒蛇だけにどんどん飲む。まさしく蟒蛇のごとく飲み続ける。
ようやく最後の一人が首をかくんと垂れて眠り込んだ時、僕とレイ君は腰の十握剣をそれぞれに抜き放った。
Eight sperm Gentlemen
バリー・ヒューガート先生、ごめんなさい




