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黒紫の仮面

 未だ身体中を苛む鈍い痛みを堪え、重い足取りでスラム街と化した遺跡群を抜ける。

 懐には何の足しにもならない端た金が入った袋、腰にはさっき買ったばかりの短剣二振り。

 歩きながら改めて袋の中身を確認して、今日何度目かも分からない大きなため息が溢れた。


「あーあ、まさかこんな羽目になるなんてよ。本っ当に最悪だ」


 幸運と不運は表裏一体というが、俺——ヴィルム・ザイフリートの一日は、まさにそれを体現していた。


 幸運だったのは、今日は珍しく魔物を多く倒せたこと。

 不運は、そのすぐ後に別の——それも第二級(セカンド)に分類される魔物の群れに鉢合わせたことで、命を賭けた追い込み猟が始まったことだ。

 無論、俺が狩られる側で魔物の群れが狩る側である。


 必死になって走り回ったことでどうにか九死に一生を得たものの、代償に全身を痛めて傷だらけになった挙句、この街に流れ着く前から愛用していた剣が物の見事にぶっ壊れた。

 そのせいで、今日の稼ぎ分どころか有り金全てを怪我の治療費と新しい武器代に持ってかれてしまったというわけだ。


「あーあ、久しぶりにたらふく肉が食えると思ったんだけどな。けど、武器がなきゃ何も始まらないし……ったく、いつになったらこんな生活から抜け出せんだろうな」


 このままじゃ、いつまで経っても無名の冒険者のままだ。

 成り上がることはおろか、何者にもなれないまま一生を終えてしまう。


 募る焦りと共にまたもため息を吐いてしまった時だった。

 前方にある家屋の陰で横たわった人影が見えたのは。


「ん、誰だ……?」


 こんな場所に来る人間なんてそうそういない。

 いたとしても遊び半分で来る世間知らずか、俺のように宿も取れないような貧乏人か。

 もしくは——市街地にいられないようなことをしでかした訳ありか。


 訝しみつつも目を凝らして見てみれば、ようやくシルエットがはっきりとしてくる。

 倒れていたのは、少女らしき人物だった。


「っ——おい、大丈夫か!?」


 気づいた直後、安否を確かめるべく急いで少女の元へ駆け寄る。

 そして、彼女を抱え起こした瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


「あっ……」


 腰まで伸びた透き通るような白い長髪。

 華奢ながらプロポーションの取れた肢体。

 あどけなさと妖艶さを兼ね備えた端正な鼻梁。


 有り体に言えば美人だ。それもとびきりの。

 きっと絶世の美女とは、彼女のような人間のことを指すのだろう。


 つい見惚れそうになるも、


「——って、いかんいかん! ぼーっとしてる場合じゃねえ!」


 まず状態を確認するのが優先だろ……!!


