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第六章:『彼女』との出会い

ファエラルによる地獄の(と、俺は内心思っている)訓練が始まってから、季節が一つ巡っただろうか。俺の身体は以前よりいくらか引き締まり、初歩的なマナの操作――体内で循環させたり、指先に微かに集めたりする程度なら、なんとかこなせるようになっていた。もちろん、その程度の進歩でファエラルの罵詈雑言が止むはずもなく、相変わらず「駑馬」「朴念仁」「才能の欠片もない」と、ありがたい評価を頂戴する毎日だった。


そんなある日、ファエラルが唐突に言い放った。

「おい、リアン。明日は町へ行くぞ。準備しておけ」

「町…ですか?」

「ああ。魔法の練習に使う触媒やら、お前に読ませるためのマシな本やらを仕入れに行く。ついでに俺の用事もな。…まさかとは思うが、町も見たことがないほどの田舎者ではあるまいな?」

「いえ、一度だけ…」

村の外の世界に触れる機会は、正直に言って魅力的だった。しかし、この口の悪いエルフと一日中行動を共にするのかと思うと、一抹の不安もよぎる。


翌朝、俺たちは日の出と共に出発した。エリーナが持たせてくれた簡素な弁当と水筒を肩にかけ、ファエラルのやや速い歩調についていく。道中、ファエラルは時折足を止め、道端の植物や岩を指しては、「あれに含まれるマナの特性を述べよ」「あの雲の動きから天候を予測しろ」などと、脈絡のない質問を投げかけてきた。それは、彼女なりの実践教育のつもりらしい。


半日ほど歩いただろうか。やがて、俺たちが住む村よりも遥かに大きな集落が見えてきた。石畳の道が走り、木造だけでなく石造りの建物も散見される。活気のある市場の声、荷馬車の轍の音、様々な人々の話し声。全てが、静かな村とは違う、騒々しくも力強いエネルギーに満ちていた。これが、この地域で一番大きな町、ラドクリフだ。


「…きょろきょろするな、田舎者。少しは落ち着きを持て」

ファエラルは、物珍しそうに周囲を見回す俺に、いつも通りの悪態をついた。


俺たちはまず、ファエラルの言う「魔法の道具屋」に向かった。埃っぽい店内に、怪しげな鉱石や乾燥した植物、羊皮紙などが雑然と並べられている。ファエラルは店主と専門用語(俺にはまだ半分も理解できない)でやり取りし、いくつかの品物を購入していた。


その後、古本屋や食料品店などを回り、ファエラルの用事が一段落した時だった。俺たちは、町の中心にある広場を通りかかった。広場には噴水があり、その周りでは商人たちが露店を開き、多くの人々が行き交っていた。


その、雑踏の中に、俺は『彼女』を見つけた。


他の誰とも違う、圧倒的な存在感。

歳の頃は、俺と同じか、少し上くらいだろうか。陽光を反射して銀糸のように輝く長い髪。肌は透き通るように白く、大きな紫色の瞳は、まるで宝石のようだ。身にまとっているのは、明らかに上質とわかる仕立ての良いドレス。その姿は、この町の埃っぽい空気の中では、場違いなほどに気高く、美しかった。


彼女は、噴水の縁に腰掛け、一冊の本を熱心に読み耽っていた。その真剣な横顔から、目が離せなかった。周囲の喧騒など、まるで意に介していないかのように、彼女だけの静かな時間が流れている。


不意に、彼女が顔を上げた。そして、ほんの一瞬だけ、俺と目が合った。

ドキリとした。

その紫色の瞳は、吸い込まれそうなほど深く、そして、どこか年齢に見合わない冷静さを湛えているように見えた。彼女はすぐに視線を本に戻したが、俺の心臓は、まだ早鐘を打っていた。


(…誰だ、あの子は…)


美しい、と思った。だが、それ以上に、何か得体のしれないオーラのようなものを感じた。それは、ファエラルが放つ、刺々しい強さとは違う。もっと、静かで、内なる力を秘めたような…


俺が彼女に釘付けになっていることに気づいたのか、隣を歩いていたファエラルが、俺の頭を軽く小突いた。

「…よそ見をするな、朴念仁。さっさと行くぞ」

ファエラルの声で我に返る。彼女は、俺が見ていた方向を一瞥したが、特に気にした様子もなく、さっさと歩き出してしまった。彼女が、あの少女に気づいたのかどうかは分からなかった。


町での残りの時間は、正直あまり覚えていない。ファエラルが何かを話していた気もするし、追加で買い物をしたような気もする。だが、俺の頭の中は、あの銀髪の少女の姿で一杯だった。


あの瞳。あの雰囲気。そして、あの圧倒的な存在感。

エリーナやロルフ、村の人々、そしてファエラルとも違う、全く異質な存在。


同時に、俺は自分の未熟さを改めて痛感していた。俺がファエラルの下で必死にマナを操る訓練をしている間にも、世の中には、あんな風に、まるで違う次元にいるかのような人間が存在するのだ。


(…追いつきたい。いや、追い越したい)


漠然とした焦燥感と、明確な対抗心が、胸の中で静かに燃え始めた。彼女が何者なのか、知る由もない。だが、俺はこのままではいけない、という強い思いだけが、確かにそこにあった。


村への帰り道、俺はほとんど無言だった。ファエラルも、特に何も聞いてはこなかった。ただ、夕暮れの空を見上げながら、俺は何度も、あの少女の姿を思い出していた。


『彼女』との出会い。

それは、俺にとって、この世界の広さと、自分自身の未熟さ、そして、これから目指すべき高みを、否応なく突きつけられた瞬間だった。

この日を境に、俺の訓練への取り組み方が、僅かに、しかし確実に変わっていくことになるのを、この時の俺はまだ知らなかった。

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