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月に魅入られた狂人

 爆発が収まると、トウテツのようなルナティックは人間の姿になって——いや、戻ったと言った方が正しいか——倒れていた。

 近くに寄って見てみれば、柄と人相の悪いゴロツキのような男だった。


 意識を失ってはいるが、命に別状は無さそうだ。

 そのことにはほっと胸を撫で下ろしつつ、俺は少女に訊ねる。


「……こいつがルナティックの正体、なのか?」


「うん、そう。この男が狂魔刻印によって魔物の力を得た怪物——ルナティックになっていた」


「にしては、とてもじゃないが——」


 続きを口にしようとして、


「戦える人間には見えない、でしょ?」


 少女がそれを見事に言い当てた。

 実際、その通りだった。


「あ、ああ……」


 男の装いは、兵士や術士はおろか冒険者のそれでもなかった。

 まともな武器を持たず、魔術の触媒になるような物も持たず。

 何と言えばいいか……少なくとも、戦いに身を置く人間ではないのは確かだ。


「それがルナティックの恐ろしいところ。見て」


 ジーナが男の胸元を指差す。

 鎖骨辺りに砕けた紋章のような赤黒い模様が浮かび上がっている。


「今の戦闘で壊れてもう変身できなくなったけど、この刺青みたくなっているのが狂魔刻印。魔術の素養を持たない人間であってもそれ一つで超人的な力……それこそ並みの兵士や冒険者とやらを大幅に上回る力を手にいれることができる。——身も心も怪物になることを引き換えにね」


「……身も心も、か」


 呟いて、俺は自身の手のひらを見つめる。


 確か……俺のこの姿も狂魔刻印とやらによるものなんだよな。

 ということは、俺もこの男と同じように——。


 末路を想像してしまい、背筋にぞくりとした悪寒が走った時だ。


「大丈夫、あんたはそうならないよ」


 少女が淡々と、それでいて柔らかな声音で言う。

 最初に出会った時の刺々しさは、すっかり鳴りを潜めていた。


「その仮面は、そうならないように造られた特別製だから。だから、あんたは大丈夫だよ」


「……そうか。教えてくれてありがとな」


「ううん、お礼を言うのは私の方。助けてくれてありがとう。あんたがいなかったら私は、今頃……」


 瞳を伏せて言い淀む少女だったが、すぐに頭を振って俺に視線を戻した。


「——ねえ、そういえば……名前、なんていうの?」


「名前? ……ああ、そういえばまだ名乗ってなかったな。ヴィルム・ザイフリート、初級(ビギンズ)の冒険者だ。そういうあんたは?」


 聞き返せば、彼女は短く一言。


「……ジーナ」


 それから、何故か申し訳なさそうに視線を泳がせる。

 何かを隠しているわけではなさそうだが、理由を追及するよりも先に小さな笑いが込み上げてきた。


「な、何……?」


「いや、悪い。今になって自己紹介ってなんかおかしな感じがしてついな」


 笑みを浮かべながら答えれば、不思議そうに目を瞬かせてからジーナもつられて微笑んだ。


「……かもね」


「っ、ぁ——」


 瞬間、思わず声が漏れ、心臓がどくんと高鳴る。


 改めて痛感させられる——ジーナがとびきりの美人だということを。

 ついさっきまでは、生きるか死ぬかの瀬戸際だったから微塵も気にしてなかったが、間近で直視するととんでもない破壊力だ。

 それに最初会った時に見せた敵意剥き出しの表情からのギャップも相まって、つい見惚れそうになる。


「……ヴィルム?」


「ああ、いや……なんでもない」


 小首を傾げるジーナから顔を背け、俺は仮面に手を添える。


「——解除(フォールド)


