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デッサン  作者: 不帰小屋
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デッサンⅤ:彼ら

 俺は元来哀愁といふものを好かない性質だ、或は君も知つてゐる通り好かない事を一種の掟と感じて来た男だ。それがどうしやうもない哀愁に襲はれてゐるとしてみ給へ。事情はかなり複雑なのだ。人は俺の表情をみて、神経衰弱だらうと言ふ、(この質問は一般に容易である)うん、きつとさうに違ひあるまい、(この答弁は一般に正当である)と答へて後で舌を出す。そして舌はまさしく俺自身の為に出してゐる事を思ひ、俺は満足するのだ。

(小林秀雄「Xへの手紙」)(※1)





 八月十四日、雲も忙しなく流れるほどに、風がよく吹いて暑さもほんの少し柔らぐ。ぼくたちは、真上にある太陽の降り注ぐ日差しが、体温を上昇させるのを気に留めず、菓子折りを脇に抱えながら、足取り重く並木家へ向かっていた。並木家の玄関はここら一帯の家々と同じく、雪や風の影響を受けないように二重になっていた。外側に付けられたガラス戸を通ると木製の玄関が見え、その扉には呼び鈴の代わりに金属製の叩き金がついていた。それを触ってみると、錆び付いて粗くざらざらとしていた。戸を叩こうとしても叩き金は滑らかに動かず、上手く音が鳴らない。諦めて直接手で玄関を叩こうとすると、軋みながら玄関が開き、「いらっしゃい」というマキちゃんの声が聞こえた。

 ぼくたちの住まいから田畑を隔ててある並木家は、二階建ての年季がある田舎らしい日本家屋で、そこにはマキちゃんとその弟のケンくん、その父母と祖父母の六人が暮らしている。その並木家へ、玄関から入ると長い廊下が続き、右手には茶の間、左手には仏間と床の間、廊下の突き当たりには風呂場とトイレがある。その突き当たりを左に曲がれば階段があり、二階には並木家の人々のそれぞれの部屋がある。

 並木家に招き入れられ、一通りの挨拶を済ませたぼくたちは居間へ通された。並木家の居間には一枚板の縦長の座敷机があり、その上には取り皿と割り箸がたくさん置いてある。横長の座敷机は窓にぴったりとくっつけられていたため、長辺の片方は塞がれていた。短辺の一つは上座に接していた。上座にはテレビ、その上部には神棚が祀られており、神棚の前には炊かれた米が供えられていた。もう一方の短辺は下座にあり、台所につながっている。台所と居間の境界には水槽が置かれ、中には大きくなりすぎた金魚が泳いでいる。居間の片側へ貼られた窓から、遥かにぼくたちの住む家が見える。ぼくたちは下座の、敷かれた二つの座布団の上に座った。台所では、マキちゃんとマキちゃんのお母さんが忙しなく動いていた。マキちゃんのお父さんや弟は倉庫の方で作業をしているらしかった。

 ぼくたちは少し早く来てしまったらしく、座ったまましばらく待たなければいけないようだった。いくつか手伝いを申し出てみたものの、マキちゃんのお母さんによる豪快な笑いによって断られてしまった。そのためぼくたちは、忙しく動く彼女たちの近くで、居心地の悪さを感じながら、お互いに話すこともなく待っていた。妹は家のソファに二人揃って座るよりも、かなりぼくに身を寄せていた。妹は、自らの不機嫌さをこの家の人々に悟られないようにしていたが、その嫌悪感は、居間中の並木家の生活の跡を眺める黒目の動きや、頻繁に足を組み替えるその仕草に、しっかりと表れていた。そのような妹の感情がぼくにも伝播したのか、ぼくは壁につけられた振り子時計やガラス戸の貼られた棚の中にある色褪せて埃の被った賞状やメダル、写真立てなどを見つめていた。ぼくたちの背後からは、台所を行き来する彼女たちの、足を踵から落とす音や振動が床を通して伝わってくる。

