四話 希望
――あれから二日ほど経った。
石造りの壁、そして鉄格子があり、部屋とは言うには程遠い牢屋に輝空は投獄されていた。
牢屋の中は死臭が漂い、ネズミの鳴き声や足音が常に耳に入ってくる。
環境で言えば最悪の一言で全ての説明が片付く。
そんな状況でも輝空は無を貫いていた。
生気は失われ、輝空の中で『生きる』という言葉は存在しない。
しかし、体は至って健康である。
体調に異常が出る訳でもなく、何より男に腕を切られた箇所は既に完治していた。
体の変化は著しいが、自分の精神力は弱いまま。
そして今、輝空の前には謎の少女がいた。
少女はこの二日間の間、事ある毎に輝空に構い、いくら無視をしようが少女はただ一人で喋り続ける。
「今日はいいもの持ってきたんだ。何だと思う?」
「――」
「……実はこんなもの持ってきたんだ」
少女が輝空に差し出したものは、食事だ。
とても豪華とは言い難いものばかりだが、必要最低限な栄養は取れそうなものばかりである。
「あともう一つ持ってきたんだけど、これが本当にすごくてね」
「――」
「指輪なんだけど、付けたらすごいことになるんだって!」
少女はそう言って、輝空の方へ指輪を投げた。
指輪には少し柄がある程度で、宝石のようなものは付いていない。
無論、そんな指輪には無関心。輝空の表情は依然として変化は無い。
「はぁ、これでもダメか……」
少女はため息をして落胆した。
この二日間で少女と輝空は会話を交わしたことがない。一方通行状態である。
それでも少女は中々めげなかった。
どれだけ無視をされようが、少女は輝空に話しかけ続けた。
その思いがようやく届いたのか、輝空は「なぁ」と少女に問いかけた。
「お前、何がしたいんだ?」
「え?」
「俺が危険だってことわかってんだろ。それならどうして俺に構うんだよ」
輝空の突然の質問により、少女は少し驚いていた。
少女は不意をつかれつつ、冷静に輝空の質問に答える。
「私はあなたを見て確信したの。あの予言は嘘じゃなかったってことに」
「よげ、ん?」
「そう、予言よ」
予言という言葉に聞き覚えがあった。
輝空が気絶する直後、あの騎士もまた予言という言葉を口に出していた。
予言という言葉が何を指し示しているのか、答えはすぐに少女の口から出た。
「あなたはね、選ばれたの」
「だれ、に?」
「――世界に」
少女から発せられた言葉は、驚きとともに輝空の生気を少しだけ取り戻した。
これまで無表情だった輝空が、少しだけ顔色を変えた。
輝空の表情の変化を、少女は見逃すはずもなく、再び輝空の興味を惹くために淡々と喋り続ける。
「正確に言うと、あなたは龍に選ばれた。そして、あなたは龍に会うために旅に出るの。簡単な話でしょ?」
「旅に出るって……つまり俺が、この牢屋から出るってことだよな」
「そうだけど……何かおかしなこと言った?」
「おかしいも何もお前……」
仮にこの少女が、自分の犯した罪を知らなくとも、あまりに無神経では無いか。
煮えたぎる思いを、輝空は抑え込むことが出来無かった。
「お前は知らねぇかもしれないけど、俺は人を殺した。二人もだぞ!」
「うん、知ってるよ」
「知ってるならどうして……」
「――」
「俺はもう、あんな気持ち悪い思いしたくねぇ……人を、殺したくねぇよ……」
輝空の瞳から涙が零れ落ちた。
なんの変哲もない一人の男子高校生が、突然異世界に迷い込み、挙句殺人まで犯してしまった。
普通ならば、到底耐えられるはずがない。
しかし少女が輝空に掛けた言葉は、慰めの言葉などではなかった。
「それで、あなたが牢屋に出ない理由はそんなこと?」
「あぁ、そうだよ。そんなことだからこそ、俺はもうこの牢屋で罪を償う……」
「はぁ、あなた本当にそれで男の子なの? いい!?」
少女は声を荒らげ、鉄格子を強く握りしめた。
鉄が響く音と、少女の声だけが空間を支配した。
「あなたはここから出て世界を救うの! こんなところで人を一人や二人殺しちゃった位でくよくよしてる暇なんてないの!」
「……?」
「人を殺した数ばっか数えるんじゃなくて、これからは人を助けた数を数えることね! いい!? わかった!?」
