デッサンⅡ:つぎはぎの土地
ここ にんげんの名において
無職なる ともがら
神のごとく 自由なるもの ふたり
すなわち かったいびとよ
ねむられぬ夜の ぶりょうを
かさ かさと 口笛ならし……
(山本太郎「深夜の合唱 せめて美しき拘束を」)(1)
二〇〇八年、夏、とてもいい日だ、午前七時五十分、駅にはすでに電車が一つ停車しており、この駅ですれ違う予定になっている下りの電車を待っていた。下り電車は到着予定時刻よりすでに五分ほど遅れていて、都市部まで向かう上り電車はそのドアを開けたまま、ホームから駆けてくる人を受け入れつつも、そのなかはどこまでも人がつまっているようだった。
やがて下り列車が到着し、上り列車は、ドアの開閉をいくつか繰り返したあとに、忙しなく出発していった。下りは田園地帯へ向かうため、またこの時間帯にこの車両を独占する学生が長期休暇に入ったこともあって、車内は閑散としていた。ぼくたち、ぼくと妹は、四人席に向かい合うようにして腰掛け、その傍らにそれぞれの荷物を置いた。そうして下り列車は出発した。そこから都市部と一応言えるかもしれないような街並みが十五分ほど続いて、そこからはただの田園地帯が三十分続いて、ようやくぼくたちの目的地に着くのだった。
ぼくたちが乗車した車両は随分と古くさく、窓は下から上に引き上げるようにして開閉可能だったし、空調はなく扇風機が何台も置かれて首を振っているのだった。妹はあかい、革のような質感の椅子に背をあずけきってしまって、全開の車窓から流れ込む風にあたっていた。電車は古いためか、横にゆれ、縦にゆれ、その身を軋ませながらなんとか進んでいった。
扇風機はずいぶんと型落ちのものらしく、その羽根をまわす音はちょうど小舟を櫂で進ませるようにぎこぎこと鳴っていた。扇風機が首をまわす音は、彼自身は一定のリズムで動いているつもりであろうが、右や左に振り切れるとき、しばらく止まるのだった。それが一両に十数機置かれ、それぞれが思い思いにその首を振り回すのだ。
線路が険しい山際に添い、崖に乗り出すように敷かれ、列進行方向の山側に植えられた楓の枝葉に車両がときたま当たっては飛び散る音が聞こえる。列車がとりわけ大きく崖に乗り出した線路へ差し掛かったとき、その全体重を右に預けるようにして曲がり、崖側に座っていた僕たちが窓へ押しつけられ、扇風機たちもその力を加えられて、また違った音を鳴らすのだった。ぼくはその遠心力のまま窓際に押しつけられたまま、列車が崖を通過しても体を起こすのがおっくうで、そのまま窓外を眺めていた。
この列車はどうやらなかなかに高い位置を走っているらしく、遠くの平地にはまばらに、田舎特有の広い敷地に建てられた古臭い住宅が小さく見える。その住宅と住宅のあいだを埋めていくように、土地が開墾され農作物が植えられている。農耕地は道路と畦道によって賽の目に切りわけられ、そのそれぞれにさまざまな種類の作物が植えられているようだったが、ここからではうまく判別できない。そのパッチワークを切り裂くようにして一つの河川が蛇行して流れているのが見える。線路に並行して曲がりくねり、身を捩り進むその河の、流れる緩やかで幅の広い水は、その側面にある砂利によってかたどられている。ここからでも水は白濁とし、打ち上げられた波のように白く、砂利はザラザラとしているのがわかる。その河は巨きく、どこまでも続いているようだった。その河によって切り裂かれた田地は、特に大きく目立つような建物もなく、どこまでも見通しが利くようだったが、果てには青々とした山が連なり、その山脈はここ一体をぐるりと取り囲むようにして、この土地を閉じ込めている。
暗転。しかして列車は隧道に入る。
妹はぼくと同じように窓外を眺めていたらしく、車内を映す窓の暗がりを通して目が合う。肩肘をついて左目を窓に押し当てるようにしていた妹は身体を引き起こしてぼくの方に直った。その全体的に白濁とした顔のうち、窓に押し当てていた部分だけ赤みを伴っていた。旧型の列車は古くじめじめしたトンネルの中を、大袈裟にその車体を揺らしながら進んでいき、開け放たれた窓からは湿気を含んだ苔のにおいのする風が吹きこんできた。ぼくたちはしばらく何も話さないままに、じっとお互いの顔を見ていた。
ああ、ふと思い出して、ぼくは鞄の中からチョコレート菓子を取り出した。棒状のスナックにチョコがコーティングされているもので、取り出した箱の中には一袋だけ残っていた。「遅いよ」、妹はぼくの手から、お菓子を奪い去ってはむさぼりはじめた。ぼくの分も残しておいてくれよ、と言葉をかけるも反応はない。
ふと車内を見渡すと、春日野駅を出発したころに、車内にいた何人かの乗客は、ここまでのいくつかの停車の度に少しずつ降りていき、今この車両にいるのはぼくたちの他には、一人の男がいるだけだった。ぼくたちの座席とは反対側に座っていて、この男も同じく外を見ていたようだったが、ぼくたちとは違い、そっちはひたすらに木々や沢が続くだけだろう。しかし、その二十代中頃ほどの男は大きな荷物も持たず、車内を映すばかりとなった窓をいまだに見つめている。
