二十九話 百年の怒り
ディアナ・ローヴェルトはマキア魔法大学創立以来の天才魔女と呼ばれていた。
その理由に、ディアナは無詠唱であるにも関わらず、詠唱ありの場合と同等かそれ以上の力を引き出していたことにある。
魔法とはそもそも、詠唱ありきなもので無詠唱で魔法を使うと本来の力を発揮できない。だが、その常識を覆し、無詠唱でも本来の力のまま魔法を使えることを証明した少女こそが、ディアナ・ローヴェルトである。
――やっぱり、一人が一番落ち着くわね。
マキア魔法大学から少し離れたところには、大きな森がある。
その土地は大学が所有しており、生徒はおろか教授ですら不必要な立ち入りは固く禁じられていた。
そんな森ディアナは一人ポツンと佇む。
周りには誰も人間がいない。これほど気楽でいられる場所は他にない。
――はずなのに。
誰もいないはずの森に何故か、人の気配がする。それも二人もだ。
ディアナはそれが誰なのかすぐに理解した。執拗にディアナに構ってくる人など、一人しかいないのだ。
「よぉ、ディアナ! こんなところで何してんだ?」
子供っぽい無邪気な笑顔で手を振りながら近づいてくる少年、アルク・ブリストン。
鮮やかな緑髪はこの自然の中に上手く溶け込んでいるので、とても目に優しい。
そしてアルクの少し後ろにいる黒髪の冴えない少年は、辰谷輝空だ。
輝空は引きつった笑顔で、気まずそうにしながらディアナをチラチラと見ている。
ディアナは溜息を吐いて、アルクに聞いた。
「……今度は、何の用ですか?」
目を細めながらディアナが言うと、アルクは無邪気な笑顔を崩さないまま答えた。
「ちょっとディアナの様子が気になったから来ただけだよ」
「気になってきた? あなた、私をここにいると分かったのですか?」
つけられている感じはしなかった。というより、ディアナのローブさえ着ていれば知り合いだろうが関係ない。尾行されることはまずありえないのだ。
「追っかけ回してたわけじゃないんだ。この千里眼を使って、ディアナの視界を共有させてもらってたんだよ」
アルクは自分の目に指を指しながら話した。
「千里眼、ですか。だからあなたにはこのローブの効果があまり受けていなかったのですね……それで、本当に気になったからという理由だけで私に会いに来たのですか?」
アルクは曖昧に笑いながら、頬を掻いている。
この男が何の目的で付き纏って来るのか。とても、ディアナでは理解出来ない。
「いやぁ、その……この前の代表戦では、物足りなかったから……ディアナと戦いたいと思ってて……」
「ここで? 私と?」
「ここは人もいないし、思う存分戦えるし……」
「はぁ……そうですか」
ディアナは呆れて、言葉も出なかった。
そんなことで執拗に追い回した挙句、ディアナが唯一、人との関係を断ち切れるこの場所で戦おうなどとふざけたことを言っている。
ディアナは思わず笑ってしまった。はたから見たら、嘲笑とも言えるような笑いだ。
「残念ですが、あなたの期待には答えられません。だいたい、あなたは私に勝ったでしょう?」
「あの時は、ディアナも万全ではなかったから……今度は本気で、誰にも邪魔されないこの場所でディアナと戦いたいんだ」
「確かに、あの時は不自然に魔法が霧散してしまいました。それも、私の意志に反して。観客の中に、私の魔法を打ち消す能力を持った人間がいたかもしれません。でも、もし居たとして、それに気づかなかった私が悪いのもまた事実。だから、私は金輪際あなたと再戦するつもりはありません」
ディアナがきっぱり断れば、アルクは苦い顔で下唇を噛み締めている。
それでも、まだ何か言いたげに口をもごもごとしているアルクに不快感を覚えた。なぜこれだけ言って、ディアナの言いたいことが伝わらないのだろうか。
「まだ何か言いたいことでも?」
「俺は……別に、戦いたくないなら、それでもいいけど……」
「それなら、なぜ戦いの申し出を? もうこの際だからはっきりと言いましょう。私はあなた方二人となるべく関係を持ちたくありません」
率直に、抑揚のない声でディアナは言った。
「今まで遠回しに避けてきたつもりなのですが……どうやら気づいてはくれなかったようですね」
ディアナは淡々とアルクと輝空を突き放していく。
その後ろで、プルプルと肩を震わせて怒りを隠しきれていない輝空の姿があった。
ディアナが冷ややかな目で輝空を見れば、ついに輝空の堪忍袋の緒が切れた。
「お前なぁ、いくらなんでも言い過ぎだろうが! 俺のことはともかく、アルクはお前をずっと気にかけてんだぞ! それを蔑ろにして、一体どういうつもりだよ!」
「ソラ、俺は大丈夫だから……」
「余計なお世話なのですよ! 私がいつ、私を気にかけろだなんて言いましたか? 言っていませんよね? 私は一人でいい、お母様以外の人間と馴れ合う気は毛頭ありませんから」
輝空は拳に力を込め、怒りで眉を顰めている。
今にも怒号を飛ばしてしまいそうな輝空に対し、ディアナは酷く冷静であった。感情を表に出さず、無表情で輝空をじっと見つめる。
「だからその言い方を改めろって言ってんだよ俺は! どうしてこうも嫌味ったらしい言い方しか出来ねぇんだよ!」
「こういう言い方でないとしつこく付き纏って来るでしょう? ソラ様、あなたはお気づきでない。私たち家族があなたのおかげで身を潜めるようになったことを」
「……?」
輝空は訝しげな表情を浮かべ、ディアナの目を見ている。
憎しみにも近い感情がディアナを襲う。ディアナが今まで表には出さなかった激情が漏れ出した。
「百年前、龍の半身であるあなたが忌々しい盾を私たち家族に託してから、全てが狂い始めた。常に誰かに襲われるかもしれないと恐怖を感じながら、名前や顔を偽り、そして隠れる。そんな暮らしを強いてきたのはあなたですよね?」
口をへの字に曲げながら輝空は言った。
「そんなこと、俺は知らねぇよ……」
知らないはずがない。百年前、確かにこの男がディアナの先祖に託したのだから。
「知らない? ふっ、まぁそうでしょうね。どこへ行っても龍の半身だからという理由だけで崇められるのですから。私たち庶民のことなんて、数日もすれば忘れてしまうでしょう」
自分や家族を縛った張本人が、その事に全く気づかないことへの怒りが膨れ上がってくる。
どれだけ苦しい思いをして、生きてきたのか。それがこの男には全く分からないのだ。
苦い顔で目線をディアナから外す輝空に、この上ない憤りを感じる。
すると、輝空は俯きがちにディアナに言った。
「俺は、お前の言う百年前がどうとかってのは分かんねぇ。でも……だから、それがアルクへの態度に繋がるとは俺は思えねぇ」
「あなたを慕っているアルクに、同じく嫌悪感が湧いてくることに何か不自然なことでも?」
輝空はディアナの問いに答えるでもなく、ただ自分の唇を噛み締める。
その横で押し黙るアルクを一瞥し、ディアナは二人から背を向ける。
「今後一切、私に関わらないでください」
ディアナはそう告げてから、歩を進めた。
ディアナは一度も振り返ることなく、真っ直ぐ前だけを向いた。桃色の瞳の奥に、涙を浮かべながら――。




