瀬戸楓①
「速報です。アメリカのNASAは先程……え? あ、し、失礼しました。NASAは先程、超巨大隕石が接近しており、4月3日、地球に衝突する恐れがあるとの予測を発表しました」
ピロリリンという警報音と共に、上ずった女性アナウンサーの声が、安楽椅子で微睡む俺の耳を通り抜けた。
一月後、どうやら世界は滅びるようだ。俺は靄のかかった頭でドッヂボールの様に事実を受け止める。受け止めたボールはしかし回転を始めて自身の手を離れ、風を起こして靄を晴らしていく。
「え? は?」
俺は飛び起き、キョロキョロと周囲を見渡す。咄嗟に受けたショックを共有しようとするが、共有する〝誰か〟は近くに居ない。強いて言うならば、俺と同じ反応をしたアナウンサーこそが、最も衝撃を分かち合った人物だろう。
どうやら本当に世界は滅ぶらしい。その事実を改めて理解するのに数十分の時間を要した。
しばらく放心した後、立ち上がって窓の外の夜空を見上げる。そこに星はない。枯れた空とは裏腹な、眼下に広がる都市の光が、眩く夜を照らしていた。ポケットからスマホを取り出してSNSを覗くと、それはまあ酷い有様だった。終わりを嘆くもの、何かの間違いだと喚くもの、陰謀論を疑うもの、大掛かりなドッキリだと自信ありげなもの、自称預言者。誰も彼も現実を未だ受け入れられていなかった。まあ、こんな時にSNSに書きこむ人間はそういう人種と言われればそれまでだが。
「ま、いっか」
そう呟いて、安楽椅子に腰かける。傍には、パチパチと乾いた音を鳴らす暖炉の火と、テーブルに置かれた読みかけの文庫本。
本に手を置き、暖炉の音に耳を澄ます。リラックス効果をもたらすそれらが子守唄となり、俺はうつらうつらと船を漕ぎ始める。
火事の心配はない、設置された防災設備は、最新ではなくとも十分に信頼出来るものだ。
22世紀にはそぐわぬ、レンガ作りの古風な屋敷で、ひとり眠りに就いた。
朝六時、目を覚ましてテレビをつければ、朝のニュース番組にて隕石についての特集が組まれていた。とはいえテレビ局も大した情報は持っていないようで、昨日見たSNSとさして変わらないことをコメンテイターが議論している。NASAは最初の会見以降沈黙を守っていた。他の内容を流している番組がないかザッピングしてみても、どこのチャンネルも隕石のことばかりで、かたくなに通常放送を曲げない某テレビ局でさえも、緊急のニュース特番を組んでいた。俺は次第にいやな気持になってきてテレビの電源を落とした。
スマホのロック画面は、大学からのメールを複数受信していることを知らせている。
「大学は休講かね」
特に何か災害でも起こったわけではないが、大学側も混乱しているのだろう、本日全学休講ですと、酷く無機質な単語の羅列が送られてきていた。受信時刻は朝の四時三十二分。そんな早朝からご苦労な事だ。
さて、せっかく生まれた休日なのだから、満喫せねばならぬと一種の使命感でソファから立ち上がり、朝食の準備をする。バタートーストを一切れと、インスタントマシンのアメリカン。三百六十五日、何一つ変わらぬマイブレクファストだ。
何をしようか。トーストをかじりながら考える。休日を楽しまねばと息巻いていたおれだが実のところ何をしたいとか、どこに行きたいとか、全く考えていなかったのだ。世界が終わるのだから、家族と過ごすべきだろうとも思ったが、東京にいる彼等に会いに行くのはある程度の手間を要す。今の段階では時期尚早に思えた。一応、早朝に父と連絡を取り、事態がはっきりしたら状況に関わらず一度実家に戻ることを伝えている。今はそれで十分だ。
次に、どこかへ赴く案だ。これは一も二もなく却下だ。そもそも連れ立つような友人もいなければ、我が家は森の上に建っている。そう簡単に街へは降りられない。いつもいつもクマになったような気分で過ごしている。
そもそもザ・洋館といった形をしている我が家だが、さして由緒もなければ、歴史もない。曾祖父が道楽で建てた屋敷で、何なら隣に蔵もある。洋館の隣に日本風の蔵だ。曾祖父はそういう和洋問わずそういった古風なものが好きだったらしい。それは俺にもしっかりと引き継がれていて、だからこそこんな不便な家に住んでいる。それに不便と言っても、通販のドローンは飛んでくる。
「そういやあの蔵いつから整理してないんだっけ?」
ふと気になった。少なくとも俺が住み始めてからは一度も入ったことがないし、多忙な父がわざわざこんな山奥にまで来るとは思えない。ひょっとしたらかなりの間放置されているのではないか。
そこに俺は宝のにおいを嗅ぎ取った。骨董品でも眠っていたら中々面白いぞ。俺はそんな皮算用をしつつも、今日の予定を決めたのだった。
蔵は鬱蒼とした木々の隙間に建てられており、白い壁と黒い瓦の、蔵と言われれば誰もが想像するものそのものの様な、典型的な見た目をしている。建築物としてはあまり大きくはなく、大きめの車庫ほどのサイズで、ウォード錠の鍵穴は、見た目に反してステンレス製だった。
同じくステンレス製で錆びも見受けられない鍵を差し込み抵抗と共に回すと、コンという軽い音が鳴る。扉を引けば埃が舞った。あらかじめマスクとゴーグルを装備していたものの、それでもせき込むほどの量だった。
これは本当にもしかするかもしれない。放置された時間の長さを感じる状態に、俺の期待は上がっていった。曾祖父は骨董品のコレクターでもあったので、それが置きっぱなしになっているかもしれなかった。
懐中電灯で中を照らすと、会社の資料室にあるようなスタンドの棚が並べられ、そこに段ボールが複数置かれていた。雰囲気台無しだなと思いつつも中を覗くと、古びた本が入っていた。日本刀はなかったかと当てが外れて落胆したものの、この本たちだって相当に貴重なものには違いない。
「わ、ハリーポッターの初版本じゃん」
本を手に取り内容を見る。手に取った本の奥付を見るのは、まあ癖みたいなものだ。
ほかの段ボールの中も見ていく。先ほどの様に本が入っていたり、何かの他ペストリーやメダル、アクセサリー類。日用品や小物ばかりで目立ったものはない。
現実はこんなものだよなと引き返そうとすると、蔵の一番奥の棚に、一冊だけ裸のまま置かれていた書物を見つけた。本というよりは手帳のようで、裏表紙には瀬戸柳と書かれてある。曾祖父の名前だ。中身はどうやら日記らしい、それも二十代の時のものの様で、少しためらわれたが、好奇心に負けてざっと序盤を読んでしまった。
内容はうだつの上がらない青年だった曾祖父が成功するまでの日常や思想を綴ったもので、どこか小説風の語り口が軽妙で、単純に読み物として面白い。特に、ランボルギーニへの逆恨みの場面は、現実は小説より奇なりを体現しているのではと言う程だ。
それ以上に、曾祖父の思想に思うところがあった。百年以上前の生活を垣間見て、その思考に思いを馳せることを、楽しんでいる時分がいた。
気付けば太陽は真上に上り、胃は空腹を訴える音を出している。お昼時だ。
俺は昼食を取るため蔵を出て、蔵扉に鍵をかけ、日記を手に持ち屋敷へと歩みを進めた。
ヒューマンドラマ……の、つもりです。
正直に言うと純文学と言い張る勇気がなかった。