「ねえ」、ぼくは呼び戻される、妹は不満げな顔をしてこちらを見ている。「駅に着いてどうやって家まで行くの」と到着してからの道程を聞くので、ぼくは予定していたそのまま、「歩く、一時間」と言う。妹はさらに不機嫌になったようで、お菓子を口に運ぶ動作が加速する。大丈夫、スーパーというか商店にもよるつもりだからと、そこにかぶせるようにして不機嫌な「大丈夫じゃない」という声が聞こえる。そこで自転車を取り置きしてあるから、それに乗ろうよと、それもまた言い終える前に遮られ「わたし自転車乗れないけど」ともっと不機嫌に、横柄な言い方をする。妹の顔の白濁とした肌の下に、その血管が頬の下に網の目を巡らしているのが見える。大丈夫だよ、一台しか買ってないから、二人乗りできるやつをさ、それに乗っていけばいいよ、坂道とかはあるかもしれないけどね、と。それは「そ」というたったの一言で片付けられ、妹は今度はゆっくりとした手つきでお菓子を口に運ぶ。
妹はそれでも不機嫌な顔のまま、チョコでコーティングされていない部分をつまみ上げて口元に運び、前歯で少しずつ齧っていく。単調な音がかろうじてぼくの耳に届く。いくつかの単調な音、そして咀嚼、一通り終え、もう一度手を伸ばす。繰り返しを含んだ一連の行為と共に、いくつかの雑音が周期的に聞こえる。電車が揺れる、車体が軋む、窓枠とガラス窓がぶつかり合って車両全体がけたたましく鳴る。取り付けられた扇風機が横ではなく、縦にその首を揺らし、外れ落ちそうになるほどプラスチックや木材が衝突する。この車両のどこかの窓が揺れて閉まる音が聞こえる。妹の身体が揺れる。妹は座り直す。革の素材でできているらしい座席が、座り直すことで擦ったような音が鳴る。電車は走る、車体は揺れる。あらゆるものが力を受けてそれぞれに身を捩らせ、軋み、一つの雑音となる。雑音は進む、雑音は揺れる。雑音は右や左に傾きながら、でこぼこの線路の上を騒々しく走ってゆく。列車は次第に大きくなってゆくその雑音に、解体されてしまうほど大きな音を鳴らし進んでゆく。
明転。しかして列車は隧道より出る。
トンネルは山脈に沿って続き、列車は連なっていた山を沿うように、この台地を閉じ込めていた山脈を、なぞるように走行していたらしい。つまり今窓外に現れているこの景色は、視点を変えた先ほどの台地にすぎないのだ。今日は快晴、気温も高く湿度もある。この晴天のもとしばらく歩かなければならないことを考えると億劫で、妹もそのように考えているようだった。
トンネルを出てすぐ、列車はぼくたちの降りるべき駅に到着した。駅のホームからは、あの男、ぼくたちと反対側に座っていた男が依然として腰掛け、同じように窓の外に視線を向けているのが見えた。この駅からの乗車した人はいなかったから、車両の中にはその男だけになってしまった。太陽が昇ってきてその日光を容赦無くぼくたちに浴びせてくる中、列車はその男だけを乗せて出発した。暑さから少しでも逃れ出ようとする妹に急かされて、ぼくはホームから出た。そうしてぼくたちはその台地に降り立った。
そこからは、一帯の農耕地を賽の目状に切り分けたうちのなかでも、特に大きな一本の道路をただひたすらに歩いた。右も左も平坦な畑が続き、それは最終的に森林によって隔てられる。山は大きな広がりを見せ、どこまでも連なってゆく。前を見ても後ろを見ても、聳え連なる山がただひたすらに続き、ぼくたちをこの一帯に閉じ込めようとする。
降り注ぐ日光に体の水分を奪われながらも三十分ほど歩くと、生活用品や食品を売る、さほど大きくはないスーパーが見えてきた。その隣には古ぼけた、一見すると民家のような建物があり、そこで手配していた自転車を受け取った。自転車の籠にはスーパーで買った食品を入れ、後ろには妹を乗せて、そこからさらに十五分ほど自転車を漕げば、ぼくたちの今日から住む、かつて診療所だった建物が見えてきた。
途中、列車のなかから見えた、あの大きな河のすぐそばを通った。川幅は広く多量の水が流れ、注がれる日光を多分に含み、車窓から眺めるよりも白く、時たま水面にさざなみが起こる。やはり河は白みを帯びた砂利によって縁取られ、河幅を含めても相当の大きさになり、この台地に敷き詰められた農耕地を切り裂き、滔々と流れている。その河川のそばに置かれた看板には「穹川」と大きく記されていて、ソラカワと下に読みが添えられている。
三月二十五日(同居初日)
最初に断っておきたい。
この物語は、
『とある事情でしばらく離れ離れになっていたものの、ゆえあって再び一つの屋根の下で暮らすようになったふたりの兄妹が、特に波乱もない平和な日常をのんべんだらりと送っていく様子を、これといった起承転結もなくつづっていくだけの単調な物語』
である。
(鈴木大輔『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』1)(2)
(1)山本太郎『山本太郎詩集』現代詩文庫4(1968年、思潮社)
(2)鈴木大輔『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』1(2010年、メディアファクトリー)