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涙の処方箋

「――それはね、彼。草薙君が原因よ。」


 保健室に響いたその言葉に、景は小さく息を呑んだ。

 今沢緑。鳳学園の養護教諭であり、生徒の心のケアまで請け負う先生。

 柔らかな声の奥に、どこか核心を突くような鋭さがある。


 恭子が泣き出した景をここまで連れてきたのは、ほんの数分前のことだった。

 ベッドに腰を下ろした景は、震える声で昨日の出来事をすべて話した。

 倉庫のこと。登夢に助けられたこと。

 そして――自分が泣いてしまった理由が、どうしてもわからないこと。


 今沢は静かに頷き、少しだけ目を細める。

「なるほどね。……ちょっと荒療治になるかもしれないけど、聞いて。」


 景は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「あなたね、草薙君のことが“好き”なのよ。」


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。

 言葉の意味が、理解できなかった。

 けれど心臓だけが、ひどく騒いでいた。


「でもね、あなたはその“好き”を自分で許せないの。

 あの子に怪我をさせた。自分のせいで傷つけてしまった。

 ――だから、好きでいる資格がないって思ってるの。」


 今沢の穏やかな声が、まるで心の奥を覗いているようだった。


 景は俯いたまま、小さく呟く。

「……私、草薙君が……好きなの? 本当に?」


 涙がまた頬を伝う。

「わからない。だって、私……あの人に辛い思いをさせちゃった。

 きっと許してくれない。

 それなのに……」


 唇が震える。

 声にならない想いが、あふれていく。


「……でも、あの笑顔が好き。

 あの夜、私を抱き上げてくれたときの笑顔。

 優しくて……あったかくて……。

 あの笑顔を、私にだけ向けてくれたら、嬉しいって思っちゃう。

 でも、だめ。

 あたし、あの人を傷つけた。

 きっと嫌われてる。

 ――嫌。あの人に嫌われるのだけは、絶対に嫌。」


 目を閉じても、登夢の笑顔が焼き付いて離れない。


「でも……もう、あの人は私のことなんとも思ってない。

 きっと、嫌ってる……どうしよう……。

 わからない……。

 あたし、あの人を好きになる資格なんか……ない。」


 言葉は涙に溶け、声にならなかった。

 何をすればいいのか、何を言えばいいのか、何ひとつ見えなかった。


 “なんとも思われないこと”――

 “嫌われること”――

 そのどちらも、たまらなく怖かった。


 景はついに、声を上げて泣き出した。

 恭子は、そんな彼女を抱きとめることしかできなかった。

 小さな肩を、自分の胸の中で震わせながら。


「……はぁ、重症ね。」

 今沢はため息をつき、しかしどこか優しい眼差しで二人を見つめた。


「先生、どうにかなりませんか。私たちでは……。」

 恭子が震える声で言う。

 泣き続ける景の髪を撫でながら。


「そうね。少し“処方”が必要かもしれないわ。」

 今沢は意味ありげに微笑んだ。

 その笑みには、どこか策士めいた光が宿っていた。


 ***


 午後の授業。

 景は何とか教室へ戻り、席に座った。

 だが、黒板の文字はまるで頭に入ってこなかった。


 ――登夢の姿が、見れない。


 午前中よりもひどかった。

 ただその姿を見るだけで心が痛むのに、見られないことはもっと苦しかった。


 “私は彼が好きなのかな?”

 “彼は私のこと、どう思ってるのかな?”

 “嫌われたのかな?”


 問いが堂々巡りして、止まらない。

 無限ループのように、頭の中をぐるぐると回る。


 視線を上げても、もう彼の姿は見えなかった。

 それだけで、胸の奥にぽっかりと穴があく。


 春の日差しが窓から差し込んでも、

 景の世界はどこか淡く、静かな灰色に沈んでいた。

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