再会
あれから盛り場を練り歩き、屋台を何軒も巡った後、俺はこれまでにない充足感に浸りながら遺跡群を通り抜けていた。
「はー、食った食った!!」
これだけ腹一杯に飯を食ったのはいつ以来だろうか。
少なくとも、ここ数年ではないことは確かだ。
——とはいえ、だ。
「うん……流石に調子に乗り過ぎたか」
満足するまで思う存分に食って飲みまくった結果、いつの間にか財布が空になっていた。
食える時に食えるだけ食え——というのが冒険者の鉄則だが、だとしてもこれはやり過ぎだ。
おかげでまた宿を取ることが出来ず、今日も遺跡群の外れにある隠れ家に向かう羽目になってしまったが……まあいいか。
まだあそこに色々荷物を置いたままだし、第二級の魔物を倒せるようになった今なら、散財した金を取り戻すまでそう時間はかからないだろうしな。
とりあえず、また明日から稼げばいい。
そんなことをつらつらと考えながら歩いていた時だった。
「——ん、なんだ……あれ?」
ふと前方で二つの人影を捉えた。
暗がりのせいでそれが何者なのか、ぱっと見では確認できない。
なので目を凝らしてよく見てみる。
「あ……」
二つの影が誰なのか気付くのにそう時間はかからなかった。
片方は昨日、この遺跡群で遭遇した少女だった。
彼女は、廃屋の壁に寄りかり——まるで追い詰められているかのようにして——尻餅をついていた。
ラッキー、まさか昨日の今日で再会できるとは。
けれど、真っ先に沸いてきた感情は——恐怖だ。
「っ——!?」
彼女の目の前には、怪物が立っていた。
曲がった角、鋭い牙、あまりに極端な痩躯の獣のような怪人。
まるでトウテツがそのまま異形の人間になった……いや、人間がトウテツのようになったと表現した方が正しいか。
認識と同時に戦慄する。
——死を直感した。
心臓が早鐘のように脈打ち、全身にじっとりとした汗が滲む。
あれに狙われたら最後、間違いなく殺されると本能が叫んでいる。
逃げなければ死ぬと頭でも理解している。
なのに身体がぴくりとも動かない。
両脚が震え、固まってしまっていた。
(くそっ……動け、動けよ!!)
願いが通じたのか、一瞬だけ身体が言うことを聞いてくれた。
その間に急いで身を隠し、物陰から二人の様子を窺う。
「——ケヒヒッ! ようやく追い詰めたぜェ、龍の魔女さんよォ!」
すると、離れていてもよく通った声が聞こえてきた。
狂気を含んだ声音。
瞬間、背筋にぞわりとした悪寒が立つ。
声の主は、あの怪物だった。
「ったくよぉ、野良猫みたいにちょこまか逃げやがって。脱走したテメェを捕まえんのに三日もかかったじゃねえか」
間違いない、奴は人の言葉を介している。
となると、魔物ではなく人間なのか……?
「おかげでここの人間を何人か食えたけどな。特に女と子供は美味かったぜ、ヒャハハハ!」
「っ!?」
今、あいつ人を食ったって言ったよな。
もしかして、あいつがリィンさんが言っていた殺人鬼の正体なのか——?
「まあでも、追いかけっこもここまでだ。おら、大人しくその仮面を寄越しな。そしたら、食うのは腕一本で済ましてやるよ」
しかし、少女は毅然とした態度で要求を突っぱねる。
「——これは渡さない。あんたらだけには、絶対に……!!」
「けっ、そうかよ。全くひでえ女だな、人の親切を無下にしやがって。それじゃあ……お仕置きに四肢をもぐとするか。ケヒャヒャヒャ!!」
こいつ、ガチかよ……!!
怪物の発言は脅しではなく本気だ。
本当に少女の両手と両脚を落とすつもりでいる。
(クソ、どうするべきだ……)
幸い、奴はまだ俺に気がついていない。
今ならまだ間に合う。
彼女を置いて街中まで引き返せば、どうにか逃げ切れるはず。
(こんなところで死ぬわけには……!!)
どうせ助けに行ったところで二人揃ってお陀仏になるだけだ。
だったら取るべき選択肢は決まっている。
生きて、生き抜いて、俺は——!
