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救いの灯

 景が目を覚ますと、そこは薄暗いコンクリートの部屋だった。

 ここはどこ――。どうしてこんなところに。

 混乱する頭の中に、ふとあの迷子の男の子の顔が浮かぶ。

 助けに行かなきゃ、と身体を動かそうとして――動かない。

 手足がビニールテープで固く縛られていた。しかも、身体の芯までしびれたように力が入らない。


 ――何かの薬?

 胸の奥に冷たい恐怖が広がっていく。

「私……このまま、どうなっちゃうの……?」

 かすかな声が漏れ、目に涙が滲んだ。


 そのとき――。

 カチャリ、と扉の金属音がした。

 息を止める。ゆっくりとドアノブが回り、扉が開いた。


 逆光の中に現れたのは、見慣れた姿。

「……草薙君?」

 景は思わず声を漏らした。


 登夢は何も言わず、迷いもなく景のそばに歩み寄ると、

無言のままテープを切り裂いた。

「……大丈夫か。」

 短い声。それでも、景にはその言葉が胸に響いた。


「ええ……だいじょ……」

 立ち上がろうとした瞬間、視界が揺れる。足に力が入らない。

「……大丈夫じゃないな。まだ薬が残ってる。」

 登夢はそう言うと、ためらいもなく景を抱き上げた。


「ちょ、ちょっと待って! な、何するの……!」

 顔が一瞬で熱くなる。

「……俺しかいないから、問題ない。」

 微かに口の端を上げて笑う登夢。

 その笑顔を見た瞬間、景の心臓がどくんと跳ねた。

 怖さよりも、不思議な安心感が胸に広がっていく。


「……そうだ、あの男の子は?」

「大丈夫だ。警察が保護してる。」

 登夢の声は静かだったが、その息は浅く乱れていた。


 目を凝らすと、彼の服は裂け、血が滲んでいる。

「……草薙君、その怪我……!」

「大丈夫。心配ない。」

 そう言いながらも、登夢の足取りはふらついていた。


 やがて二人は倉庫の外へ出た。

 外はすっかり夜になっており、港の倉庫街にはパトカーの赤色灯が反射していた。

 波とサイレンの音が混ざり合い、まるで夢の続きのようだった。


 そのとき、背の高い男がこちらへ歩いてくる。

 登夢に似ている――けれど、もっと鋭い眼差し。

「登夢、話がある。少し来い。」

 低く鋭い声。草薙大、登夢の兄だった。


「……すまない、ここで待っててくれ。」

 登夢は景を近くのベンチに下ろし、大の方へ向かう。


「ま、待って……!」

 景は立ち上がろうとして足がもつれ、その場に崩れ落ちた。

「大丈夫?」

 駆け寄ってきた婦警が景を支える。


「草薙君のところに……連れていってください。あの人、怪我してるの。

 私のせいで……助けてくれたの、私のために……。」


「わかりました。私は汐見。あなたは?」

「岸本景です。私立鳳高校、二年C組。」


「えっ、もしかして――恭子のクラスメイト?」

 婦警――汐見は目を見開いた。

「……もしかして、恭子ちゃんのお姉さん?」

「そう。あの子の姉よ。行きましょう、景ちゃん。」


 汐見に支えられながら、景は再び登夢のもとへ向かう。


 一方その頃、少し離れた場所で――。

「なぜ待てなかった。ひとりで突っ込むなんて、馬鹿か。」

 大の声は低く響いた。

「……知り合いがいた。だから、待てなかった。」

「知り合い? ……まさか、あの娘か。」

 登夢は黙って頷く。


 その仕草を見て、大は小さく息を吐いた。

 冷静沈着な弟が、女の子のためにここまで動くとは。

 怒りよりも、どこか誇らしい気持ちが込み上げてくる。


「……そうか。なら、仕方ない。よくやったな、登夢。」

 大は登夢の頭を軽く撫でた。


「だが、この怪我は重い。病院へ行け。

 親父と爺さんには俺が伝える。……ただし、母さんには自分で言えよ。」

 そう言って登夢を肩に担ぐ。


「……一人で歩けるよ、兄さん。」

「やせ我慢するな。立ってるのがやっとだろ。」


 その背を、景はただ見つめていた。

 救急車の灯が港を照らし、サイレンが遠くで鳴る。


 ――私のせいで、草薙君に怪我をさせてしまった。

 でも、あのときの笑顔を、きっと忘れられない。


 救急車の中、景は静かに目を閉じた。


 景と登夢、そして付き添いの汐見を乗せた救急車は、鳳学園の近くにある山崎病院へと到着した。

 この病院は、部活中の怪我などで学園の生徒たちがよく世話になっている場所だ。

