第二節
森をクルリと切り出して、家を配置した土地を集落と呼ぶのなら、ダァトが目指した村は確かに存在していた。
だが、村の様相は彼が思い浮かべていた光景とは程遠く、集落と呼ぶにはあまりにも荒れ果てていたのだ。窓に木の板を打ち付けた家々が軒を連ね、飼育していたであろう家畜の骨が乱雑に積まれた畑の穴……。廃村と呼ぶに相応しい集落を目の当たりにしたダァトは村の中心に位置する教会へ視線を移す。
「趣があるねぇ、ノスタルジックな気分に浸っちまうよ。全く」
「あの」
「ん?」
「もう、大丈夫です。えっと……ダァトさんは」
「少し村を回りたいかな。旅行気分になりたいんでね」
ケタケタと陽気に笑ったダァトは脇に抱えていたマリアンヌを下ろし、首の骨を豪快に鳴らす。
「なら私が」
「デートのお誘いかい? 嬉しいねぇ、マリアンヌみたいな可愛い女の子と歩けるなんてさ」
「デートって……別にそんなつもりは」
「無いのは知ってる。案内してくれたら助かるよ、マリアンヌ」
深々と頭を下げ、道化のように手を差し出したダァトへマリアンヌはロザリオを握ったままその手を握る。冷たく、硬質な鋼の感触が指先から掌に伝わり、少女は真紅の瞳を覗き込む。
笑顔の奥にある真っ赤な瞳。
笑っているのに怒り狂い、諦めているのに求め続ける悲しい眼差し。人間の戦士という存在は皆こうなのだろうか? そんな些細な疑問が胸の奥から滲み出る。
「どうした? 俺の顔なんて見つめてさ。惚れちまってもロクな事は無いぜ?」
「ダァトさんは」
「ん?」
「怒っているんですか?」
剣士の瞳孔が広がり、笑顔が僅かに崩れて驚きの色を帯びる。
「間違っていたら……ごめんなさい。その、何というか……笑っていないように見えたんです。最初から、ずっと」
「大丈夫だ、何も怒っちゃいねぇさ。無駄だからな」
「無駄?」
「俺一人が怒ったところで意味がねぇって言いたいんだよ。そうだな……マリアンヌは俺と最初に会った時、滅茶苦茶怖がってたし、警戒してただろ? けど今じゃこうして話が出来てる」
「そうですけど……」
「まぁ端的に言えば、感情なんて一瞬で過ぎる風みたいなものだな。だから、俺はマリアンヌの言葉に何も思っちゃいない。大丈夫ってのはそういう意味もあるんだよ」
静かに声を発して笑ったダァトは適当な家に近寄るとドアを叩き、そっと耳を寄せる。
「どうしたんですか?」
「いやね、何でこう窓に板を打ち付けてるのかなって」
「それは……病のせいです」
「病?」
「はい。陽光病……私以外の村人は全員この病に罹っていまして、夜じゃないと動けないんです。神父様が言うには、陽光病患者は太陽の光に当たると死んでしまうらしくて……」
「陽光病ねぇ……。挨拶一つしておきたかったんだけどなぁ、残念」
「ダァトさんは陽光病を御存じで?」
「あぁ知ってるよ、よぉく知ってる。治し方と病の原因もな」
「ならその治し方を教えて貰ってもいいですか? お礼の方は私から神父様に」
「それよりもだ、二つ三つ聞いてもいいかい? マリアンヌ」
鋼の指がトンと剣の柄を叩き、板の隙間から覗く冷たい青目とダァトの瞳が交差する。
「お前さんは村人を見たことがあるか?」
「いえ、神父様からは夜間は出歩くなと言われておりまして……。夜の村がどうなっているのかは分かりません」
「そっか、なら俺以外の旅人……村の外から来た人間を見たことは?」
「写真でなら何度か。あとは書の挿絵とか、教会の彫像でならあります」
「なるほどね、最後にこれは大事な質問なんだけど……聖餐杯って聞いたことあるか? 似たような名前で聖人の血杯って呼ばれてる杯」
「それは」
剣の顎が唸りを上げて、乾いた風が民家の板を激しく揺らす。
聖餐杯という言葉に聞き覚えは無いが、聖人の血杯という単語は知っている。教会の祭壇に捧げられた聖遺物を神父がそう呼んでいたから。
「さっきも言ったけどさ、俺にゃその聖人の血杯ってのが必要なんだよね」