 そうしてただ時間の流れに身を任せていると、振り子時計はその鐘を鳴らして、台所からマキちゃんとマキちゃんのお母さんが大皿を運んできた。ぼくたちがうかうかしている間に、座敷机の上に素早く料理が並び、すぐに二階からマキちゃんの祖父母が降り、外からマキちゃんの弟とお父さんが帰ってきて、食事がはじまった。テレビに最も近い上座にマキちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが座った。座敷机の長辺には、上座から順にマキちゃんのお父さん、お母さん、弟、マキちゃんと座った。並木家は迎え火の前にご馳走を揃えてくれていた。


 「なんて言ったらいいか。とても不幸な事故だったね。」、食事が始まって間も無く、マキちゃんのお父さんが、顔は温和なまま、空気を重苦しくしないように、ゆったりと言い放つ。「そうね。でもあなたたちだけでも助かったなら。ご両親もね。」、マキちゃんのお母さんは、世界にある苦痛の全てを一身に引き受けたような顔で、ぼくたちを見つめている。並木家の他の人々は、大皿から取り分けた料理を、無言で突いている。

 「いいえ、今ではもう十分ぼくたちは立ち直っていますから。いつまでも落ち込んでいても仕方ないですし。幸いにも両親が残してくれたものがいくつかありますしね。」、とぼくは言う。マキちゃんは取り分け皿と自らの口とを往復させている箸をおもむろに置いたのち、ぼくの方を見つめて、「そうね」と呟くようにいった。マキちゃんはぼくたちの不幸を、自らのものであるかのように、その眼を充血させていた。

 「ぼくたちは大丈夫ですよ。気を配っていただくのは大変ありがたいですが。最近、ここに越してきてからは体の調子も悪くないです。馴染みの土地であるのも寄与してるのか。秋からは高校にもきちんと通う予定ですし。本当に気にしないでください。」、ぼくはなんとか、この空気を紛らわそうとした。

 「そうか」、マキちゃんのお父さんの柔和な微笑みを携えながら答えた。顔についた皺がいつもより際立って見える。「ならよかったよ、まあ二人で生きていくしかないからな。」、ぼくたちを見て、マキちゃんのお父さんは少し真剣そうな顔をした。「そうね、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね。」、マキちゃんのお母さんもさっきまでの湿っぽい雰囲気を振り払うように言った。「ありがとうございます。今日、ぼくたちのために様々な準備をしていただいたことも、すごく助かっています。」、とぼくは言った。段々と立ち込めていた重苦しい空気は消えて、並木家の持つ明るさが食卓の上に舞い戻ってきた。マキちゃんのお母さんは机の上にあるビール瓶を手にとって、マキちゃんのお父さんのコップに注いだ。

 窓外には並木家の庭が見え、その中央には池があった。苔の繁った池には鯉が十数匹泳いでいる。池の遥か先にはぼくたちの家が、その先にはこの土地を囲む山々が見え、青空に浮かぶ雲は相変わらず速く流れている。

 「ここは良いところだろ。」、ビールを煽りながらマキちゃんのお父さんが言う。マキちゃんのお母さんも無言で頷く。「ここに越してきてくれて良かった。これからは少しの間だけど一緒の学校に通えるし。」、マキちゃんが言う。「昔一緒に遊んだ子たちも同じだよ。今度紹介したいな。」、マキちゃんが続けて言う。学校の話題が出ると、妹の機嫌がほんの少し悪くなるのを感じる。「そうだね、ここら辺で遊んだ子たちは、みんな同じ高校に進んでるの。」、ぼくは問いかける。妹は億劫そうに足を組み替える。妹の取り皿にはほとんど料理をとった形跡がない。「そうだよ。みんないるはずだよ。」、マキちゃんのお父さんが言う。「みんな、ここに仕事を持ってる家の子だからね。同じように家業を継ぐ子も多いよ。ひょっとしたらほとんどが卒業後も残るんじゃなかな。」、マキちゃんのお母さんがなぜか上機嫌に言った。「そうねえ、じゃあ。」、それからかなりの時間、この地域に住む、ぼくたちが知っているであろう人々の話が続いた。

