遭遇……か?
道路はいよいよ丘陵の間に入り、坂道を登る。やがて山の緑に抱えられるようにして白い校舎が見えて来る。坂道の片側には桜が並び、今しも花びらを散らしている最中だ。
朱音の回りはみんな新入生だ。誰もが彼女を見てぎょっとしたように表情を変え、そして後ろからは指さす姿、ひそひそ話し合う姿。彼女にとっては今更気にするものでもない。
誘導に従って自転車を仮置き場に入れ、それから体育館に向かう。クラス分けが表示されてあり、指定された席に着く。それから形式的で退屈な入学式が始まった。
式が終わると、今度はクラスへ移動だ。彼女のクラスはB組。教室の中には机が並んでいて、そこに番号と名前が表示されている。出席番号順に座るようだ。名簿は男女混合で、彼女の席は左奥の列、後ろから四番目で前から三番目。
朱音が席に着く頃には他の生徒もそれぞれ席を見つけている。だが、その間も視線は彼女に集まりがちだ。これも仕方のないこと、同じクラスなら数日で見慣れてくれるはずだから、それまでの辛抱だ。彼女の前の席も女子で、その子はちらちらと後ろを伺う様子だったが、朱音は気にしなかった。
クラスの担任が入ってくると、挨拶をして着席、それで教室は静かになる。担任は国語担当の森下という中年女性で、穏やかそうな表情で、柔らかな印象だった。
朱音は密かに胸を撫で下ろした。もちろん彼女は教師に何の期待も持ってはいない。だが教師が熱血タイプや世話焼きだった場合、孤立する彼女をクラスに馴染ませよう等と、無意味な努力を始める場合がある。それは必ず失敗し、むしろ状況を悪化させる。
だから彼女としては押しつけの強くない教師であれば、それで十分だった。
担任の自己紹介に次いで、生徒のそれが始まった。名前と出身中学、それに部活や趣味などを言ってゆく。しかし朱音はその全てを聞き流した。聞いても彼女には関係がないからだ。今後親しく付き合うことなどあり得ないのだから、聞くだけ無駄というものだ。
これまでもクラスでの相談や決めごとなど、朱音は全部聞き流してきた。そしてそれで何も問題は起きなかった。周囲も彼女との関係を絶っていたからだ。
もちろんどんな場合も聞き流してしまう訳ではない。担任からの事務連絡や、掃除分担などはしっかり覚えておく。この手の情報を聞き忘れると、むしろ後で余計な遣り取りをしなければならなくなり、互いに嫌な思いをするからだ。
ふと教室内の進行が滞っているのに気づいた。ぼんやりしていた意識をはっきりさせると、クラス中の視線が朱音に向かっていた。前では担任が困った顔で、やはり朱音を見ている。
どうやら順番が回ってきたのに気づかなかったようだ。急いで立ち上がる。
「間宮朱音、南田並第二中学」
それだけ言ってそのまま座ると、辺りに白けたような空気が広がる。それはもう朱音にはどうでもいいことだった。
「あ、ああ、ありがとう。では次の方」
担任が取って付けたように進行を始め、それで一応は平常に戻った。
この日は今後の日程などの連絡だけで終了した。教室の中では知り合い同士の再会を喜ぶ姿、知らない相手に恐る恐る声をかける姿などもあったが、朱音はそれらを気に掛けることもなく、教室を出た。帰り道でも好奇の目を受けはしたが、それ以上のことは何もなかった。
「お帰りなさい。どうだった? 上手くやっていけそう?」
「いつもと同じ」
娘の冷淡な返事に、母も既にあきらめ顔だった。
新学期、特に一年生では授業はすぐには始まらない。翌日はまずガイダンスの時間で、教科の選択制や単位取得の話などを聞かされた。
それからホームルームでクラスの委員などを決める。朱音はもちろん一切発言せず、クラスの誰も彼女に話を振らず、彼女の回りは静かなままに経過した。午後には学力テスト。
その翌日は、午前中はまたガイダンスで、進路や生徒指導の話。それからまたホームルームで、クラスの決めごとなど。午後には身体計測。
計測は個人個人で記録用紙を持ち、幾つかの測定場を回る仕組みだ。集団で回るところもあれば、個々人で入るところもある。他の生徒達は、既にグループを作り始めていて、そんな仲間で動くようだ。
朱音はもちろん独りぼっちだ。クラス単位で動く時はそっと付いて動き、そうでなければ一人きりで動いた。それが今までやって来たやり方だし、とっくに慣れきってもいる。
この学校でもこんな風にして、今まで通りに時間が過ぎてゆくのだ。朱音はそう信じて疑わなかった。疑う理由もなかった。
