獅子文六『娘と私』
一
私はよく一人酒で飲みに行きます。一人でうんうん言いながら飲んだり、見知らぬ人としゃべったり、バーテンダーとしゃべったりすることは非常に面白い。それは酒を介して話すことが自分と向き合う作業になるからじゃないかと思うためなのです。
偶然の出会い、というものは小説ではよく描かれる一つのロジックですが、酒場というものは偶然の出会いというものの集合体でもあります。
酒を介して話せば、見知らぬ人とでもそれとなく形になる。時にはそれから発展してまた新しい出会いもある。芋づる式にどんどん出会えると言うのは小説では些か奇異なものとして見られるかもしれませんが、こと酒場に至ってはそれが普通なので、これがまた面白い。
酒場が出会いなら小説に限らず、本とは何と形容できるかと思ったりもしますが、デカルトは本について次のように話しました。
すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである。
成程、と思いますが、私はここに一つ言葉を加えたいのです。それは、先ほど話したように偶然の出会い、という言葉なのです。
勿論、誰かに勧められたりした本や、作者名など知っている場合に購入してしまうことを悪く言っているわけではありません。
しかし、偶然に出会ってしまった本というのはそれらの場合に出合った名作の力に勝ってしまうのです。そこにはロマン的なものが加味されたり、美化されたり、そういう要素があるのだとは思いますが、偶然に出合ったしまった良い本の打率が低いからこそ、また尊いものだったりするのです。
こんな言葉がつい出てしまったのが今から書く『娘と私』の話なのです。
二
『娘と私』は元々演出や劇作家を行っていた小説家、獅子文六の作品です。
この作品はノンフィクション、それらしく言えば私小説という形式を取っています。
あらすじを簡単に言うと、戦前、文六とフランス人の嫁の間に出来た娘の成長、そしてフランス人の妻との死別、そして幼い娘を育てるためにした再婚。元々我侭で自由奔放に生きていたかった文六が娘を作ってしまったがゆえのエゴなどの心理描写を事細かく描いた作品、と言ったところでしょうか。
またそこには作家ならではの美的なものへの感情や、戦時中、軍隊を描いた作品を世に出してしまったために逮捕されるかもしれない、という世に出ることを恐れる気持ち、再婚した妻との間にある様々な出来事、フランス人との合いの子であるがゆえの娘と文六の境遇、他にも様々なイベントがどんどん出てくるので中々読んでいて飽きないです。
娘の成長、という意味では『知人の愛』なんかと読み比べても面白いかもしれないし、『娘と私』以前の私小説、ここでは『蒲団』などをさっくり読みましたが、その観点で読み比べても面白いかもしれないです。
楽しみ方は人それぞれだが私の場合は単純に読み物としても十分に面白かったです。特に文六と娘、そして再婚した妻との間にある心の揺らぎというのは非常に面白かったです。
当然私小説とはいえ、回想するように作品を描いているので、その心の揺らぎと言うのは客観的立場から描いてはいるようなのですが、随分と生々しいから驚嘆します。
それは精細に描いた娘の成長がそう感じさせるのかもしれません。年齢とは、老いていく度に、思想や性格、体つきという表面上で伺えるものの変化というものもありますが、もう少し社会的であったり文化的なものを加味すれば、通過儀礼という言葉が思い浮かびます。
今でこそその通過儀礼と言う言葉の垣根は大分崩れ去ってはいますが、昔で言えば元服、成人、初潮など大きなイベント事が年を重ねる度に存在していました。
一般に小説でティーンエイジャーを描いて恋愛事をさせるのは、その時期が恋愛の適齢期であるからでしょうし、思春期と相成って複雑な感情が描けるからその巧妙さを見るのは読者側からしても面白いからでしょう。
そして、『娘と私』にはそういった要素が絡みに絡んで面白さを感じる、といったところでしょうか。
また、再婚した妻との話に移りますが、この間の感情と言うのも複雑なものです。
文六は本当は結婚などしたくはなかった人間です。自由奔放に暮らしたい、気軽であるがゆえにの楽しさというものを味わいたかったが、フランス人との間に子供が出来てしまったために仕方なく結婚してしまった人間です。そのために、再婚した妻に求めることは娘の子育てでした。
夫婦としての営みのことを文六は勿論考えてはいますが、文六が一番欲するところは娘を育ててもらうこと、そして文六自身が文筆活動を滞ることなく行うことでした。
更に当然起こりうるであろう、死別した元妻と再婚した妻との比較。なんでお前は亡母のように動いてくれないんだという怒り。しかし、小説が進むに連れて大きくなる再婚した妻との愛情がそこにはあります。
そもそもこの小説は後書きで、再婚した妻が亡くなった後に再婚した妻との回想記を書かないかという話があった、と文六は話しています。
ここで言ってしまうといけないのでしょうが、そのことを頭に入れて、もう一回読むと大分味わいが変わるのではないでしょうか。
あえてですます調で。
新年早々初潮かよと言われた。
いいじゃねぇか別に。
自分が二番目に好きな作品でした。