 「そこのはんむろ坂を登ったところ、工藤さんちのガイくんは農業高校に行ったけな。だから高校では会えないな。」、マキちゃんのお父さんが言う。名前は尻上がりのイントネーションで力強く読み上げられる。「でもあの。マイちゃんは。」、マキちゃんのお父さんが大皿から料理を取りながら、名前を捻り出すように言う。「お姉ちゃんだよ。覚えてるでしょ。」、マキちゃんが捕捉する。隣に座るマキちゃんがぼくたちを見る。田舎特有の尻上がりのイントネーションで名前を繰り返し発音する。ぼくは覚えていなかったが、首を縦に振った。「マイちゃんはあそこの高校に通ってるはずだな。」、マキちゃんのお父さんが言う。「そうだけど、去年卒業したでしょ。今は市役所で働いてるよ。」、マキちゃんの弟が言う。マキちゃんの弟は忙しなく自らの口へ料理を放り込んでいる。「そうだっけな。立派なもんだな。」、マキちゃんのお父さんは酔いが回ってきたのか上機嫌そうに言う。マキちゃんのおばあちゃんもおじいちゃんも頷きながら、目の前の空になった小皿を見つめている。それに気づいたマキちゃんのお母さんが膝立ちになって、マキちゃんの祖父母の空になった小皿へ料理を取り分けようとする。

 彼らの末尾に力を込めて発音される名前は、この古びた居間に響き渡る。彼らはその名前を親しみを込めて大事そうに発するが、ぼくの耳には馴染みのない音のように聞こえる。食卓の上には食器と箸と机がぶつかる音と、彼らが口をあまり動かさず発する、少しくぐもった声が入り乱れた。

 「あとは。だれだ。向かいの金子さんちのゴウくんは同じ学年だろ。あの兄弟の。末っ子の。」、マキちゃんのお父さんが言う。さっきよりも強く名前を呼び上げる。「そうねえ。」、マキちゃんのお母さんが言う。マキちゃんのお母さんが大瓶を傾けて、マキちゃんのお父さんのグラスにビールを注ぐ。「もうそげに大きいか。」、マキちゃんのおばあちゃんが強い訛りで言う。「ゴウくんは卒業したらどげするか知ってるか。」、マキちゃんのお父さんが言う。少し訛りが移っていた。「あんの、町のほうに出たとこの。駅の方にいぐ道さある、工場の近くの工務店で働くんだ。」、マキちゃんのお母さんが言う。「あの蚕の養殖所があるでしょ、金村の方の」、マキちゃんが言う。ぼくの家とマキちゃんの家は同じ一本の道路に接していて、一方はバス停やごみの集積場へ伸び、もう一方は果てしなく続く田畑を真っ直ぐ貫いていた。後者の方向へ真っ直ぐ行けば国道線と直角に突き当たる、その突き当たりを左に曲がってしばらく行けば、蚕の養殖場と工場があった。工場は、社員寮や体育館まで一緒に備え付けられているとても広大なものだった。「あったね。」ぼくは頷いた。「金子さんちは少し離れた土地で農業してるでしょう。んだども上に男の子が二人もいたんで、末の子は別に働くみたい。」マキちゃんのお母さんが言う。マキちゃんのお母さんは、でしょう、を力強く、尻上がりに発音した。「おどごばっかりして」、マキちゃんのおじいちゃんがぼそぼそと呟く。さっきマキちゃんのお母さんが小皿に盛り付けた料理には、ほとんど手がつけられていない。

