第二十二章:深淵への階梯、古の叡智
守護者を打ち破った広間の奥には、下方へと続く螺旋階段が隠されるように存在していた。階段の入り口には、ファエラルですら見たことがないという複雑な紋様が刻まれ、一種の封印が施されていたようだが、アルフォンスが通った後らしく、それは強引に破壊されていた。階段からは、これまで以上に濃密で、そして不安定なマナの奔流が渦を巻いて吹き上げてきている。
「…ここから先は、未知の領域だ。遺跡の本当の中心部へと続いているのだろう。おそらく、アルフォンスもここを通ったはずだ」
ファエラルは、階段の闇を覗き込みながら、厳しい表情で言った。
「マナの乱れが酷い。幻覚や空間の歪みが生じる可能性もある。常に感覚を研ぎ澄ませ、俺から離れるな」
俺たちは、螺旋階段を慎重に下り始めた。壁には、星の運行図のような、あるいは生命の設計図のような、不可思議な図形や文字がびっしりと刻まれている。古代の言語だろうか、俺には全く読み解けないが、それらが膨大な情報を内包していることだけは、マナの流れから感じ取れた。
降りるにつれて、マナの密度はさらに増し、奇妙な現象が起こり始めた。壁が歪んで見えたり、存在しないはずの音が聞こえたり、一瞬だけ重力が軽くなるような感覚に襲われたり。ファエラルの警告通り、強力なマナが空間そのものに影響を及ぼしているのだ。俺は、谷での修練を思い出し、常に自身のマナを安定させ、外部からの干渉を防ぐことに集中した。
どれほどの時間を下っただろうか。やがて俺たちは、信じられないほど広大な空間にたどり着いた。そこは、巨大な図書館、あるいは記録保管庫のような場所だった。天井まで届く書架には、金属板や水晶板、あるいは未知の素材で作られた巻物のようなものが、無数に納められている。その多くは風化し、崩れ落ちていたが、中には、いまだに微弱なマナを放ち、その形を保っているものもあった。空気中には、古い紙やインクとは違う、鉱物的な、あるいはオゾンのような独特の匂いが漂っていた。
「…これは…」
俺は、息を呑んだ。ここには、失われた古代文明の叡智が眠っているのだ。
「感心している場合ではないぞ、リアン。アルフォンスの痕跡を探せ。奴がここで何を探していたのか、あるいは何を見つけたのかを知る必要がある」
ファエラルの声に、俺は我に返った。
俺たちは、手分けして広大な書庫を探索し始めた。アルフォンスが通ったであろう痕跡――乱れた書架、床に残された足跡、そして、ここでも見つかった、『黒曜の手』の構成員らしき数体の亡骸を辿っていく。彼らは、罠ではなく、まるで内部から破裂したかのように、無残な姿で事切れていた。知識に触れること自体に、何らかの危険が伴うのだろうか?
やがて、書庫の中央付近で、特に念入りに調べられたような一角を発見した。そこには、この遺跡を建造した古代文明に関する記述が多く残されていた。俺は、ファエラルに助けられながら、いくつかの水晶板に記録された情報を読み解いていった。
それによると、この文明は、「根源マナ」とも呼べる、世界創成のエネルギーに直接アクセスする技術を研究していたらしい。その力は、無から有を生み出し、生命さえも創造できるほどの可能性を秘めていたが、同時に、制御を誤れば世界そのものを崩壊させかねない、破滅的な危険性を孕んでいた。そして、彼らはついに、その制御に失敗し、自らが生み出した力によって滅び去ったのだという。
「…根源マナ…」
ファエラルが、苦々しげに呟いた。
「やはり、アルフォンスの狙いはこれか。禁忌中の禁忌だ。奴は、その力を手に入れ、一体何をしようとしている…?」
さらに、俺たちはアルフォンスが特に注目していたと思われる記録を見つけた。それは、遺跡の最深部――『始原の炉』と呼ばれる場所に、根源マナの奔流を制御するための中枢装置が存在すること、そして、そこへ至る道は、特別な『鍵』と思考を持つ者でなければ開けない、という内容だった。アルフォンスは、その『鍵』に関する情報をここで得て、最深部へと向かったに違いない。
(始原の炉…!)
その言葉が、俺の胸に重く響いた。アルフォンスを止めなければ、取り返しのつかないことになる。
俺たちが『始原の炉』への道を探そうとした時、書庫の奥、巨大な石碑のようなものの前に、新たな守護者が立ち塞がった。それは、これまでの石像とは違い、実体を持たない、揺らめく影のような存在だった。手には、知識を象徴するかのように、一冊の巨大な書物を持っている。
「…知識の番人、か。厄介だな」
ファエラルが警戒を強める。
影の守護者は、物理的な攻撃を仕掛けてくるのではなく、俺たちの精神に直接語りかけてきた。
『先に進みたければ、我が出す問いに答えよ。答えられぬ者、偽りを述べる者は、この知識の深淵に魂ごと呑まれん』
それは、力ではなく、知恵と真実を試す試練だった。守護者は、古代魔法の理論、世界の理、あるいは俺自身の内面に関する、難解で本質的な問いを投げかけてきた。
ファエラルですら即答できない問いもあった。だが、俺は、前世の知識と、この世界で学んだ魔法理論、そして谷での修練を通じて深まった自己認識を総動員して、一つ一つ、慎重に、しかし確信を持って答えていった。特に、マナの本質や制御に関する問いには、俺自身の体験が深く関わっていたため、迷いはなかった。
最後の問い。守護者は、俺の心の奥底を見透かすように尋ねた。
『汝、力を求めて何とする?』
俺は、一瞬、言葉に詰まった。だが、すぐに、迷いは消えた。
「…守るために。俺にとって、かけがえのない温もりを、二度と失わないために。そして、この理不尽な世界で、自らの意思で『生きる』ために」
俺がそう答えると、影の守護者は、ゆっくりと形を失い、霧散していった。同時に、守護者が守っていた石碑が静かに動き、その奥に、さらに深部へと続く通路が現れた。
「…見事だ、リアン」
ファエラルが、珍しく素直な感嘆の声を漏らした。
俺たちは、新たな通路へと足を踏み入れた。古の叡智は、アルフォンスの目的の危険性と、俺たちが進むべき道を照らし出してくれた。だが同時に、それは、この先に待ち受けるであろう、想像を絶する力との対峙をも示唆していた。
深淵への階梯は、まだ続いている。
俺は、気を引き締め直し、遺跡の心臓部、『始原の炉』を目指して、暗い通路をさらに奥へと進んでいくのだった。




