第二十六章:新たなる旅路、国境の街へ
古代遺跡での死闘を終え、俺たちは再び旅の人となっていた。目的地は、ファエラルが告げた中立都市アージェント。南方の山脈地帯、複数の国境線が複雑に入り組む場所に位置するという。
旅は、以前にも増して慎重さを要した。俺たちは、『黒曜の手』の追跡を警戒し、主要な街道を避け、険しい山越えや深い森の中を進むルートを選んだ。遺跡での経験は、俺を確実に成長させていた。ファエラルの指示がなくとも、俺は常にマナを周囲に張り巡らせ、微かな敵意や異常な気配を敏感に察知しようと努めた。夜間の見張りや、野営地の選定、食料の確保においても、俺はより積極的に役割を担うようになった。
道中、俺たちは、あの学院での事件が、この国全体に暗い影を落としていることを実感させられた。通過する村々では、兵士の姿が増え、旅人に対する検問も厳しくなっている。ラドクリフの都からは、政治的な混乱や、貴族間の対立激化を伝える、不穏な噂ばかりが聞こえてきた。
そして、それ以上に気がかりだったのは、国境地帯に近づくにつれて、明らかに『黒曜の手』の影響と思われる事象に遭遇する頻度が増したことだ。寂れた宿場町では、黒ずくめの集団に脅されている商人を見かけた。山間の村では、不審な事故や失踪が相次いでいるという話を耳にした。彼らは、単に古代の力を求めるだけでなく、もっと広範に、人々の生活の隙間に深く根を張り、混乱と恐怖を広げているようだった。
ある時、俺たちは、『黒曜の手』の構成員が残したと思われる暗号化された伝令書を偶然手に入れた。ファエラルですら解読に手間取る複雑な暗号だったが、俺は前世の知識――情報理論やパターン認識の基礎を応用し、試行錯誤の末に、その一部を解き明かすことに成功した。そこには、近隣の関所を通過する予定の、ある「荷物」に関する指示が記されていた。
「…ほう。貴様、意外な才能もあるのだな」
ファエラルは、俺の解読結果を見て、少しだけ目を見開いた。
「この『荷物』が何かは分からんが、おそらく、黒曜の手にとって重要なものだろう。…関所を迂回するか、あるいは…」
「…待ち伏せて、情報を奪い取ることはできませんか?」
俺は提案した。危険な賭けだ。だが、敵の計画を少しでも知ることができれば、今後の行動の大きな助けになるはずだ。
ファエラルは、しばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて頷いた。「…いいだろう。だが、しくじるなよ。失敗すれば、我々の存在が敵に完全に露見することになる」
俺たちは、綿密な計画を立て、関所近くの森で待ち伏せた。数日後、予想通り、厳重に警護された数台の馬車が関所へと向かってきた。俺たちは、ファエラルの合図で奇襲をかけた。激しい戦闘となったが、俺たちは連携し、谷での修練と遺跡での実戦経験を活かして、護衛たちを無力化し、伝令書が指示していた『荷物』――それは、特殊な鉱石のようなものだった――の一部と、新たな情報を奪取することに成功した。敵の増援が到着する前に、俺たちは再び闇へと姿を消した。
この一件は、俺に大きな自信を与えた。同時に、ファエラルも、俺の能力を再評価したようだった。彼女は依然として口が悪く、指導も厳しいが、以前よりも俺の意見に耳を傾けたり、重要な判断を俺に委ねたりする場面が増えた気がした。
旅を続ける中で、ファエラルは、時折、この国境地帯や、目指す中立都市アージェントについて語ることがあった。彼女が若い頃、この地で何らかの任務に関わっていたこと。アージェントには、様々な情報や物が集まるが故の、独自の秩序と危険が存在すること。そして、彼女が信頼できるという『知り合い』が、その街で古くから情報屋を営んでいること。彼女の過去や目的の全貌は依然として謎に包まれていたが、俺たちの旅が、単なる逃避行ではないことを、俺は改めて認識した。
そして、数週間に及ぶ厳しい旅の末、俺たちはついに、目的地の
中立都市アージェントを眼下に望む峠へとたどり着いた。
切り立った灰色の山々に囲まれた、巨大な盆地。その中心に、まるで宝石箱のように、様々な様式の建物が密集した街が存在していた。街全体が堅牢な城壁で囲まれ、周囲の山々には監視塔が点在しているのが見える。ここが、アージェント。あらゆる国家の干渉を退け、独自の自治を維持してきた、山岳の独立都市。
「…着いたな」
ファエラルが、感慨深げに呟いた。
「リアン、心しておけ。この街は、無法地帯ではないが、王都や学院とは全く違うルールで動いている。油断すれば、命どころか、魂まで抜かれることになるぞ」
俺たちは、峠を下り、アージェントの巨大な城門へと向かった。門を潜ると、そこは、想像以上の混沌と活気に満ちていた。屈強な傭兵、胡散臭い商人、着飾った異国の貴族、ローブで顔を隠した魔術師、そして、俺たちのような訳ありの旅人。様々な人種と言語が入り乱れ、市場の喧騒と、どこか張り詰めたような空気が混在している。
(ここが、アージェント…)
俺は、気を引き締め直し、周囲を鋭く観察した。
新たなる旅路は、この混沌の都市から始まる。
『黒曜の手』の影を追い、情報を手に入れ、そして、俺たちが進むべき次の一手を見つけ出すために。
俺たちの戦いの舞台は、古代遺跡の深淵から、人間の欲望と陰謀が渦巻く、この中立都市へと移ったのだ。