見えるはずもない少女の顔が、一瞬だけ輝空の目に映った。
薄暗い牢屋の中で唯一、少女だけが輝いているように見えた。
――――。
輝空の中で、何かが動いた。
このままでいいのか。自分の殻に閉じこもったままでいいのか。
人を殺した事実を拭えなくとも、人を助けられることは出来る。
「でも、俺は人を殺した……」
「うん」
「二人も、殺した。それでも、許してくれるのか?」
「龍に誓って、私はあなたの行いを許します」
「――!」
少女の言葉が、今の輝空にとって救いとなった。
罪を許してくれる人がいる、それだけで輝空は十分な安堵感を得られた。
「ごめん――」
今ならまだ、やり直せる。
「俺、旅に出るよ」
旅に出る、輝空の出した答えだった。
「本当?」
「あぁ、本当だよ。お前のおかげで目が覚めた。ありがとな」
ものの数分前まで、表情を浮かべる様子のなかった輝空が、覚悟が決まったと言わんばかりの顔つきへと、一瞬にして変化した。
自分の置かれている状況、今自分がしなければならないこと、全ての事柄に理解が追いついた。
少女の顔はうっすらと見えるのみだが、口角が上がっていることは分かる。
――――。
少し、気持ちに整理がついた輝空は改めて、少女の名前を聞くことにした。
少女から何度か、名前を聞かれたが、もちろんそれには答えなかった。
都合がいいのは承知の上だが、今はどうしても少女の名前が聞きたい、そんな気分だった。
「あれだけ無視しておいて何だけど、君の名前教えてくれないかな」
「ステリアよ。やっと私の名前を聞いてくれた」
「なんだか色々と申し訳ねぇな……ちなみに俺は輝空だ。辰谷輝空」
「変わった名前だけど、どこの人?」
「その件については黙秘で。というか、言っても分からないと思うから……」
「それならいいけど」
輝空は極力異世人であることは人にばらさないことにした。
ばらしたくない訳ではない。ただ、ばらしたところで輝空に得は一切存在しない。
「そう! 指輪だ指輪。つけてみろって言ってたけど、何が起こるんだっけ?」
「それが私もあんまり分かってなくて……」
「知らずに渡してたんだ……」
輝空は少しステリアに恐怖を覚えた。
とは言っても、ステリアは親切でこの指輪をくれたのだから、その思いを踏みにじる訳にもいかない。
「まぁ、付けてみるか……」
そう言って輝空は指輪を人差し指に付ける。
――付けてみると、指と指輪の大きさが見事に合致した。
まるで自分のために作られていたのか、と勘違いするほどちょうどいい大きさだった。
「付けてはみたけど……何も起こらねぇな」
「そうみたいね」
期待外れだったのか、ステリアは少し声のトーンを落としていた。
申し訳ないとは思いつつ、仕方がないという気持ちもある。
少し気まずい空気が流れ込み、輝空とステリアは互いに黙り込んだ。
会話が尽きてしまった。いつもなら、ステリアが勝手に一人で喋ってくれている。
が、今回は輝空の方から会話を持ちかけている。
ステリアは受け身になると、めっぽう弱かった。
輝空は咳払いをして、ステリアに問い掛ける。
「えーっと、これって食べていいんだよね?」
「当たり前でしょ。あなたに持ってきたんだから」
「ありがとうございます……」
実に二日ぶりの食事だ。
パンと、サラダと肉が皿に盛り付けられている。
そして、一口食べるとそれはもう絶品だった。
今まで食べたどの料理よりも美味である。輝空はここで、初めて空腹のスパイスというものを体で実感した。
「うめぇ……泣けてくる……」
「美味しそうに食べるわね」
「そりゃあ二日ぶりの飯だからな」
輝空はあっという間に完食した。
育ち盛りである輝空には少し物足りない感は否めないが、文句を垂れるほど嫌な奴では無い。
「ご馳走様。美味かったよ」
「それなら良かった……私そろそろ戻るね。バレると色々言われそうだから」
「バレるって……そこまでして俺のところに来てくれてたなんて、嬉しいねぇ」
「一々口に出さなくていいの! とりあえず行くよ! 明日は私行けないと思うけど……別の人が向かいに来てくれると思うから」
「りょーかいっ」
そう言って彼女は輝空を後にした。