決断を下そうとして、両目がずきんと疼いた。
「ぐ、——っ!」
ぐらりと頭が揺れるような感覚。
眼球の奥が灼けるように熱くなり、目の前が赤と青に染まる。
こんな時にまたかよ——!!
爛れるような痛みと前後すらも分からなくなる程の眩暈に耐える内、
——光景が甦る。
大量に押し寄せた魔物が逃げ惑う人を次々と殺していく。
村が焼かれ、親が、友人が無抵抗のまま蹂躙されていく——そんな地獄絵図。
そして、目の前で散った命と今も尚、胸の奥で残り続ける後悔。
痛みと眩暈が収まるまでにそう時間はかからなかった。
視界も元に戻ったところで、俺は自身の両手の手のひらを見つめる。
「——違う」
俺がしたいことは、誰かを見捨ててでも生き抜くことじゃねえだろ。
きっと彼女を助けに行ったら俺は死ぬ。
結局、大したことも出来ずに後悔しながら惨殺される。
けれど、助けに行かなかったらもっと後悔する。
——手を伸ばせ。
思った時、さっきまで俺を支配していた恐怖は消え、身体が勝手に動いていた。
魔力を死ぬ気で滾らせ、全身に纏わせ、体内に循環させる。
消耗は度外視、少しでも消費する魔力をケチれば容易く殺される。
勝負は一瞬——そこでどうにか切り抜ける。
態勢が整うと同時、俺は物陰から飛び出し怪物に向かって突っ込む。
「うあああああっ!!!」
思い切り叫びながら全力で駆ければ、怪物がこちらに振り向く。
見れば、怪物は少女を手にかける直前だった。
いきなりの姿を現した俺に多少は驚いているようだったが、すぐに平静を取り戻すどころか俺を見て嘲笑を浮かべていた。
——無謀、無策。
向こうからすれば馬鹿の一つ覚えで突っ込む雑魚にしか見えないだろう。
「ケヒヒヒッ! 誰だか知らねえが馬鹿がやって来たぜ!」
実際、やっていることは玉砕覚悟の突撃だ。
そんなことは俺自身がよく分かっている。
だけど、それでも少女を助けるには、この方法しか思いつかなかった。
「丁度、小腹が空いてたところだ! 先にテメェを食ってから女を頂くとするか!」
「させるかあああっ!!」
怪物の間合いに入る直前、思いっきり身を低くして飛び込み、渾身の力でタックルを仕掛ける。
転倒させるまでは至らなかったが、これでも足止め程度にはなるはずだ。
「ぐっ、テメェ……!」
「おい、今のうちに逃げろ!!」
「え、じゃあ、あんたは……」
「いいから走れ!!」
そんなに長くは保たねえんだ!
少女に向かって叫べば、少女はすぐさま街の方へ向かって走り出す。
よし、あとは少しでも時間を——
「しゃらくせえなァ!!」
「が、はっ!」
無理矢理身体を引き剥がされると、立て続けに顔を殴られ、蹴り飛ばされた。
吹っ飛ばされ、少女のすぐ傍まで地面を転がる。
「ケヒャヒャヒャ! なんだよ、クソ雑魚じゃねえか! テメェ、本当に馬鹿なんだな!」
——分かってるよ、んなことは……!!
ふらふらになりながらも、力を振り絞ってどうにか立ち上がる。
口の中に溜まった血を吐き出し、怪物を睨みつける。
「お、まだやるってか?」
「……当たり前だろ。こいつには色々と聞かなきゃならねえことがあんだ。こんなところで死なれてたまるかよ……!!」
答えて、放出する魔力の出力を上げた瞬間だった。
少女の腰に括り付けられていた『黒紫の仮面』が独りでに宙に浮かび——消失した。
「え、嘘……!?」
最初に気づいた少女が驚嘆の声を上げる。
怪物も同様に愕然としていた中、どういう訳か俺はやけに落ち着いていた。
まるでこうなることが分かりきっていたかのように——。
——頭の中に幾つかの単語が浮かび上がってくる。
「装着」
自然とそれを口にすれば、さっき消えた『黒紫の仮面』が俺の手元に生成された。
そして、生成された仮面で顔を覆い、
「——昇華・ウィング」
もう一つの言葉を発した瞬間、膨大な魔力が全身を包んだ。