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バルディルラン②

息子の厨ニ病を叩き潰すために書いた

池の石畳を通るとすぐに木々から抜けて、大きな建物の裏に着いた。

太い煙突から煙が大量に噴き上がっている。

『赤い心臓』公が裏口の扉を開けた瞬間、「ぎゃー!」と悲鳴が上がった。

「レジー! 何それ!?」

小さい。小さいが年取った女性だ。バルディルランより小さい。バルディルランよりも小さいのにずっと年寄りだ。

「どしたの、何処に行ってたの!? どーしてそんな事になっているの!?」

小さい身体からよくそんな大声が出るものだ。

「そして誰なの此奴らは!? 何やってきたの!?」

「あはは! ごめんねセトリエ」

叱責の大声で、赤毛の青年もやって来た。イザクより年上だろう。彼もバルディルラン達の姿を見た瞬間、「ぐほぐほ」とむせ込む。

「レジさん、一体何があったんですか?」

「んん、池で拾った」

「池で拾ったあ!?」小婆が頬に手を当てて叫ぶ。

「怪し過ぎる!」

「ドマニの狩りからはぐれたみたい」

「え、陣営はここから二日弱の距離ですよ、池の反対側から拾ってきたんすか?」

頭を抱えながら青年は、ずぶ濡れの子供と血塗れの若造に、同情の眼差しを送る。

「難儀でしたね、すぐに陣営に遣いを……」

また「ぎゃー!」と悲鳴が上がった。

「レジー! アンタ早くパンツ、じゃなかった下帯付けて!」

点々と、血液混じりの水滴を垂らしながら「あはは」と笑っている『赤い心臓』公に、小婆は背伸びしてもまだ浴布が届かない。

「あ〜あ〜」

「また何してきたんですか?」

「大丈夫ですか、喧嘩したんですか?」

通り掛かった人達も驚き呆れて、声を掛けていく。皆気さくだ。裸に、ずぶ濡れに、血塗れなのに。

「スグフ」『赤い心臓』公が赤毛の青年に声を掛けた。

「ウドムを呼んでおくれ。それと法石をお願い」


慌てた顔で、中年のノミの男性がやって来た。赤色の肌に褐色の瞳。

「あー、……難儀でしたな。レジーがすみません」

何も聞かずに謝った。

「さて、先ずはゆっくり身を浄めておいで」

と『赤い心臓』公に言われ、男性の案内で、この建物内にあるセントーという所に連れて行かれた。

「ここは砦独自の施設でして、一緒に入りながら説明しましょう」

「やはりここは砦の裾元なのですね」

 イザクの問いに、案内人は笑顔で答えた。

案内人はウドムと名乗った。

 親切だ。『赤い心臓』公の部下か。

「さて、此処で服を脱ぎます。身に着けている物は全て外して下さい。あ、武器の持ち込みも禁止です」

 目を剥くイザクに「はい、守ってくださいね」と笑顔のウドム。

「貴重品もまとめて下さい。こちらの管理所で預かって貰います。砦の兵士なので安心ですよ」