その日も彼女は一人で校舎を出て、自転車置き場から自転車を引っ張り出した。そのまま押しながら校門へ向かい、そこで自転車に跨るつもりだ。
本当はそのまま跨ればいいのだが、そうできない理由があった。上級生達が部活の勧誘を始めていて、校門までの通りが人で一杯だったのだ。
上級生達はそれぞれにユニフォームやそれらしい格好でグループを作り、声を揃えて気勢を上げ、通りすがる新入生に声をかけたりしている。
朱音はそんな中、回りに誰もいないかのように自転車を押していた。もちろん先輩達の目に彼女も映っている。しかし大抵は彼女の姿を見ると困惑や驚愕の顔で立ちすくむのだ。
中には声をかけてくる者もいたが、彼女が顔を上げてその目を向けるとたちまち口ごもり、すると朱音は眼を元に戻し、自転車を押し続け、それで終わりだった。
しかし朱音はふと立ち止まった。奇妙なものが目に留まったのだ。
そこは体育館と校舎の並ぶところで、その間の校舎側に花壇があって花が咲いている。その花壇の前に、三人の男女がいた。
まず目に付いたのはやせ形で背の高い男で、ぼさぼさの髪に白衣を着ていた。裾から見えるのは制服だったから、ここの生徒なのだろう。彼は両手を大仰に振り回し、何かを主張しているようだった。
その隣にいるのは女性で、彼ほどではないが背は高そうだ。ショートヘアーでその男に何か言い返しているようだ。そして二人の間にしゃがみ込んで、もう一人、多分男がいた。その男は花壇の前に置いた機械を弄っていた。三脚の上にカメラを据えて、写真撮影のようだが、ただしカメラの周辺にいくつか奇妙な機械がついているようだ。
背の高い男は、そのしゃがんだ男に何か指図していて、女がそれに文句を言っている、そんな風に見えた。やがて背の高い男は自ら手を出して機械を触ろうとし始め、すると女が手に持ったノートか何かでその男の頭を叩いた。音は聞こえなかったが、男が前のめりになったので、よほど叩き方が強かったのだろう。
その間もしゃがんだ男は操作を続けていたようで、何かスイッチを押したらしい。
その瞬間、光が生まれた。
「あ」
朱音は思わず声を漏らしていた。
つまり、それは写真撮影であり、シャッターを押した瞬間にフラッシュが光ったのだ。それならこれまで何度も見たことがある。
だが、これには大きな違いがあった。フラッシュの光に、紫外線がとても多かったのだ。
つまり、普通の人には見えない、彼女にしか見えないはずの光を発したのだ。
そのような撮影方法が存在することは、彼女もネットなどで知ってはいた。でも具体的にどうすれば出来るかなどまでは知らなかった。それを扱っている連中がこの学校にいるらしいのだ、
朱音にとって、これは全く予想もしないことで、そして大きな衝撃でもあった。思わず声を漏らしたのも当然だった。
その時、三人が小さく動いた。その動きは首を曲げて朱音の方を見るものにも見えた。
彼女は慌てた。自分が驚いたことを知られるのが怖くなったのだ。何しろこれは、彼女の秘密に直結したものでもある。
朱音は自分の姿勢を確認した。場所は彼等の真横、距離は向こうの顔立ちをやっと見て取れるかどうか。その上、彼女の顔は彼らとは直角方向、自分の真正面の校門方向を向いている。
つまり彼女は横顔を彼等に向けていた。彼女にはそれでも十分に見える。しかし外から見れば彼女が横の方を見ているとは思えないだろう。
だから朱音は素早く、でも取り乱した姿にならないように注意しながら自転車を押し始めた。校門のところで自転車に跨ると、そこからは思い切りペダルをこいで、出来る限り自転車を急がせた。
彼女は自分の部屋に飛び込むと部屋着に着替え、それでようやく息を整えた。
家に着くまで無我夢中だった。出迎えた母への返事も上の空だった。気が付くと、ひどく息が上がっていて、全身汗だくだった。よほど急いで自転車を走らせてきたのだろう。
汗を拭き、ベッドにお尻を沈ませ、それからさっき見た三人のことを考えた。
あの三人は白衣を着ていて、その中は制服だった。つまり同じ学校の生徒であり、それがあの特殊な写真撮影をしていたのだ。一体どんな連中なのか、何が目的であれをしたのか?
ただ一つ分かったことは、朱音しか見えないはずの光を操って何かしている連中が、この学校にいること。そんな集団が学校内にあること。
だが、一体どんな集団なんだろう?
彼女の頭の中にはそれが深い疑問として嵌り込み、何度もそれが浮かび上がってくる。夕食の席でも、彼女は上の空だった。この日は金曜日だったから、土曜日曜と、彼女はそわそわしたままに過ごした。