二十七話 頼りない教授
「よぉーしっ、早速始めましょうか先生!」
「せ、先生は、やめてください……」
自信なさげな声を上げて手をもじもじとさせる少年、マルクスは極度の人見知りである。
話をする度口吃るマルクスは、輝空とはまだ打ち解けていない。
初対面の人に対しても距離が近い輝空とは真反対な性格なので、自然と拒否感を覚えているのだろう。
「で、ではっ、この、文字たちを、じゅ、順に覚えてもらいます」
マルクスが机に広げた本には、ずらりと文字が書かれている。話によれば、この本は幼児向けの読み書き学習にとてもいいということだ。
輝空は余裕の表情を浮かべている。
「右から順に……」
そうしてマルクスの特別授業が今、幕を開けたのだった。
***
幼児向けだと聞いていた輝空は、自分ならすぐに理解できると高を括っていた。そして、輝空は焦りとともに、自分の頭の出来の悪さに絶望した。
まだ数単語しか覚えられていない。それはいいのだが、どうやらこの世界の言語は英語に似ている。
英語には、文型なるものがあるが、この世界にもそれと同じようなものがある。
日本語のように一文字一文字を組み立てていくというより、文法を覚えていく必要があった。
輝空は英語が得意教科では無い。ゆえに、覚えるには多少時間がかかるのだ。
マルクスによる授業が始まってまもなく、輝空は眉間に皺を寄せ黙々と文字を殴り書きしていた。
「分かってはいたけど、やっぱりつまんねぇな」
「つ、付き合わせておいて、そんなこと、言わないでください……」
弱々しい声でマルクスが言えば、輝空は「悪い悪い」と軽く謝罪をする。
そんな一連の流れを一人の教師が、密かに後ろから見ていた。
マルクスが気づいた時には既に、輝空とマルクスの側までやってきていた。
「我が校の図書館は如何でしょうか、ソラ様」
中年の男の声が背後から聞こえたので、輝空は自身の体を捻り後ろを見る。
白髪の混じった栗色の髪をもち、眼鏡をかけた中年男性、ミネルヴァ・アングレムが爽やかな笑顔で輝空に話しかけた。
「ミネルヴァ、教授」
「やぁ、マルクス。君は、ソラ様とは顔見知りなのかい?」
返答に困っているマルクスに、助け舟を出した。
「昨日会ったばっかり何ですけど、すごい気が合っちゃって、それで今文字の勉強を手伝ってもらってる感じです」
「へぇ、ソラ様は文字の勉強をするためにこの図書館を使われているのですか?」
「正確に言えば、俺の読みたい本を読むためにまずは文字を勉強しなきゃな、ってことです」
さすがです、と言ってぱちぱちと手を叩くミネルヴァだ。
文字を勉強しているだけで持て囃されるとは、非常に気分がいい。それに、読み書きが出来なくとも差程驚かれないことに、輝空は安心感を覚えた。
輝空の横で黙り込んでいるマルクスは、何故か小刻み震えている。
「……さっきから震えすぎじゃない?」
「そっ、そんなこと、ありませんよ。僕は、ミネルヴァ教授を、尊敬しています……」
「は、はぁ……」
ミネルヴァの話はしていなかったのだが、マルクスは酷く怯えた声で尊敬していることを本人に伝えた。
輝空は気になって仕方がないが、あまり探りを入れるのもマルクスが可哀想だ。
輝空も、笑顔を絶やさないミネルヴァの裏の顔を想像すると寒気がしたので、やめておいた。
そんなことより今輝空は、ミネルヴァに聞きたいことがある。
「あの、ミネルヴァさんに聞きたいことがありまして……ディアナの事なんですが」
「ディアナがどうかなされましたか?」
「ディ、ディアナさ、さん、さん!?」
ディアナの名を叫ぶ声に輝空とミネルヴァが一斉にマルクスを見ると、次は頬を紅色に染めて恥ずかしそう顔を俯かせた。
何となく察しがついたので深堀はしないでおく。
「なんか俺、ディアナにすんごい嫌われてて……何かした覚えもないし、そもそも初対面の時から睨まれてたりしたので……」
「ほう」
ミネルヴァは顎の無精髭を摩り、目線を斜め上に向かせて心当たりを探す。
輝空は本当に見当がつかないので、ミネルヴァに頼ることにしたのだ。
「そうですねぇ……私の予想でしかないのですが、ソラ様自身を嫌っている、というより龍の半身であるソラ様を嫌っている、といったことではないでしょうか?」
「龍の半身……?」
初めて聞く名前に輝空の眉を八の字にして首を傾げる。
「龍の半身、私の幼い頃に読んだ本ではそう書かれておりましたので。他には、龍の神子であったり、龍の器と書かれているを幾つかお目にかかったことがあります」
「そんな呼び方するんだ……」
別の方へと興味が移ろうとしていることに気がつき、輝空は咳払いをして話を戻す。
「こほんっ、えっと、龍の半身? である俺を嫌っているってのはつまり……」
「極端に言えば、ディアナは龍そのものを嫌っているのかと」
龍そのものを嫌っている、となれば今までのディアナの態度や言動にも納得がいく。
ただそれで出てくる疑問は『ディアナはなぜ龍を嫌っているのか』ということだ。
異世界に召喚され、目的地までは自分で行けという身勝手ぶりには輝空も不満を隠せないし、輝空も龍のことは嫌いだ。だがもちろん、ディアナは別のことで龍を嫌っている。
「え、えっと、りゅ、龍って、どういう……もしや、あの、龍の、人?」
静かに輝空とミネルヴァの会話を聞いていたマルクスが口を挟んだ。
「ソラ様は龍に選ばれたお方だよ」
「え、えぇぇぇぇぇえ!?」
顎が外れる勢いで口を大きく開き、椅子から転げ落ちる。
口をパクパクとさせて「あっ……あっ……」と喉を潰されたような声を出す。
だから輝空は嫌なのだ。打ち明けると、毎度驚かれる。
「別にそんなに驚かなくとも……」
「こっ、この度は、僕の数々の御無礼を……」
「気にすんなって! もっと肩の力を抜けって!」
倒れ込むマルクスに手を差し伸べると、顔を手で隠して「ひいぃぃ」と言う悲鳴をあげる。
いよいよ収拾がつかなくなってきた頃で、ミネルヴァは曖昧に笑いながら輝空に言う。
「ソ、ソラ様、私はそろそろ……また何か有りましたら、いつでもお聞きください」
「あっ、えっ、ちょっと、」
早足で遠ざかっていくミネルヴァの背中を見つめ、口を半開きにして静止する。
目の前でおぞましいものを見たような声を出すマルクスに、輝空はこれまでで一番のため息をこぼし、そして肩を竦めた。