 変身前に浮かんだ言葉の一つを口にすれば、装着していた仮面が外れ、元の姿に戻った。

 身体の奥底から湧き出していた莫大な魔力が無くなるを感じつつ、俺は黒紫の仮面をジーナに差し出す。


「返すよ」


「……えっ?」


「当たり前だろ、あくまで借りたもんなんだから」


 ほらよ、とジーナの手のひらに黒紫の仮面を乗せて手渡す。

 しかし、ジーナは呆然と俺を見つめたままだ。


「……なんだよ、まだ何かあるのかよ?」


 訝しみながら訊ねれば、短い沈黙を挟んでから首肯が返ってきた。

 それからジーナは、俺から視線を外すことなく、


「ヴィルム、あんた……さっきと瞳の色が変わってる。しかも——なんか光ってるんだけど」


「……は?」


「嘘じゃない。これが証拠」


 懐から二つ折りの手鏡を取り出し、若干ひび割れた鏡面を俺に向ける。

 俄に信じ難かったが、確かにジーナの言う通りだった。


「なんだよ、これ……!?」


 鏡に映った俺の左目は赤、右目は青にそれぞれ変色し、おまけに淡く光を帯びていた。

 けれど、程なくして光が消えると左右の瞳は灰色——俺の本来の瞳の色——に戻った。


「これも仮面の力……なのか?」


「違う。龍の仮面はルナティックに変身させるだけ。狂魔刻印を埋め込んだ副作用で身体の一部が変色することはあるけど、仮面による変身なら、肉体にそういった影響を及ぼすことはないはず。そもそも目が光るって一体なんなの……?」


 口元に手を当て、俺の両目について考え込むジーナ。

 だが、目が光ったことに関しては、一つだけ心当たりがあった。


「——魔眼だ」


「魔眼……? 何それ」


「……お前、魔眼は知らねえんだな。言っとくけど、それなりの一般常識だぞ。少なくとも、ルナティックやら狂魔刻印とやらと比べればずっとな」


 別に煽るつもりはなかったのだが、ジーナの眉が僅かに吊り上がる。

 見るからに文句を言いたそうにしていたが、表情に影を落とすと、顔を逸らしてから消え入りそうな声で吐き捨てた。


「知らないよ、一般常識なんか。自分の名前が合ってるのかどうかすら怪しいのに」


「っ!? ジーナ、お前……まさか、記憶を失っているのか……!?」


 ジーナは、こくりと頷く。


「私が知っているのは、月に魅入られた狂人と同じ力を宿したこの仮面、それから——これらを生み出した組織のことだけ。私は、そこから逃げ出してきた。この『龍の仮面』を持って」


「……そうか」


 ジーナの発言を聞いて、ようやく一つだけ理解した。


 どうして、初めて会った時、周りの人間全てが敵と言わんばかりの目をしていたのか。

 どうして、何日にも渡って独りであの化け物から逃げ続けてきたのか。

 どうして、さっき手足を捥がれそうになっても頑なに意地を張り続けたのか。


 それは偏に——、


「そこまでして守るべきものだったんだな。その仮面」


「……どうだろうね。正直、私にもよく分からない」


 依然、表情を曇らせたままジーナは、


「でも、あそこから逃げ出すのと同じくらい、奴らの手に渡してはならない気がした。——絶対に」


「……そうか」


 ジーナの身に何が起きているのか、事情を深く詮索するつもりはない。

 だけど、これだけは聞いておかねば。


「なあ、もしかして……これからも追っ手は差し向けられるのか? その仮面を取り返すために」


「うん、きっとすぐに新たな刺客が差し向けられる。多分、こいつみたいな下っ端じゃなくて、組織の中枢にいる人間が」


 ジーナが足元に倒れたままの男に視線を傾けたので、俺も一緒に男を見遣りつつ訊ねる。


「その刺客もこの男みたいに怪物……じゃなくて、ルナティックになるのか?」


「なるだろうね。そして、間違いなくこいつよりもずっと強いはず」


「……笑えねえな」


 下っ端でさえ第三級(サード)の冒険者を一方的に惨殺できたというのに、まだ上があるのかよ。

 考えるだけでゾッとするな……。


 しかし、本当に気にするべきなのは、


「もしそんな奴が本当に来たら、お前はどうするつもりなんだ?」


「別に、どうもしない。ただ全力で逃げられるところまで逃げるだけ。……私には、それしかできないから」


 沈痛な面持ちから、ジーナが既に覚悟を決めていることは十分に伝わってきた。

 だからこそ、俺は返したばかりの『龍の仮面』を彼女から取り上げる。


「ちょっと、何のつもり……!?」


「気が変わった。そういうことなら話は別だ」


 手にした仮面に念を通せば、魔力となって霧散する。

 仮面が俺の魔力と一体化するのを感じつつ俺は、ジーナを真っ直ぐと見据えて宣言した。


「乗り掛かった船だ。知ってしまった以上、このまま見て見ぬ振りはできねえ。だから——俺がお前の代わりに戦ってやる!」

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