 「あとは誰がいるか、ここら辺だと。」、マキちゃんのお父さんが言う。今度はマキちゃんのお父さんが自ら大瓶を取ってコップへ注いだ。「あの、遠藤さんちの、チヒロちゃんは。」、マキちゃんが言う。「あんの、バス停の向こうの家。牛飼いもやってる。牛舎見たことあるでしょ。」、マキちゃんがぼくたちの方を向いて言う。マキちゃんは妹の空になった小皿を見ては、ほんの少し大皿から料理を持ってきた。「うん」、走る車の窓からちらっと見た記憶があった。「んだな」、マキちゃんのお父さんが言う。「チヒロちゃんとはよく一緒に高校にいくの。」、マキちゃんが言う。「んだげか、チヒロちゃんは」、マキちゃんのお父さんが聞く。「うーん、看護師になるから、専門学校に行くみたい。一人暮らしになるかもって。」、マキちゃんが答える。「そうか。戻ってくるか。」、マキちゃんのお父さんが言う。「うん。」、マキちゃんが頷く。「んだか。」、マキちゃんのお父さんが言う。マキちゃんのお父さんはコップに半分ほど残ったビールを飲み干した。

 「ああ、あの神社のとこの。アヤノちゃんもな。」マキちゃんのお父さんが思い出したように言う。「そうね。覚えてるでしょ。」マキちゃんが言う。ぼくは、彼らの話すいくつかの名詞のなかで、初めて鮮明に思い出せた。彼らの言う神社とは、この田園地帯を囲む山の麓にあった。田畑と林の境に鳥居が位置し、そこから急な参道が山中まで延びており、その先の開けた土地に古びた社殿がある。ぼくたちもかつてここに住んでいたとき、親に連れられて行ったことを覚えている。アヤノちゃんは、代々その神社の神主を務める家の一人娘だった。「んで、卒業したらどうするとかは聞いてるか。」、マキちゃんのお父さんが言う。「うーん、とりあえず進学はするんだろうけどね。」、マキちゃんが言う。「んだか。」、マキちゃんのお母さんがぼそっと呟く。

 彼らはこの土地にまつわる様々な事柄を自らのことのように話す。彼らが地名を発するときの、世界を自らに引き受けたような振る舞いは、この食卓の明るい雰囲気を彩っていった。彼らが発する土地の名は、すぐさま誰かの名や出来事で捕捉された。その土地は様々な出来事によって、彼らのなかの、別の地名や人名と結びつけられるのだった。

 そのほかにもこの地域の様々な人間の話を聞いた。ぼくにはそのどれもが退屈に聞こえたが、あまりにも彼らが楽しそうに話すため、ぼくはたまに会話に参加しては適当な相槌を打っていた。とっくに食事を終えている妹が、その話を聞くうちにだんだんと並木家に対する嫌悪感を募らせていったのは確実だったが、彼女自身それを悟られまいとしたため、無口に俯いて箸や小皿やおしぼりを弄るばかりで、会話に参加することはなく、たびたびこちらを向いて補足してくれるマキちゃんに対して、遠慮がちに頷くだけだった。


 彼らが一通り話し終えると、食卓に静けさが戻って来た。食器の音だけが響く中、少し長い咳払いの後、「ところで」と荒っぽい声色でマキちゃんのお父さんが言う。マキちゃんのお父さんはぼくたちの方を見つめた。その顔の表情はやはり柔らかく、笑うことでより浮き出るほうれい線や目尻の皺が一層その柔和な雰囲気を増長させた。「襄くんと巫空ちゃんは、これからどうするんだい。」、マキちゃんのお父さんが訛ることなく言った後、手元のグラスに注がれたビールを飲みほした。空になったグラスの机にぶつかる無機質な音が、居間に鮮明に響いた。マキちゃんやマキちゃんのお母さんも、田舎特有の情を含んだ微笑みを以てぼくたちを見つめている。隣に座る妹が、彼らとなるべく目を合わせないように俯き、自らが座る座布団の綴じをいじりはじめる。

