二十八話 黒蛇使いスネイジャー
――ようやく面白くなるって時に、見に来てくれないなんて輝空はどうかしてるよ!
不貞腐れたアルクは、頬をぷくりと膨らませて心の中でぼやく。
魔法都市マキアで開催される最も大きな大会、東西南北に会場が設置されており、それぞれの地区で勝ち抜けば、決勝大会へと進むことができる。
今、ここ東会場では代表を決める大会が行われている。そこにアルクは出場するのだ。
――なんか今日、前よりも人が多いような。
予選大会では観客席に空きがあったのだが、今回は満席だ。チラホラと立ち見している人もいる。
単に予選よりもレベルが高くなったから、というのもある。しかし、それ以上に輝空とディアナとの試合の影響が大きかったのだ。
前回、ディアナとアルクは決勝戦であたり、他の追随を許さない試合をしていた。ディアナが高レベルな魔法放ち、それでも尚倒れることの無いアルクに、観客は皆沸いた。
無論、アルクは自分が客寄せパンダとなっている自覚はなく、いい天気だから人が集まっているのかな、くらいに思っている。
「ははーん? 君が噂になってた子ぉ?」
「噂? なんの事だ?」
まるで蛇を擬人化したような見た目をする敵に、不快感を覚える。
その男は長い舌で唇を舐めて、気味の悪い笑みを浮かべアルクを見つめる。
「自分が噂になってることも知らないなんてぇ、世間知らずなこと。この、黒蛇使いスネイジャーちゃんがしっかり、君を甚振って上げるわ」
そう言って両腕を宙に掲げ、詠唱をする。
アルクが唾を飲み込み身構えると、地中が少しつづ削れていく。
ゴゴゴッ、という音がアルクの足元まで近づいてきた。
瞬きを一回アルクがすると、地中から細長い生き物がひょっこりと出てきた。
アルクの腕に噛み付こうとするその生き物は蛇だ。表面は黒く、目は金色をしている。
咄嗟に避けようとするアルクだが、それより先に蛇はアルクの腕へ噛み付く。
チクチクとした痛みに眉根を寄せて、腕に噛み付いている蛇を振り払う。
スネイジャーは男にしては甲高い声で笑いながら言った。
「その蛇に噛まれてしまった君はもう終わりよ。毒が少しつづ少しつづ腕を蝕み、やがて君は呼吸すらままならなくなるの……そうなったらもう、死ぬしかないわぁ!」
声を弾ませるスネイジャーが、身体を仰け反らせながら笑う。
「数秒後には毒が回って、君は私に泣きつくことになるの。助けてください、お願いしますって! 咽び泣きながら私の足にしがみつく君は早く見たいわぁ。ほら! 早く言いなさい、助けてぇ〜って言いなさい!」
ピリピリと腕の痛みがアルクを襲う
「ほら早く言いなさいよ! 本当に死んでしまうわよ!?」
スネイジャーのにやけ面に、少しの焦りが混じる。
アルクが中々降参しないことへの焦りなのか、その毒によってアルクが本当に死亡してしまうことを懸念しているのか。
既に三十秒は経過しているが、毒が回る感覚はない。せいぜい、蚊に刺された程度の痒みしかない。
「君……どうしてそんなに平然としていられるのよ! 毒よ! 毒! 猛毒なのよ!」
どうやら後者であった。
スネイジャーは、毒に苛まれたアルクが床に這いつくばり、鼻水を垂らしながら惨めに助けを乞う姿を想像し、勝利を確信していた。
しかし、現実は思い描いていたものとは程遠い。
いまいち毒の効果が感じられていないアルクは、心の中で失望する。
やっぱり、本気で戦えるのはディアナしかいないのだと、密かに感じていた。
***
アルクは無事、スネイジャーにアッパーの一つをお見舞いすると、またもや一瞬で勝負がついてしまった。
蛇使い、スネイジャーが操る黒い蛇の毒は確かに強力だ。強力なのだが――アルクの身体はその毒をも凌駕するほど強靭であった。