ウドムは容赦なくバルディルランを裸に剥いて、彼自身も手速く服を脱ぐ。渋々言われた通り裸になったイザクに心許ない大きさの布を渡すと、奥の扉を開けた。

 視界が真っ白になった。熱気と蒸気にむせる。

 眼の前に大量の湯があった。削り出した石で組んだ大きな水槽に湯が流れ込んでおり、その中に人が入っていた。

「何だこれは!」

「フロ、と言います」

「フロ! 凄いな、この大量の湯はどうやって確保している?」

「池から引いた水を、別室で火を炊いて沸かしています。皆で共有することで、手間を省いています。足元滑りますから気を付けて下さい、走ってはいけませんよ」

「イザク、イザク」バルディルランが、掴んでいる手を更に強く掴む。「僕、入りたくない」

「大丈夫ですよ、皆、裸です」

案内人ウドムは笑って諭す。

「さ、先ずは身体を洗いましょう。布を濡らして、布で石鹸を泡立てて、身体を擦ります。独特で斬新でしょう」

小さい盥に湯を掬って、小さい木の椅子に座って身体を洗う。

 いつもは兵舎の水場か、湯を張った大盥の中だ。

逆にこんなにも広々としている所で、尚且つ素性の知らない多数の他人に無防備に裸体を晒すのは、開放的過ぎて心許ない。

 バルディルランは横で「熱い、熱い」と繰り返しながら、ぶるぶる震えている。

「後ろの水瓶で調節して下さい」

 ウドムは、バルディルランの身体を丁寧に洗っている。頭から少しずつ盥で湯を掛けると、バルディルランは大仰に両手で顔を擦る。

 幾人かが声を掛けてきた。皆気さくだ。

 砦の裾元は貿易路から程近い場所のせいか、ノミからも、その奥のアバメからも、わざわざフロに入る為にやって来る人が居るそうだ。そういう住人以外の利用者は、入浴代の他に薪代を払う事になっているという。また、宿場食堂も賑わっているという。

「ではユブネに入りましょう」

 ウドムは、目の前の、大量の、湯の中に入れと言った。大量の水は怖くないが、これ程大量の湯は初めてで流石に躊躇う。火傷しないのか、苦しくないのか?

 いやいやしているバルディルランを笑顔で抱き抱えたウドムは、湯の張った槽に肩まで浸かった。

「ひいいいぃぃ」と、真っ青な顔でバルディルランが震えている。

 イザクもそろりと足を浸す。ぴりりとした感触に一旦引くが、もう一度浸すとじんわり温かく、身体の芯まで痺れた。

 ゆっくりとウドムのように肩まで浸かった。ほう、と息をつく。

「気持ち良いでしょう」

 笑顔のウドムに、イザクも笑顔を返した。

 バルディルランは顔が真っ赤だ。

「バル様はのぼせてしまったようですね、先に上がって待っています。イザク様はそのままゆっくり浸かって下さい。あ、百数えるうちに上がって下さいね。のぼせて倒れますから」