 ぼくはなるべく間を空けすぎないように素早く口を動かしたが、出てくる言葉はどれも漠然としていた、「ええ、とりあえず高校に半年でも通って、一応受験はするつもりですけど。でもしばらく、少なくとも一、二年ははここに留まりたいと考えてます。ぼくたちもここ一年はばたばたしてたので、時間を取って考えたいこともありますし。」。ぼくは先ほど、自分が気にしてないと言い張った両親の死を、この言い訳に転用していることを苦々しく思いながら、また言う、「とりあえず、もう少し考える必要があるので。幸い両親が残してくれたものがありますし。」。「そうか。」、マキちゃんのお父さんは相変わらず柔らかな微笑みを携えたまま、こちらをじっと見つめている。マキちゃんやマキちゃんのお母さんも、先ほどまで持ち合わせていた賑やかさをすっかりとしまい込んでしまって、ぼくたちの方を見つめる。そうして食卓を静けさが包んだまま、時間が流れてゆく。振り子時計の秒針を進ませる音だけが、うるさく響き渡る。いたたまれなくなってぼくは、とってつけたように言う、「とりあえず大学に行くことを考えてます。」、そう口に出したものの、ぼくの発する声は尻すぼみに小さくなった。並木家の人々は、ぼくの目を見つめながら、ぼくの発する言葉を静かに聞いていた。食卓には再び静けさが舞い戻った。全員既に食事は終えてしまって、誰もが手持ち無沙汰に机の上の食器や箸の位置を調整したり、様々な方向へ見遣ったりしている。妹は、やはり彼らと目を合わせないように、俯きながら、ぼくや彼らの発する言葉を耳に入れても、できるだけ理解しないように努めているようだった。

 食卓には振り子時計の秒針を進ませる音が響く。短針が一定の間隔で発する音のなかに、一際大きい長針の進む音が混ざり込む。「まあ、そうだね。でも結局は決めなきゃだめなことはだめだしね。大人になってしっかり自分一人で生きれるようにならないとな。」、マキちゃんのお父さんは荘厳な物言いで沈黙を破った。「そういうことはしっかりと決めないとな。自分のことは自分で面倒見れるような、そういうような人間にならないとだめだ。」、続けて、マキちゃんのお父さんは力強く言う。マキちゃんのお父さんはずっと柔らかい微笑みを携えたままだった。「そうね、色々と大変だけど。」、マキちゃんのお母さんが言う。マキちゃんのお母さんもその顔に柔らかな微笑みを携えている。「なんでも頼って」、マキちゃんが言う。そのマキちゃんの視線にも同じ柔らかさが備わっている。居間には、ほんの少し賑やかさが戻ってきた。

 「もちろん、巫空ちゃんもね。ちゃんと考えなきゃね」、マキちゃんのお父さんは付け加えるように言う。マキちゃんやマキちゃんのお母さんも頷いている。妹は初めて顔を上げては、「はい。」と遠慮がちに頷いた。彼らからは見えない、机の下の手は相変わらず座布団の綴じをいじっっている。並木家は皆、ぼくたちを見て、とりあえずは満足したような素振りを見せ、笑っている。

 そこで、振り子時計はその鐘を大きく鳴らし、ぼくたちは昼食を終えた。





 歩み得る、また歩むべき道の地図の役目を星空が果たしてくれ、星の光によって道を照されているような時代は、幸福である。そうした時代にとっては、一切のものが、眼新しくありながら親しく、冒険的でありながらまるで所有物のようである。世界は遥かに遠いが、自分自身の家のようである。なぜならば、心情のなかに燃えている火は、星たちと同一の本質的性質を有しているからである。世界と自我、光と火とは截然と分かれてはいるが、けっして互いにどこまでも無縁であることはない。なぜならば、火はどの光の魂でもあり、どの火も光となって現れるからである。こうして、心情のあらゆる行為は、この二元性のうちにあって、意味に充ち、渾然として円かである。

(ジェルジ・ルカーチ『小説の理論』)(※2)


(※1)小林秀雄『小林秀雄集』『筑摩現代文学大系』43(1975年、筑摩書房)

(※2)ジェルジ・ルカーチ著、原田義人訳『小説の理論』(1954年、未来社)


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