そして二回戦目、この試合で東会場の代表が決まる。
最初こそ、気を引き締めて試合に臨んだはずが、今は気が緩んできてしまっている。
「……何、してるんだ?」
リングに上がれば試合は始まったも同然。それなのに目の前にいる人と来たら、体育座りをしたままブツブツと何かを言っている。
「あぁ、戦いたくない戦いたくない。負ける、絶対に負ける……」
青白く、不健康そうな顔をしている男。
骨が浮き出ている腕は、とても魔法使いとも剣士とも言い難い。
一般人と呼ぶにも惜しい、まるで病人のような見た目をした男はアルクを見るなり、目を逸らして独り言を呟く、そんな動作を繰り返していた。
「はぁ、なんでこんなことになってしまったんだろう。憂鬱だ。痛いのはもっと憂鬱だ。こんなことになるなら、大会になんてでなければ……」
「ガリガリ兄ちゃんよ、戦うか戦わないのかはっきりしてくれよ!」
「大きい声だ……戦う前に、あの子の威圧感で押しつぶされて負けそうだ。どこも触れられていないのに、体の至る所が痛い。戦いたくない、戦いたくない……」
これでは埒が明かない。一言話せば、必ず何かネガティブな言葉で返される。
試合はとっくに始まり、鐘が鳴っているというのに微動だにしない男は、負けるだの戦いたくないだのと口にする。
「そんなんで、どうやって勝ち進めんたんだよ……」
アルクは率直に聞いた。
「知らない……僕がこうしていると、いつ間にか相手が降参していくんだ……」
「もしや、既に魔法を唱えてるってのかっ!」
アルクが周囲を確認しながら身構えるが、男はあっさりとそれを否定する。
「僕、普通の魔法は使えない……だから、そんなに警戒しないで……どうせもうすぐしたら君も、降参するだろうから……」
「どうしてそんなことが言い切れるんだよ」
口角を少しだけ吊り上げて、鼻で笑いながら男は言った。
「ふっ、だって君がもう、僕の声を何度も聞いてるから……」
「――っ!」
不意に辺りが歪んで見え、凄まじい頭痛がアルクを襲う。
頭が壊れてしまいそうだった。立っていられずに頭を抱えたままその場にしゃがむ。
――これが、こいつの能力なのか。
頭痛は治まるどころか、さらに痛みは増していく。意識が朦朧として、 目を開けることができない。
この危機的状況をどう打破するのか、アルクは考えている暇がない。
――降参。
口に出す寸前で、何とか踏み止まることが出来た。
頭にちらつく男の声、降参しろとひたすら言い聞かせてくる。
――何とか、抜け出さないと!
ほんの少しでも気を抜こうものなら『降参』と口が勝手に動いてしまう。
アルクは気休め程度にしかならないとわかっていながら、両手で耳を塞ぐ。
耳に埋め尽くされるのは弱々しい男の声。それ以外の音と言えば、荒くなった自分の息くらいだった。
「うっ……うぅ……」
呻き声を漏らし、耳を塞ぐ手が強くなっていく。
「うぅ……うぅうぅ……うあぁっ! うるっせぇ!!!!」
耳を塞ぐ手を離し、喉が潰れるような勢いで声を上げる。
そんなアルクの目の前で、体勢を崩した男が「ひいぃぃ」と情けない声を出していた。
「はぁ……はぁ……やっと、抜け出せた!」
アルクは怯える男を睥睨しながら、おもむろに男へ足を運ばせる。
「ぼぼぼぼ僕の負けです! 痛いのは、やめて、やめてぇ……」
目には大粒の涙を溜めて、アルクを見上げる。
まるで父親が子供に暴力を振るっているような光景。アルクは鋭い目で男を刺している――のではなく、その目はもう一度戦いたいと願う、無邪気な子供の目であった。
「よしっ! 気を取り直して、もう一回その魔法を俺にかけてくれ!」
「ひ、ひいぃぃ! 降参しますぅぅぅ」