 見慣れた玄関灯の明かりが、ようやく「助かったんだ」と実感させてくれる。


 景はまだ麻酔薬の影響で体が少し重かった。

 一方、登夢は深い傷の治療が長引いており、処置室から戻ってこない。

 景は待合室のソファに座って、ただ登夢を待つことにした。

 汐見も心配そうに隣で寄り添っている。


 しばらくして、草薙大が現れた。

「先に帰るかい? 送っていくぞ。」

 低く落ち着いた声。

 しかし景は、首を横に振った。


「君の両親にはこちらから連絡しておく。もうすぐ迎えに来るだろう。登夢を待つのは、それまでだ。いいね?」

 景は小さく頷いた。


 それからさらに時間が過ぎた。時計の針が何度も進んでも、登夢はまだ戻らない。

 景の胸に、少しずつ不安が広がっていく。


「……登夢とは、付き合ってるのかな?」

 唐突に大が口を開いた。


「えっ!? ち、ちがいますっ! ク、クラスメイトです!」

 景は真っ赤になり、慌てて手をぶんぶん振る。


「そうか……痛っ!」

 大が顔をしかめる。

 見ると、隣の汐見が大の足を全力で踏みつけていた。


「あなた、何を聞いてるんですかっ!」

「な、なに怒ってるんだ?」

「黙りなさい。」

「い、痛い痛い! わかったってば!」


 シュンとする大の姿に、景は思わず吹き出しそうになった。

 ――なんだか、草薙くんのお兄さんも悪い人ではなさそう。


「あの……草薙君って、ずっとあんな感じなんですか?」

 景は恐る恐る尋ねる。


「そうだな。感情をあまり表に出さない。

 でも、根は真っ直ぐだ。人のためなら無茶もする。」

「……今日、何があったんですか? 私、何もわからなくて。」


 景がそう言うと、大は少しだけ考えてから静かに答えた。

「詳しくは言えないけど……あの三歳くらいの男の子、覚えてるだろう?

 あの子が“訳あり”でね。狙われてたんだ。

 君が迷子として連れて行こうとした時に、君ごとさらわれた。

 登夢はそれに気づいて……君を助けに行った。それだけだよ。」


 景は、言葉を失った。

 登夢が――自分を助けに?

 あの無表情な彼が、そんな無茶を?


「普段はあんなこと、絶対しない奴なんだ。……君がいたから、動いたんだろうな。」

 大の言葉に、景の頬が一気に熱くなる。


「草薙さん、そういうこと本人の前で言わないでください。」

 汐見が呆れたようにため息をつく。


「わかった、わかった。けどな、あいつの気持ちは――中途半端じゃない。

 そのことだけは、わかってやってくれ。」


 景は何も言えなかった。

 今日一日の出来事があまりに多すぎて、心の整理が追いつかない。


 そのとき、病院の入口から慌てた様子で景の両親が駆け込んできた。

 母親は景を見るなり、涙を流しながら抱きしめた。


 ――そうか、私は誘拐されたんだ。

 心配かけちゃったんだな……ごめんなさい。


 景はそっと母の背に手を回した。

 時計を見ると、すでに午後十一時を回っていた。


 結局、登夢が処置室から戻ることはなかった。

 景は泣き腫らした母と共に、帰ることを決めた。


「お兄さん……草薙君に、伝えてください。

 “ありがとう”って。」


「任せてくれ。あいつも、君のことを気にしてた。

 安心しなさい。後で事情を聞きに伺う。そのときは頼むよ、景ちゃん。」


「はい。今日は……本当にありがとうございました。」


 父は何度も頭を下げ、母はずっと泣き続けていた。

 景は、病院を離れるまでずっと――登夢のことばかり考えていた。


 あの笑顔。

 あれは、同情? それとも――。


 “……また、あの笑顔が見たい。”

 心の奥から自然に浮かんだ想いに、景は自分で驚いた。

 どうしてそんなことを考えるのか、わからない。

 でも、胸の奥が少しだけ温かくなっていた。


 車の揺れが心地よく、景はそのまま眠りに落ちた。


 ――登夢の治療は、夜半まで続いた。

 本来なら入院が必要な重傷だったが、病院に勤める雷の両親の計らいで、

 登夢は無理やり退院した。


 “……学校へ行かないと。あいつが、心配する。”

 その想いだけが、彼の身体を動かしていた。


 兄・大に支えられ、登夢が自宅へ戻ったのは午前三時を回ったころ。

 深い眠りの底で、彼の意識はまだ、

 あの港の夜の光と――景の微笑みを、ぼんやりと追っていた。

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