幕間 旅の記録
『旅の記録十二日目 かれこれ二週間が経とうとしている。龍よ、どうか俺に飯と水を与えてくれ。このままだと龍に辿り着く前に死んでしまう』
横倒れになった木に座り、輝空はメモ帳に記録を書き記した。
この十二日間の旅の中で、輝空は様々な問題を抱えている。
特に深刻なことは食事である。
買えない、という金銭的な問題ではなく、村が中々現れないのだ。
加えて、この辺りはとにかく暑い地域であり、食品の腐敗が著しく早い。故に、食料のストックもそう易々と作ることができないのである。
ここ二日は何とか干し肉で栄養は補っている。
それもあと数日すれば底を尽きてしまう。
「どうしてこんな何もかも上手くいかねぇんだよ! 俺の異世界ライフはどこいったんだよ全く」
気温が高いせいか、輝空の苛立ちも最骨頂に達している。今にも地面にヒビが入りそうな勢いで、足を小刻みに震わせた。
「あぁもう腹立つなぁ。こんなことなら、仲間の一人や二人くらいちゃんと探せば良かった」
何かと問題ばかりの旅。
苛立ちと後悔で頭がおかしくなりそうになる。
――ふと、ステリアの顔が思い浮かんだ。
ステリアが自分の背中を押してくれるように、声をかけてくれる。
『頑張ってね』
その言葉に何度、救われたことだろうか。
輝空は自分の手を見る。もう一方の手の親指で、指輪を撫でる。
複雑な柄が刻まれた指輪の感触を感じると、すぐさま拳を握りしめた。
「弱音を吐いてる暇なんてねぇな」
微笑を浮かべ、輝空は再び立ち上がった。
地面に置いてあった荷物を背負い、歩みを再開した。
――
二歩ほど歩いたところで、輝空は足が止まった。
輝空の目の前にいた何か、動物のような生き物が行く手を阻む。
「な、なんだよ、こいつ」
見た目は鹿であるが、日本にいる鹿よりも大きく、牛と同等の大きさである。
それに、色も茶色ではなく黒が混ざっている。
「ただの鹿じゃないなら警戒心がないのも不自然か。見た目も美味しくなさそうだけど……今はやむを得ない」
再度荷物を下ろし、輝空は戦闘態勢に入る。
向こうも輝空の殺気が感じたらしく、こちらを向き輝空に威嚇をした。
「この程度、今の俺にかかれば――ごふっ!」
動物は少しの間輝空を睨んだ後、コンマ数秒の短い時間で輝空の間合いに入り、輝空は一直線に木へ吹っ飛ばされた。
激突時に鳴った轟音が、この動物の力を表している。
「いってぇ! 人が気持ちよく喋ってる時に突っ込んで来んじゃねぇ!」
輝空は頭を少し打つ程度の軽い怪我だ。
体が頑丈になったことに一安心して、体勢を整えようと体を踏ん張った途端、再び動物の猛攻の被害に遭う。
「――っ!」
咄嗟に腕を構えたおかげか、顔は守れた。
しかし、その後もこの動物の猛突進は止まらない。
砂埃が消えると、すぐにまた動物がこちら目掛けてやってくる。
――クソっ、避けらんねぇ!
少しずつダメージが蓄積していくのが分かる。反撃する隙すら与えられない。
「――ん?」
その動物は突然制止した。
一瞬何が起きたか分からなかったが、動物の様子を見てみると、血が流れているのが分かる。
傷跡を確認すると、弓で射抜かれたような跡がある。
「誰が、こんなこと……」
考える必要もなかった。
のそのそと歩く音。確実にこちらに近づいてきている。
音がする方角を向くと、そこには一人の男性がいた。
顔は髭に覆われ、手には弓を持っている。
一瞬熊と勘違いしてしまうくらい、男性は全身毛むくじゃらである。
「――」
「あなたが、これを?」
男性はその問いかけに、少しだけ首を動かし頷いた。
すると男性が仕留めたであろう鹿を、片手で持ち上げ元いた所へ戻っていく。
「ついてこないのか」
「あ、えっと、失礼します」
輝空は言われるがまま、男性の後ろを辿って行った。
―――――――――――――――――――――――
「うめぇなこれ! 初めて食ったけど」
輝空はあの後、男性に迎え入れられた。
食事、そして一日分の宿も用意してくれると聞いて、嬉しい反面、少し疑心暗鬼になっていた。
人は見かけによらない、と言うがこの男性の風貌を見てそんなこと言えない。
それでも、味覚は嘘をつかなかった。
輝空の目の前にある大量の肉料理はどれも絶品である。
男性の料理が上手いことは前提として、それぞれの肉にも独特の風味や匂いがあり、非常に食欲を掻き立てられる。
「ジビエ料理って初めて食べたけど、こんなに美味しいんですね」
「――」
「味付けもとても自分好みですし、もしや俺の好きな物とか分かります?」
「――」
「えっと……そういえばお名前聞いてませんでしたね……俺は辰谷輝空です」
「トルドだ」
男性の名前はトルドという名前だ。
名前を教えあえば、いつしか心を開いてくれるだろうと信じ、輝空も質問することを辞めない。
「トルドさんはいつから狩猟生活をしてるんですか」
「……三十年くらいだ」
「三十年も! 俺が産まれる前からしていたんですね。だからあんな正確に撃ち抜くことができるんですね! あ、それとあの動物の名前はなんというのでしょう?」
