第二十五章:深淵よりの帰還、新たなる誓い
静寂が戻った『始原の炉』。渦巻いていた狂乱のエネルギーは、まるで嘘のように収束し、中央の水晶柱はその輝きを穏やかなものへと変えていた。だが、周囲に刻まれた戦いの爪痕、そして未だ漂う微かな血の匂いが、先ほどの死闘が現実であったことを物語っている。
俺は、壁に背を預け、荒い呼吸を繰り返していた。マナの過剰使用による虚脱感と、全身の打撲や切り傷が酷い。隣では、ファエラルも同様に消耗しきった様子で座り込み、自身の傷の手当をしていた。
「…終わった、のですか?」
俺は、か細い声で尋ねた。
「…ああ。アルフォンスは消滅し、炉の暴走も食い止めた。ひとまずは、な」
ファエラルは、疲れたように答えた。
「だが、根本的な解決にはなっていない。この炉は、依然として危険な代物だ。そして、アルフォンスを生み、利用したであろう『黒曜の手』も健在だ」
俺たちは、わずかに回復するのを待ち、改めて炉の周辺を調査した。アルフォンスの所持品は、彼自身の消滅と共にほとんどが失われていたが、焼け残った手記の断片からは、彼が『黒曜の手』に唆され、歪んだ理想のために根源マナの力を求めた経緯が断片的に読み取れた。また、ファエラルは炉の制御装置の一部を調べ、「…古代の封印術式がまだ生きている。我々でこれを完全に破壊するのは不可能だが、入り口を再度封鎖し、強力な認識阻害と警告の結界を張ることはできる」と判断した。
俺たちは、残された力を振り絞り、ファエラルの指示に従って、始原の炉へと続くこの区画全体を封印するための儀式を行った。二度と、アルフォンスのような者がここに辿り着き、同じ過ちを繰り返さないように。作業を終える頃には、俺たちは再び疲労困憊していた。
遺跡からの脱出は、入ってきた時とは比較にならないほど静かだった。罠の多くは機能停止しており、守護者の残骸が転がる通路は、ただ不気味な沈黙に包まれていた。途中、いくつかの『黒曜の手』の構成員の亡骸を発見したが、生存者は見当たらなかった。彼らもまた、この遺跡の深淵に呑まれたか、あるいはアルフォンスの暴走に巻き込まれたのかもしれない。
数日後、俺たちはついに、あの忌まわしい遺跡から生還を果たした。久しぶりに浴びる外の空気と太陽の光が、これほどまでに心地よいものだとは、思わなかった。遺跡から十分に離れた安全な場所で野営し、俺たちは本格的な休息と、今後の相談を行った。
「まず、ラドクリフには戻らん」
ファエラルは、きっぱりと言った。
「今の都は、政争と『黒曜の手』の息がかかった者たちで、疑心暗鬼に満ちている。下手に接触すれば、我々がアルフォンスの一味と見なされるか、あるいは都合よく利用されるのが関の山だ」
「では、どうしますか?」
「『黒曜の手』…奴らの情報を集める。奴らは、この国だけでなく、大陸全土に根を張っている可能性がある。一筋縄ではいかんぞ」
ファエラルは、地図を広げ、ある一点を指さした。それは、複数の国境が接する山脈地帯にある、古い中立都市だった。
「ここへ向かう。ここは古くから情報の交差点であり、俺の古い『知り合い』もいる。まずはそこで、信頼できる情報を集め、体勢を立て直す」
それが、俺たちの次なる目的地となった。
俺は、焚火の炎を見つめながら、これまでの出来事を反芻していた。学院での出会いと戦い。師との修練。そして、遺跡での死闘と、自らが振るった力、奪った命。肩に残る傷痕、そして心の奥底に刻まれた、決して消えることのない重たい記憶。
前世の俺は、何も成さずに死んだ。
だが、今の俺は違う。守りたいものがある。そのために力を求め、戦うことを選んだ。その結果が、これだ。多くの傷を負い、多くのものを失ったかもしれない。だが、後悔はなかった。あの時、俺は確かに、自らの意思で戦い、そして生き残ったのだ。
(今度こそ、生きるために)
その誓いは、今、新たな意味を帯びていた。
ただ生き延びるのではない。ただ後悔しないのではない。
この理不尽で、残酷で、それでも時に温かいこの世界で、自らの責任において、より良い未来を掴み取るために戦う。たとえそれが、どれほど困難な道であろうとも。俺には、前世の記憶と、この世界で得た力と、そして信頼できる師がいる。
俺は、静かに立ち上がり、新たな決意を胸に、空を見上げた。
夜明けが近づき、東の空が白み始めている。
「師匠、行きましょう」
「…ふん。ようやく覚悟が決まった顔になったな」
ファエラルは、僅かに口角を上げて、立ち上がった。
深淵からの帰還。それは、終わりではなく、新たなる始まり。
俺たちの本当の戦いは、これから始まるのだ。
俺は、ファエラルと共に、未来へと続く道を、力強く踏み出した。