 頭を振って、少女の様子を窺う。


「……良かった。とりあえず死んではなさそうだな」


 ひとまず無事なことに胸を撫で下ろし、改めて彼女を見遣る。


 魔性、と表現するのが相応しいか。

 気を抜けば容易く心を奪われそうになる容貌だ。

 というか、今さっきそうなりかけた。


 けれど、関心の対象はすぐに別の物へと向けられた。


「なんだ、これ……?」


 ふと視界に止まったのは、彼女の腰に縄で括り付けられた『黒紫の仮面』だ。

 顔全体を覆える造形をしており、無骨ながらも重厚な金属光沢を放つそれは、どう見ても女性が身につけるような代物ではない。

 それどころか男が身につけるにしても人を選ぶだろう。

 にも関わらず、俺はその仮面から目を離せずにいた。


 生唾を飲み込む。


 無意識だった。

 彼女を仰向けにした後、俺は仮面へ指を伸ばしていた。

 惹き寄せられるようにゆっくりと。


 そして、指先が仮面に触れた瞬間だった。


「へ——?」


 黒紫の仮面が淡く光を帯びた——ような気がした。

 けれど、少女からくぐもった声が発せられ、咄嗟に仮面に触れていた手を引いてしまった。


 再び意識を向ける対象が少女へと切り替わる。


「……ん」


 程なくして少女の瞼が徐に持ち上げられた。

 奥に隠されていた瞳がこちらに向けられる。


 仮面と同じ『黒紫』の瞳が——。


「っ——!」


 一瞬、思考が止まる。

 黒紫の瞳が俺の思考を停止させた。

 一秒にも満たない刹那が果てしなく長く感じた。


 けれど、


「——離れろ!!」


「うおっ、あっぶね!!」


 少女から向けられる猛烈な敵意と同時に飛んできた回し蹴りに気付き、はっと我に返る。

 寸でのところでどうにか躱せたものの、あとほんの一瞬でも遅れれば顔面にモロに入っていただろう。


 俺が仰け反っている間に少女は、機敏な動きで俺から距離を取っていた。


「てめえ、いきなり何すんだ!?」


「それはこっちの台詞。どうせあんたもこれが狙いなんでしょ」


「はあ? 何を言って……」


「言っとくけど、これは絶対に渡さないから。絶対に——っ!」


 心底大事そうに腰に括り付けた仮面に触れながら少女は、今にも噛みつきそうな激しい剣幕で俺を睨め付ける。

 威嚇するような眼差しと共に警戒心を剥き出しにして数歩じりじりと後退りをすると、脱兎の如く勢いで廃墟の中へ姿を消してしまった。


「あっ、おい! ……ったく、ちょっとはこっちの話を聞けっつーの」


 ため息を溢し、そのまま俺は地面に寝転がる。

 まだ身体中が痛む上に一日中動き回って疲労が溜まっていたせいで、彼女を追う気力は微塵も沸いてこなかった。


「……全く、今日は散々だったな」


 魔物にリンチにされかけるわ、久しぶりにまともに稼げた金は武器代で吹っ飛ぶわ、挙句に助けようとした美女には足蹴にされるわ。

 誇張抜きに災難続きの一日だった。


「——けどまあ、くよくよ嘆いても仕方ねえか」


 どれももう過ぎたことだ。

 それよりもさっさと切り替えて、帰ったら明日に備えてさっさと寝よう。


 そう自分に言い聞かせ、勢いよく立ち上がった瞬間だった。


「……ぐっ!?」


 唐突に頭の中がぐらりと揺れる感覚に襲われる。

 続け様に眼球の奥が灼けるように熱くなり、視界一面が赤と青半々に染まる。

 更に追い討ちをかけるように胸の鼓動が乱れ、得体の知れない何かが俺の中でぞわぞわと蠢いた。


「なんだよ、これ……!!」


 遂にはまともに立っていられなくなり、倒れるように家屋の壁にもたれ掛かる。

 暫く耐えていれば次第に症状は消えていった。


「はあ、はあ……何だったんだ、今の……?」


 考えてみるも、一向にそれらしき答えを見つけられそうになかったので、頭の片隅に追いやって帰路につくことにした。

 けれど、帰っている途中も、家に到着してからも、眠りにつくその瞬間もずっと黒紫の仮面が脳裏に焼きついて離れなかった。


 ——そして、俺の身に起きた異変は、これから起こる運命の嵐のほんの始まりに過ぎなかった。




   *     *     *




 満月の月明かりが辺りを優しく照らしていた。

 遺跡群の片隅、すっかり風化した廃屋の陰で少女は小さく蹲り、全身を引き裂かれるような激痛に悶え苦しんでいた。 


 少しでも気を抜けば、痛みで意識を持っていかれる。

 だが、ここで気を失うことも、声を上げることも許されない。

 すぐ近くを怪物が徘徊していたからだ。


 大きく曲がった角と刃物のように長く鋭い牙が生えた獣のような容貌。

 そして、異常なまでの痩躯を持つ——人型の怪物。


 足元には怪物によってずたずたにを引き裂かれ、肉クズと化した男の亡骸が転がっている。

 肉体の一部は怪物に喰われており、口元からは殺された男の血が滴っていた。


「ああ……不味い。男の肉はクソ不味(まじ)いな、おい。やっぱ喰うなら女子供に限るよなァ!!」


 愉悦に浸り切った笑い声。

 狂気に満ちた眼がこちらに向けられる。


 ——駄目だ、気づかれてる。


 察した少女は、収斂した魔力を全身に巡らせる。

 刹那、とてつもない激痛が全身を貫くが、構わず循環を続ける。


 ここで逃げ切れなければ、待っているのは死——否、それ以上に恐ろしい何か。


 駆り立てる恐怖と生存本能、それから強迫観念めいた使命感が少女を突き動かしていた。


 絶対に捕まるわけにはいかない。

 自分に言い聞かせ、腰に括り付けた『黒紫の仮面』を指先で触れる。


 ——お願い、力を貸して……!!


 祈りを捧げ、少女は遺跡の奥へと駆け出す。

 直後、背後から疾風の如き勢いで黒い影が彼女に迫った。

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