「リーブルだ」
「へぇ、リーブル……魔物とかではないんですね」
「魔物ならあれほど弱くない」
「やっぱりいるんですね……魔物」
道中、魔物とやらに出くわすことはなかった。
強さは分からないが、リーブル以上に強いのならば、輝空の頑丈な体をもってしても耐えれるかどうか。
「お前、体はどこも痛くないのか」
「事情あってすげぇ頑丈な体になってるんですよ……これでもまだマシになった方ですが」
初めて、トルドから話しかけてくれた。
心を少しでも開いてくれたのなら嬉しいばかり。輝空はこれから会った人とは、なるべく関係を作るという小さい目標もある。
そしてトルドだが、怪我がないと聞いて、ほんの少し驚いていた。表情の変化は微々たるものである。
輝空はしばらく、トルドと談笑をした。
――食事を終え、輝空は食後のデザートを楽しむ。
トルドはとにかく、おもてなしが素晴らしい。
「それじゃあ、このまま真っ直ぐ進めばブランテルク領とやらに着くんですね」
輝空は現在地の確認をしている。
地図に書かれている国名、次の行き先についてトルドから教えてもらった。
輝空の次の行き先は、イリジア王国ブランテルク領という所だ。
イリジア王国最南端にある。トルド曰く、イリジア王国一治安のいい街ということ。
「出来ればこの街で仲間一人くらいは作りたいな……トルドさん、俺と一緒に旅とかしません?」
「……旅には出ん。街の人間は嫌いだ」
「街というと?」
「俺は一時期、王都に住んでいた。王都の人間は息を吐くように嘘をつく。その頃から、俺は奴らを信用出来なくなった」
輝空はトルドの言っていることに共感できる節がある。とは言っても、トルドと輝空の認識には少しだけ違う部分があった。
「それなのになぜ、俺をこうして迎え入れてくれたんですか」
「お前が、困っていたからだ」
意外にも、それは簡単な答えだった。
「つまらない答えだったか」
「いえ、別にそんなことは……」
「表情に出ているぞ。確かに、つまらない答えであったがな」
トルドの硬かった表情が、少しだけ緩んでいた。
何を思ったのか、輝空にはさっぱり分からなかった。
「ソラ、お前は自分らしく生きろ。そうすれば勝手に、人は集まってくる。今日の俺みたいにな」
「集まって……欲しいです。俺人一倍寂しがり屋だし、一人じゃなんにもできないような人間だし」
「人を助け、人に助けられ、そうして自分という存在が出来上がっていくものだ。最初からなんでも出来る者などそうそう居ない」
自分自身を卑下する輝空の性格を、トルドは片っ端から否定した。
「俺もトルドさんみたいに人を助ければ、自然と人が寄ってきますかね……」
「当たり前だ。俺とお前は違うのだからな」
これだけ、自分のことを褒めてくれるありがたい。
ありがたいが――それと、自分を悪く言うことは別の問題だ。
「トルドさんは優しいです。自分を悪く言わないでください」
「……そうか」
「はい」
輝空はトルドの目をじっと見る。
あまりの目力に圧倒されたのか、トルドは目線を輝空から逸らした。
輝空は話を変えることにした。
気まずい空気が流れ、お互い沈黙が続く。
何を話せばいいのか分からない。頭をフル回転して、ようやく言葉が出てきた。
「星が、綺麗ですね」
「どこを見て言っているんだ」
「え、あれ星じゃないんですか!?」
「俺には埃にしか見えないが……」
よく見ると、いやよく見ずとも窓に付着しているただの埃だった。
「二階に行けば部屋がいくつかある。好きに使え」
「ありがとうございます。あ、それと体だけ流してもいいですか」
「あぁ」
疲労がすごい。今までの疲れがどっと襲ってきたような気がした。
――早く寝よう。
――――――――――――――――――――――――
木で作られ、こぢんまりとした空間である。
輝空はボールペンを手に取り、机に向かっている。
「今日はまた濃い一日になった……」
昼書いた日記を書き換えることにした。
『旅の記録十二日目 今日はトルドさんと言う男性に出会った。トルドさんは食事だけでなく、家も泊まらせてくれた。優しいなぁ……そういえば、旅が始まって十二日だ。そろそろステリアが恋しくなってきた頃だ。次会うのはいつごろになるのか分からないが、その時までにかっこいい男になりたい』
旅が始まって以来の長文になった。
「後半は記録とか関係ねぇな」
自分でツッコミを入れ、メモ帳を片付ける。
「持ち物よし。歯磨きもオーケー」
確認を終えたところで一段落ついた。
輝空はいつもの如く、ベッドにダイブする。
「ベッドで寝られることって、こんなにも幸せだったんだな……」
これからまた、野宿と考えると憂鬱だ。
テントはあると言え、人一人分しか入れない上、とにかく地面が固い。せめてものマットも一応あるが、寝心地は最悪だ。
輝空は手を頭の後ろで組んで、天井を見上げる。
瞼に重みが増していき、やがて目を瞑った。
――明日からも頑張ろう。
そうして輝空は、深い眠りについた。