「どうしてですか?」
「呪われてるから」
「呪われてる?」
ダァトの瞳が憎悪に燃え狂い、裂けた唇の隙間から鋭い犬歯がヌラりと曇天に映え、
「そ、呪い。それを解く為に俺ぁ聖人の血杯を探してるんだ。マリアンヌ、此処で一つ人助けだと思ってさ、杯の場所教えてくんない? なぁに、礼の心配は要らねぇ。
陽光病の治し方……それでどうだ?」
何の断りも無く民家の板を剥がし始めた。
「な、何をやってるんですか⁉ 止めて下さい!」
「いいや、止めないね」
「何で!」
「マリアンヌ、俺には嫌いなモノが三つある。一つは誰かを犠牲にしてでも生き延びようとする屑。二つ目は隠れて命を狙う塵。三つめは不死者であることを隠して、生者を喰らう滓だ。お前さん、村人の姿を見た事がねぇって言ったな?」
薄汚れたガラス窓を叩き割り、薄闇の中へ手を突っ込んだダァトは剣を抜く。錆びた矢尻が彼の頬を掠め、血が流れようとも痛みを激情で塗り潰した剣士は村人の喉を鷲掴みにしながら外へ引き摺り出す。
生白い皮膚に窪んだ眼。唾液に濡れた鋭利な牙。襤褸を纏い、腐肉を貪る村人の姿を目の当たりにした少女は小さく悲鳴を上げる。
「何だよ」
剣の刃を村人の眉間に突き付けたダァトは微笑を湛え、
「劣化眷属か? なら、此処に居るのは眷属一匹かよ。マリアンヌ、陽光病ってヤツの症状見てみたいだろ?」
剣で串刺しにすると陽光の下へ放り捨て、
「一」
数を数え始めたダァトの横でマリアンヌが震え、村人が発する悍ましい叫び声に耳を塞ぎ、
「二」
村人の身体から青白い業火が吹き上がり、瞬く間にその痩せ細った肉身を内側から腐敗せしめ、
「三」
炭化した村人の遺骨から一匹の蟲がズルリと這い出し、太陽の光を浴びて車輪のように身を丸めた。
「あれが陽光病の症状で、劣化眷属の死に様ってヤツだな。見ろよ、あの虫けらが人間のフリをしてたんだぜ? 虫唾が奔るってのぁこういうことを言うんだろうなぁ、お前さんもそう思うだろ? マリアンヌ」
「アレは、どういうこと、なんですか?」
「見ての通りアレはもう人間じゃねぇ、タダの人擬きさ。それと陽光病っていう病なんざこの世に存在しねぇんだぜ? 俺でも聞いたことがねぇや」
「なら、私は何を教えられていたんですか? もしかして、村人全員が」
「勘が良い子は好きだぜ? 色々と教えなくて済むからな。じゃぁ行こうか」
「行くって……何処に?」
「意地糞が悪い眷属……神父を名乗ってる屑と話し合いたいんでね。後はまぁ……塵掃除と家探しを兼ねてかな」
頭蓋を踏み潰したダァトは相も変わらず笑顔を浮かべ、強い言葉を口にしながらも怒りを露わにしなかった。震えるマリアンヌとは対照的に悠々と歩を進め、板張りの教会へ近づいた剣士は勢いよく扉を蹴り破る。
「ダァトさんは……」
「ん?」
「村の……本当の姿を知ってたんですか?」
「知ってたよ」
「なら、何で私に剣を向けなかったんですか?」
「あのねぇ、俺が殺すのは塵屑か不死者だけだぜ? お前さんのような可愛い子ちゃん、生きてる人間に剣を向けるワケねぇだろ?」
「……」
「どうしたらいいのか分からねぇって面してんな。なら俺も一つ秘密を教えてやるよ」
「秘密?」
「あぁ、俺はな……五百年生きてんだ」
マリアンヌの両目が大きく見開かれ、在り得ないと言った風でダァトを見上げる。彼女の人間らしい反応に愉快と笑った剣士は「冗談だよ、じょーだん。半分な」目尻に浮かんだ涙を指先で掬う。
「……少し、笑えませんでした」
「だろうな、あんな光景見たらそう思うぜ?」
「何でそんな冗談を言ったんですか?」
「死人みてぇな面してっからだよ」
「死人? 私が?」
「人間生きてこそだろ? 若いお嬢ちゃんがそんな顔するなよ、可愛いんだから笑え。俺みてぇによ」
「ダァトさんは」
笑っていないじゃないですか。その言葉を飲み込んだマリアンヌは見慣れた闇へ足を踏み入れ、濁った空気を肺の奥へ押し込んだ。