第十三章:自ら選んだ傷痕
深紅の空の下、対峙する。狂信的な光を宿す上級生、その背後に聳える異形の巨大召喚獣、そして、俺。傍らには消耗しきったマーカス、背後には息も絶え絶えのカイがいる。絶望的な戦力差。肌を刺すような強大なマナの圧力。逃げ場はない。
「…面白い。その状況で、まだ抵抗する気概があるとはな、平民」
上級生――名を確か、アルフォンスと言ったか――は、歪んだ笑みを浮かべた。
「だが、無駄だ。我らが理想、新たなる時代の贄となれ!」
アルフォンスが杖を振るうと同時に、召喚獣が咆哮と共に突進してきた。凄まじい質量と速度。マーカスが残された魔力を振り絞り、炎の槍を放つが、巨体には僅かな焦げ跡を残すのみ。
「くそっ、硬い…!」
マーカスが悪態をつく。
俺はカイを庇いながら、連続して防御障壁を展開し、召喚獣の薙ぎ払うような攻撃を防ぐ。だが、衝撃は凄まじく、障壁は容易く砕け散り、俺の腕と全身に鈍い痛みが走る。マナの消耗も激しい。
「小賢しい防御だな!」
アルフォンスが、今度は俺自身に狙いを定め、黒い稲妻のような魔法を放ってきた。それは障壁を貫通し、俺の肩を掠めた。焼けるような激痛。思わず膝をつきそうになるのを、必死に堪える。
(…駄目だ、このままではジリ貧だ)
防御に徹していても、いずれマナが尽きるか、一撃をもらって戦闘不能になる。マーカスの攻撃も決定打にはなり得ない。そして何より、カイの容態が悪化していくのが分かった。早く安全な場所へ移し、適切な治療を受けさせなければ…。
(やるしかない…!)
覚悟を決める。ファエラルとの訓練で、一度だけ示唆された方法。通常のマナ循環とは異なる、身体への負担と暴走のリスクが極めて高い、禁忌に近いとされるマナ操作。体内のマナを無理矢理に過剰活性化させ、一時的に限界を超えた力を引き出す。その代償は、術後の深刻な虚脱、最悪の場合はマナ回路の永久的な損傷。
だが、今の俺には、それしか選択肢が残されていない。
俺は深く息を吸い込み、意識を丹田――マナの源へと沈めた。そして、全身の回路を逆流させるようなイメージで、マナを強制的に加速、圧縮していく。
「ぐ…うううっ…!」
内側から焼き尽くされるような激痛。血管が浮き上がり、視界が赤く染まる。全身の細胞が悲鳴を上げているのが分かった。これが、力の代償。
「な…なんだ、そのマナの奔流は…!?」
アルフォンスが、俺の異変に気づき、目を見開いた。マーカスも、驚愕の表情でこちらを見ている。
俺は、溢れ出しそうになる膨大なマナを、震える杖先に集中させる。それはもはや、以前のような精密な制御を伴うものではない。荒れ狂うエネルギーの奔流そのものだ。
詠唱は不要。ただ、明確なイメージだけを叩きつける。
――貫け。
放たれたのは、純粋なマナの塊。それは、白く輝く槍となり、空間そのものを歪ませるかのような勢いで、召喚獣に向かって飛翔した。アルフォンスが咄嗟に防御魔法を展開するが、俺の放ったマナの槍は、それを紙切れのように貫き、召喚獣の分厚い外殻をも容易く穿った。
『ギャオオオオオオオオオオッ!!』
召喚獣は、今度こそ致命傷となる一撃を受け、巨体を大きく揺らがせた。そして、動きを止め、ゆっくりと黒い塵となって崩壊し始めた。
「馬鹿な…! あの召喚獣が…貴様、一体何を…!?」
アルフォンスが、信じられないものを見る目で俺を睨む。だが、俺の狙いは、最初から召喚獣だけではなかった。
「…終わりだ」
俺は、残った力を振り絞り、第二射を放つ。狙いは、動揺しているアルフォンス自身。彼は慌てて回避しようとするが、先ほどの一撃でマナを消耗していたのか、あるいは俺の攻撃速度が予想を超えていたのか、完全には避けきれない。マナの奔流が、彼の右腕を消し飛ばした。
「ぐああああああああっ!」
アルフォンスの絶叫が響き渡る。彼は、腕の付け根を押さえ、憎悪と苦痛に満ちた目で俺を睨みつけながらも、咄嗟に転移魔法か何かでその場から離脱したようだった。
…静寂が戻る。
召喚獣は完全に消滅し、敵のリーダーも撤退した。
俺は、その場に崩れ落ちた。全身から力が抜け、指一本動かせない。口からは、血の味がした。肩の焼けるような痛みも酷いが、それ以上に、マナを暴走させたことによる内側のダメージが深刻だった。
(…勝った…のか?)
マーカスが、恐る恐る俺に近づいてきた。彼の顔には、先ほどの敵意はなく、ただ畏怖と、何か理解を超えたものを見たかのような困惑が浮かんでいた。
「…おい、リアン…お前、一体…」
俺は、彼に答える気力もなかった。ただ、荒い息を繰り返しながら、カイの方を見た。彼はまだ意識を失っているが、呼吸はしている。間に合った…のかもしれない。
その時、ようやく学院の教師や衛兵たちが駆けつけてきた。彼らは、周囲の惨状と、倒れている俺たちを見て息を呑んだ。すぐに、医療班がカイや俺、そして消耗しきっているマーカスに応急処置を施し始める。
担架で運ばれながら、俺はぼんやりと空を見上げた。深紅色に染まっていた空は、いつの間にか、元の色を取り戻しつつあった。だが、俺の心に残った景色は、決して消えることはないだろう。
右腕を失ったアルフォンスの、憎悪に満ちた瞳。
塵となって消えた、召喚獣の巨体。
そして、自らの意思で選び取った、禁忌の力と、その行使による結果。
肩の傷も、マナ回路の損傷も、いずれ治るかもしれない。
だが、この日、俺の魂に刻まれた傷痕は、決して消えることはないだろう。
力を求め、戦うことを選び、そして一線を超えた。その事実は、良くも悪くも、これからの俺の生き方を決定づけることになる。
これが、俺が自ら選んだ傷痕。
成長の、そして生存の、重たい代償。
意識が遠のいていく中で、俺はただ、カイの無事を祈り続けていた。