月に狂った者の末路
柄から切先まで紫紺の光沢を放つ黒い剣。
幅広の刀身は軽く湾曲しており、ドラゴンの爪を彷彿とさせた。
「っ、また……変わっただと!?」
「そうみたいだな!」
目を見開き、ようやく立ち上がったスライム・ルナティックに短く答え、今度は俺から攻勢に出る。
若干、動きが鈍っていることを感じつつ、ルナティック・スライムの間合いを捉えたところで剣を振り上げる。
「おらぁっ!!」
「が、あああっ!」
魔力を籠めた刃が体表を覆う液体ごとルナティック・スライムを斬り裂く。
防御用に魔力を回した身体強化と魔力の防護幕によって傷は浅かったが、確実にこちらの攻撃が通った。
——ウィングの渾身の蹴りよりも容易く。
(スライムの力を宿してるってことは、まあそうだよな……!)
予感はあった。
スライムは打撃には高い耐性を持つ反面、炎熱や斬撃にはかなり弱い。
だからこそ小手調べ程度の攻撃でも有効打となっていた。
加えて、二度の形態変化を経て分かったことだが、各形態ごとに身体能力にも変化が生じるのも理由の一つだろう。
ウィングは脚力と機動力、クローは腕力と耐久力、ブレスは魔力の最大出力がそれぞれ向上している。
少ない魔力でもよりダメージを与えられているのは、これらも関係していると思われる。
「さてと、そろそろ終わりにするぞ。こっちはのんびりしてる時間がねえんだ」
「ひっ……!」
完全に形成を逆転され、勝ち目がないことを悟ったスライム・ルナティックは、慌てて逃亡を試みる。
だが、ルナティック・スライムが動き始めるよりも魔力の短剣を生成し、奴の脚へ投げ放つ。
「あ゛あっ!!」
放たれた短剣に脚を裂かれ、ルナティック・スライムの動きが鈍ったところで、俺は黒の剣に極限まで圧縮した魔力を流し込む。
「——ジャックポット・クロー」
刹那、刀身からばちばちと火花と紫電が迸り、身体強化の出力が更に向上する。
両手で握り締めた黒の剣を上段に構え、
「——エンペラーブレイド!!」
「うああああああっ!!」
全力で振り下ろせば、魔力の斬撃が地面を巻き込みながら飛んでいき、ルナティック・スライムをぶった斬った。
そして、トウテツ・ルナティックを撃破した時と同様に魔力による爆発が発生、すぐに収まると、スライム・ルナティックは人間の姿に戻って倒れた。
「……解除」
変身を解き、倒れた女に歩み寄る。
「——盗賊、か」
身軽そうな装いと腰に差した短剣から推測する。
大胆に露出した下腹部には破損した赤黒い模様が浮かび上がっていた。
「う……クソッ」
——こいつ、まだ意識が……っ!
少しだけ驚きつつも、
「狂魔刻印とやらはぶっ壊した。これでもうお前が怪物になることはない」
そう告げた途端、女の顔が一気に青ざめた。
「そんな……う、嘘だっ! あ、ありえない……狂魔刻印が破壊されるなんて……! アタシの力が、なくなる……?」
まともに身動きが取れない中、半ば錯乱した様子で自身の腹部をまさぐる。
どうにか破損した狂魔刻印を視認した直後、女の表情は絶望に染まった。
「あ、ああっ……! イヤ……イヤああああああっ!!」
もうルナティックになれないことを確信したことで女は、金切り声を上げて発狂していたが、とうに体力の限界を迎えていたのもあってか、すぐに気を失ってしまった。
「これが……力に溺れた末の末路、なのか」
仮面を持つ手が震える。
この恐怖はさっき味わったものとは別物だ。
怪物になる恐怖ではなく、手にした力が喪失する恐怖。
きっと仮面の力を使えば使うほど、失った時の絶望は大きくなる。
この女みたいに、いずれは俺も——。
「……それでも、この力を手放すわけにはいかない」
決して手を出してはいけない禁断の力だったとしても。
ようやく手にした野望を叶える為の力なのだから。
改めて決意を固めつつ、俺は仮面を魔力に戻し、手持ちの道具で倒れた女の手足を縛る。
今の錯乱ぶりを見る限り、目を覚ましたところでどうこうできるとは思わないが念の為だ。
「これでよし。後はジーナを安静にできる場所に……っ!?」
拘束を終えるや否や、建物の陰で眠っているジーナの元に向かおうと一歩踏み出した瞬間——、
「っ、な……!?」
急に足腰に力が入らなくなり、俺はその場にばたりと倒れ込んでしまう。
すぐさま起きあがろうとするが、直後に襲ってきた強烈な疲労感のせいで指先一本すらまともに動かせない。
(くそっ、これは——)
何度か経験したことがあるから心当たりはある。
恐らくは、魔力を使いすぎた反動だ。
魔力操作と実践経験が乏しい冒険者に起きがち現象で、魔力が底を突いても無理に力を使おうとするとこうなる。
自身の魔力量を大まかでも把握できていれば、まずこうはならないのだが……まだ慣れない力を使って連戦をした影響が強く出てしまっているのだろう。
(なるほど。ルナティック化は、俺が思っていたよりもずっと魔力を消費するってわけか……!)
けれど、ここで呑気に寝ているわけにはいかない。
早くジーナを安全なところに運ばなければ、取り返しのつかないことになりかねない。
動け、と強く念じるも、俺の体は一切言うことを聞いてくれない。
全身の力をどれだけ振り絞っても、地面を這うことすらできない。
それどころか徐々に視界が暗くなり、意識も段々と薄れていく。
「く、そ……っ」
そして、目の前が完全に暗闇に覆われ、気を失う寸前——ゆっくりと誰かが歩いてくるのが見えた。




