十一話 上下関係
「あ、あれ、い、いつ寝たっけ?」
気づけば、ベッドの上で寝てしまっていた。
アルクと会話をしている途中で、睡魔に襲われアルクのベットを借りた所までは記憶にある。
そしていつの間にか、人のベッドで爆睡をかましていた。
輝空はベッドから出て、一階にあるキッチンへ向かう。
アルクの家は、一人暮らしにしては十分すぎるくらい広く、二階もついてある。
輝空は水分補給を済ませ、洗顔と歯磨きに取り掛かる。
向かう先に目を追いやると、何か書いてある手紙が机に置いてあった。
手に取って確認してみると、恐らくこの世界で使用されている文字が書かれた手紙だ。
アルク直筆の手紙であると直ぐに分かった。何せ今は、この家には輝空とアルクしかいないのだから。
「字が全く読めねぇ。ただ、これだけはひとつ言えるな……物凄く字が汚ない」
文字は読めなくとも、字の汚さは明らかだった。
一度、ステリアの字を見たのが大きいだろう。ステリアの丁寧な字と比べると、天と地ほどの差がある。
そんなこんなで洗顔と歯磨きを終えた輝空は、朝食を取る。
朝食も、アルクが事前に用意してくれていたものを食べる。
「あいつ、どこまでお人好しな野郎なんだよ、ほんと」
朝食は昨日食べた夕食より豪華になっていた。
サラダは昨日と同じもので、そしてパンに、冷えきったスープが並べられている。
「いただきます」
食とアルクに感謝しつつ、食事を取り始める。
味はどれも素朴で、それがまた体に染み込む。
ものの数分で食事を完食した。
「ごちそうさまでした」
最後はしっかり手を合わせる。
日本人として、ここを怠るわけにはいかない。
「さてと、今日は何しよっかなぁ。アルクを仲間にするまでこの街に出るつもりねぇし。適当にその辺歩いとくか」
しばらくこの街に滞在するにあたって、土地勘がないままでは何かと不便だ。
輝空は寝室へと戻り、カバンの中を漁る。
散らかった荷物の中には、数着服が備えられている。
その中には、制服や体操服も混じっていた。
半袖短パンの体操服を手に取り、一度試着してみることにした。
「うお、久しぶりに着たけどやっぱ動きやすいな。でもさすがにこれで歩き回るのは恥ずかしいか……」
体操服はパジャマとして活用するのが妥当だ。
輝空は無難にいつも着ている私服を、着用することにした。
輝空は「これがいいな」と一人で納得すると、試着していた体操服をカバンに入れる。
準備も終わり、あとは出掛けるのみだ。
ここに来るまでおよそ二十分。朝には強い輝空である。
戸締りを確認してから玄関前まで行くと、輝空は振り返り、見えるはずのない誰かに向けて言葉を放った。
「それじゃあ、行ってきます」
扉を開け、輝空は力強く足を踏み出した――。
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「やっべ、ドアの鍵閉めるの忘れてた」
その事に気がついたのは、アルク宅から出て三十分が経った頃のことだった。
時すでに遅し、という程の時間と距離では無いが、そもそも鍵がどこにあるかすら輝空は知らない。
鍵のことは一旦忘れて、とにかく前へ進むことを選んだ。
輝空は今、昨日と同じ道を歩いていた。
それは輝空が気になっていた建物が、この道を進んだ先にあるからである。
見れば、どんな用途で使われているか一発で分かるものだ。
「あそこだな」
輝空が進んだ先には、大きな教会が建てられていた。
この街で一番大きな建物、と言ってもいいくらいにはその佇まいに威厳がある。
輝空は近くまで寄りかかり、壁の触り心地を直に味わう。
建物自体は見かけほど古くはなかった。それでも、他と比べればその差は歴然で、民家はせいぜい築二十年から三十年程度のところを、この建物は数百年はとうに越しいる。
「これがハーラルトが言ってた宗教の教会か。なんだっけか、龍……龍……」
「おや? 入信希望者ですかな?」
「ひっ!」
輝空の後方から突然、男性の声が聞こえた。
不意をつかれ、情けない声とともに輝空は振り返る。
そこには、一人の老人が輝空に笑顔を向けていた。
年齢は七十代半ばか、それ以上だ。
「黒髪……」
「あ、え、この髪がどうかしましたか?」
「いえ、あまりにお見かけしない髪色ですから、つい心の声が漏れてしまいました」
「確かに、この辺では珍しいですもんね」
水色の穏やかな目は、この老人の人柄を表している。
「それで、どなたで?」
「おっと、申し遅れましたな。私、ブルンテルク領オーリオを主に拠点として、司教を務めさせて頂いている、ドミトス・ホードレイクと申します。以後お見知りおきを」
予想外に丁寧な自己紹介に、輝空は狼狽えつつも、なるべく自分もそれに習い挨拶をする。
「あ、辰谷輝空です。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
「ソラ様、ですか。とても良い名前をお持ちで」
「そんな様なんて付けなくていいですよ。本来俺がもうちょい敬意を示さないといけない立場にあるのに……」
「そんなことはございません。私の立場的にも、あなたは敬うべき存在にあるのですから。そうお気になさらず」
「立場的?」
輝空の疑問に、ドミトスもまたはてなマークを頭の上に浮かべた。
輝空の中で妙にこの言葉が引っかかった。
司教と一般人、本来ならば司教が立場的にも上であるのが当然だが、ドミトスの発言からして、輝空の考えている立場とは逆だ。
ドミトスに質問したい気持ちも山々だが、今聞きたいことはそこでは無い。
幸運を呼ぶ緑の星、その正体について詳しく聞きたい。
「あ、今のことは忘れてください。そんなことよりドミトスさん、幸運を呼ぶ緑の星って一体なんなんでしょうか?」
「幸運を呼ぶ緑の星?」
「はい。ここらでは有名と聞いたので」
「もちろん、私も存じ上げておりますよ」
「ですよね!」
ようやく正体を掴めると知り、輝空は声のトーンを上げた。
話の続きが気になり、うずうずしている輝空とは逆に、ドミトスは眉をひそめて何かを考えている様子である。
「不満があるように見えますが……何か問題でもあったんですか?」
「気にしないでください。こちらの問題です。それで、幸運を呼ぶというのは民衆がでっち上げた単なる迷信ですよ」
「迷信ってことは、本当は幸運が舞い降りて来ることは無いと?」
「はい。全くもって幸運が訪れることなどありません。そもそも、根拠がない。そんなもの信じるくらいなら、私が司教を務めるこの『龍神教』に入信した方が運気が上がるに違いありません。どうですか、ソラ様。体験入学も受け付けておりますよ」
「勧誘の仕方が自然すぎて、あっさり入信するところだった……それはまた後日お話を……」
「冗談ですよ。ただ、緑の星は実在します。正確に言えば、星ではなく人間ではありますが……そこは深く気にしなくても結構です。もしその人物に会っていれば、大体見当は着くと思うので……」
「あぁ、はいまぁ何となく……」
ドミトスの口振りから、緑の星というのはアルクだろうと輝空の中で確定した。
わだかまりが解けたことに喜びを覚えると同時に、自分の目でも確かめたいと好奇心がくすぐられる。
「他に聞きたいことはございますか?」
「特には……」
「そうですか。では私はこの辺りでお暇させて頂きますね。また何か分からないことがございましたら、なんなりとお申し付けください」
「はい!」
そう言ってドミトスは輝空を後にした。