用意してもらった寝間着のような上下を着て、セントーの一室に案内された。

部屋といっても、戸板で仕切っているだけのものだ。有事の際には戸板を外して集会所や療養所になるのだろう。

戸板の隙間から、湯上がりの女性達が見える。女性用のフロも隣接してあるのだそうだ。見馴れない羞恥に目を逸らしてしまう。

ウドムは法石で、バルディルランのあちこちを治療した。イザクの鼻も治療したが、少し曲ってしまったようだ。

「ここの方々は皆気さくですね」

『赤い心臓』公の、気質が皆に伝わっているのか、それとも砦に集う人達の気質なのか、皆が話し掛けてくる。


フロでも、素性の怪しい自分に何人か話し掛けてきた。

「お兄ちゃん血塗れだったな、総代に殴られたのかい」

「何処から来たんだい」

「フロ初めてか、いいもんだろう」

「レジーは小さい頃からお転婆だったからなあ」

「俺は此処の金物屋、此奴は木材屋」

「あの掃討戦のレジー公は、耳が切れても弓打つのを止めなかった、豪胆な方だよな、幾つだったっけ?」

「お前は真っ先に逃げてただろうが」

「刻印も美しいよな」

「おっと、顔が赤いぞお兄ちゃん、のぼせたか」

「水飲め」

「これから『赤い心臓』公の下で習従する予定なのかい」

「兄ちゃん若いんだから、気張らないとな」

……いやはや、こんなにも引っ切り無しに話し掛けられるなんて今まで経験したことが無いので、どうやって切り上げて良いのか分からなかった。


「そうです。この辺りに住んでいる者は、殆どが砦勤めです。皆、顔見知りなのですよ、良い所なので」

ウドムが笑顔で返したの言葉の裏に、ひやりとした。部外者が危険かどうか見定めていたのか。

「貴方はドマニの者なのですか? いや失礼、央都でなければ知らない所作が見受けられたもので」

眠ってしまったバルディルランを抱えながら、イザクはウドムに尋ねた。

 ウドムは笑顔で答えた。

「妻と子供は央都に居ますが、私の実家はノミです。レジーの『右手』なんです、実は」

「え、本当ですか!?」

戯曲にあった。『赤い心臓』公『赤い心臓』公には『右手』、『左手』、『右足』、『左足』と呼ばれる側近が居て、彼等と砦を攻め入ったと。


 ノミ自治区は、ドマニ辺境地と接する隣国の地だ。小領主達が連合で治めている。

 何十年も前、無国境地帯だったこの地に、ドマニがこの砦を建ててた。

昔は戦略的にとても有利な立地だった。だから無国境地帯だった。そのような処にドマニの砦が出来たので、幾度となくノミと紛争が起きた。

数年前に、『赤い心臓』公が側近と共に砦に攻め入った時に、ドマニ辺境伯と出逢い、協定を結んだと、ドマニ史記に載っていた。賤しくも美しく、剛胆な女性だと載っていた。

 央都には、精霊の化身のような姿に、焔のようにたなびく赤い髪が輝くのを見た辺境伯が、恋をして求婚したが、異国婚や身分差で辺境伯の立場が悪くなる事を憂えた『赤い心臓』公が身を引こうとするも、辺境伯が愛を貫いた、という戯曲まである。戯曲は最後こう終わる。

「ドマニの赤い心臓が私を燃やす限り、私は跪き、愛を誓うのだ!」


「ああ、戯曲を観ましたか」

『赤い心臓』公の『右手』は、笑顔で言った。

「幻滅したでしょう、すみません」

戯曲での『右手』は長弓の名手で、思慕故に捕虜になった『赤い心臓』公の身代わりを名乗り上げ、『赤い心臓』公への叶わぬ恋に静かに身を引き、『赤い心臓』公と辺境伯の恋を見守る役だ。美男子が演じていて、乙女達が悲鳴と共に涙する。

「いや、いやぁ~」

イザクは言い淀む。目の前の『右手』は、やや背の低い、下腹が出た中年だ。当時は美男子だったのだろうか、……いや想像出来ない。

「『赤い心臓』公も、全然違かったでしょう」

戯曲の『赤い心臓』公は、可憐に赤いドレスを纏い、花冠を常に被っている。

「そ、そうですね」

そう応えて良いのだろうか。

「数年前、皆で戯曲を観た時、余りの美化と歪曲に、皆で笑ったり怒ったり。レジーなんて羞恥に耐えられず、悪酔いまでしましてね」

『右手』はくくくと思い出し笑いを堪える。

一緒に笑って良いものなのか。


「あ、居た」

声と共に、薄開きの戸板が音を立てて開け放たれると、大柄の男性が顔を覗かせた。赤色の肌に薄い色の瞳が印象的だ。

「そろそろ飯にしよう。『レジーのお身内の方』、どうぞ。着替えを持って来たんですが、丈は合うかな。ああ、坊は寝ちまったか、ならこのままでいいか」

「シデンです」ウドムの紹介に

「シデンです、セントーで会った木材屋の息子です。池で拾われたって本当ですか?」

と、気さくに尋ねられた。

「イザクです。え、いや、まあ、本当です」

情報が伝わる速さに焦りを隠せない。鼻を撫でつつ言葉を濁すしかない。

バルディルランは丸太のようにシデンに担がれた。

「にしても良かったですね~」

シデンがにこにこと言う。

「大抵は、池の泥に足を取られて、溺れて死ぬんです」

「え」

「数年に一人二人位は、遺体も揚がりません。泥に埋まっちゃって」

ぞっとする。

あわよくば、を狙った行為か。

王弟残派か。

「良かったですね」

声を掛けられ、はっとして顔を上げる。薄い色の瞳がしっかりとこちらを見ていた。

「良かったです」

もう一度言われて、一気に冷や汗が噴き出した。歯の奥が震えた。

彼等は既に考慮していたのだ。

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