微笑の裏で、動き出す影
その週の日曜日、登夢は遊園地にいた。
悪友の雷伴隆に頼まれ、雷の親戚・谷神冬華のデート相手である下村を見張るという、なんとも面倒な役目のためだ。
雷の家には、冬華の双子の妹・静耶と姉の未来も居候しているらしい。
話に聞くだけで騒がしい。登夢としては正直、関わりたくない類の話だった。
とはいえ、雷から頼まれて断る理由もなかった。
結果、遊園地へ来る羽目になったのである。
通学用ではないガンメタリックのBMWを駐輪場に止めたときまではよかった。
しかし、混雑した園内に足を踏み入れた瞬間、登夢は早くも場違いな居心地の悪さを感じていた。
春先の遊園地は、どこを見てもカップルばかり。
明るい笑い声と、手をつなぐ影。
そんな風景に、ふと景の顔が浮かんだ。
登夢に話しかけてくる女子は少ない。
恭子や女子空手同好会の須賀くらいだ。
彼は自ら人との距離を取っていた。
誰かを巻き込むのが怖いから。
――それでも、景のことは気になっていた。
似ている気がする。だが、違う。
そう胸の奥で呟き、登夢はその想いを振り払うように冬華の姿を探した。
日曜日の遊園地、入場ゲートは修羅場と化していた。
今日は快晴。春の日差しがまぶしく、客足も多い。
その入園口で、登夢は思いがけず景と再会した。
景はアルバイトでチケット売り場に立っていた。
制服の袖口を整えながら、来園者へ笑顔を向けていた。
――彼女がこの仕事を始めたのは、ごく偶然だった。
友人に誘われて「たまには外の世界に出てみよう」と思っただけ。
でも今では、ここに立つ時間が少しだけ好きになっている。
風に流れる音楽や子どもたちの笑い声を聞いていると、
“誰かを見守る”ということが、ほんの少し自分に合っている気がした。
そんな気持ちが、いつしか彼女の日常に溶け込んでいた。
「……高校生、一枚。」
いつも通り淡々とした口調でチケットを差し出す登夢。
景は目を瞬かせた。見間違えるはずがない。
それでも、つい確認してしまう。
「ひょっとして……草薙君?」
「……ああ。」
短く答え、登夢は視線を逸らすと、すぐ冬華の後を追って人混みへ消えていった。
――どうしてここに? 一人で……?
胸の奥に小さな疑問が灯ったが、絶え間なく押し寄せる人波にすぐかき消された。
午後。入園者の流れが落ち着いたころ、雷が静耶を連れて現れた。
彼女は出版委員会のメンバーで、校内新聞のネタ探しに来たらしい。
「登夢、ご苦労だったな。あとは任せろ。好きにしていい。」
雷は軽く手を挙げ、静耶の手を引いて冬華のもとへ向かっていった。
登夢は、任務を終えた気だるさと共に、人の多いこの場所から離れようと歩き出した。
そのとき、太ももに柔らかい衝撃を感じた。
見下ろすと、小さな男の子が登夢の足にしがみついていた。三歳にも満たないだろう。
「……どうした。」
低い声が自然に漏れた。
泣くかと思ったが、男の子は真っすぐに登夢を見上げ、ぽつりと言った。
「……まいご。」
登夢はその一言に、言葉を失った。
同じころ、景は午後の持ち場を移動し、迷子センターの手伝いをしていた。
仕事に集中しているつもりでも、頭の片隅には登夢の姿が離れなかった。
……ひょっとしてデート?
草薙君と付き合う女の子って、どんな人なんだろう。
制服の袖を握りしめ、景は自分でも気づかぬうちにため息をついた。
「……私、草薙君のこと、なにも知らないんだ。」
思い返すのは、あの図書室での出来事。
ぶっきらぼうなのに、不器用な優しさがある――そんな印象だけが、胸に残っている。
怖そうに見えるけど、本当はどうなんだろう。
あれは、やっぱり私に気を使ってくれたのかな。
そう考えながら園内を歩いていると、再び登夢の姿を見つけた。
思わず、柱の陰に隠れる。
雷と谷神静耶が一緒にいる。二人は何やら話をしていた。
あれ、雷君と……谷神さん? どんな話してるんだろう。
やがて雷は静耶の手を引いて去っていった。
景は苦笑いしながら小声でつぶやく。
雷君って大胆。でも、なんだか……うらやましい。
――って、なに考えてるの私。
顔を赤らめて俯いたその瞬間、視界の端に再び登夢の姿が映った。
今度は幼い男の子と向かい合っている。
草薙君、何してるの? ……まさか。
登夢がその子の手を引こうとした瞬間、景はひらめいた。
迷子だ。……よし。
勇気を振り絞って声をかけた。
「草薙君、こんなところでどうしたの?」
「……迷子を拾った。」
「やっぱり。だったら、私、迷子センターまで連れて行ってあげるよ。」
「……助かる。」
短い返事だったが、どこか柔らかく聞こえた。
いつもの冷たさとは違う。
「子ども、苦手なの?」
何気なく尋ねると、登夢は少しだけ目を伏せて言った。
「……苦手だ。すぐに壊してしまいそうだから。」
その表情は、どこか遠い。
景は胸が少しだけ締めつけられた。
「……よかったな。」
そう言って登夢は微笑み、男の子の頭を撫でた。
その笑顔は、これまで見たことがないほど優しかった。
「あ……。」
景は息を呑んだ。視線を外せない。
登夢が首をかしげる。
「……何か、ついてるか。」
「え? あ、ううん! なんでもない!」
我に返った景は慌てて男の子を抱き上げ、早足でその場を離れた。
顔が熱い……。きっと真っ赤。
どうしたんだろう、私……。
でも、あの笑顔……。あんな顔、特別な人にしか見せないのかな……。
胸の奥でざわめく感情を抱えながら、景は迷子センターへ向かって歩き出した。
そのとき、背後から靴音が近づいてきた。
……さっきまで賑やかだった音が、いつの間にか遠のいている。
ゆっくりと、一定のリズムで。
「そこのお嬢さん。すいません、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが。」
振り向いた景の目の前に、ダークスーツの男が立っていた。
背が高い。登夢ほどではないが、軽く一八〇センチを超えている。
無機質なミラーシェードが、彼の表情を隠していた。
「……何のご用ですか?」
景が問い返すと、男は穏やかに言った。
「その男の子を、こちらに引き渡していただきたい。」
その言葉を聞いた瞬間、男の子は景の背中に隠れた。
小さな手が制服の裾をぎゅっと握る。
「ここではなんですから、迷子センターまで来ていただけますか?」
景がそう言い終えた瞬間、男は無言で頷いた。
――だが、次の一歩を踏み出したときだった。
背後から伸びた手が、景の肩をつかんだ。
首筋に、ちくりとした痛み。
耳の奥でざわめきが遠ざかり、色が音とともに溶けていく。
視界の中で最後に見えたのは、無表情のまま立つ、ミラーシェードの男の姿だった。
――春の光が、音もなく閉じた。




