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朱音という少女

 私の目玉は、ガラス玉のようなもの。

 それは朱音が幼い頃から心の中で繰り返してきたフレーズだった。もちろん透明感のある赤だったのも理由のひとつではあるが、それだけではなかった。

 実は、彼女の眼球には視力がなかったのだ。

 だが盲目ではなく、視力そのものは所有していた。それが眼球によるものではなかっただけだ。

 だから、彼女は最初には一般の人間が目で物体を見ていることを知らなかった。目玉がくるくる動くのは、表情を豊かにするものとだけ思っていた。

 しかし目玉をあまり動かさず、あるいは見ているはずのものに目を向けない彼女の挙動は、周囲の大人にとっては異様なものだったらしい。何度か視力の検査を受けた記憶があった。

 しかし視力そのものはあると分かった時点で、彼女の両親は検査を拒否するようになった。それは恐らく、彼女の異様さをあまりに言い立てられることに親として許せない思いがあったのだろう。

 それに視力はあるのだから現実的には生活の上で支障はなかった。つまり挙動が変だとしても、その原因や理由が分からなくても困らなかった。ならば受ける必要そのものがないわけだ。


 彼女自身は物心付いた頃、目玉が単に表情を豊かにするだけでなく、普通の人間は目玉を向けてものを見ていること、それ以外の方向は見えていないことを知った。それ以前から彼女は目を相手に向けた方が相手が嬉しそうにするのを知っていたし、だからある程度はそうしていた。だからそれを知ってからは彼女は自分の意志で目玉を動かし、より丁寧に普通の人の真似するようになった。両親はそれでなおさらに安心したようだ。


 実際に彼女の視力は良かった。いや、良すぎた。

 彼女自身でもどこでその視界を得ているかを理解していなかったが、彼女の視野はほぼ頭の周囲三六〇度に開かれていた。つまり、後ろも見えたのだ。


 前の方が見やすくはあったが、それでも注意を向ければ後ろも同程度に見える。つまりすれ違ったバスの乗客が彼女を後ろから見ているのもある程度は見えた。

 しかも何故か物体の向こう側も少しなら見えた。例えば、彼女が誰かの後ろに立つ。もちろん目の前には後頭部があり、普通の人間にはそれしか見えない。だが、彼女は意識すれば表情まである程度は見えたのだ。

 重要な違いはそれだけでなく、見える色にも多少の違いがあった。例えば彼女の視界では、人間の肌は場所によって少しずつ濃淡があり、特に鼻や耳たぶ、それに指先は色が薄かった。だが写真などを見るとそうはなっていない。

 彼女はそれが不思議だと思った。しかしそれについて質問したり、それをそのままに絵に描いたりすると、周囲はひどく気味悪そうに彼女を見た。だからそれも口にしないようになった。


 同じようなことは様々な場面でもあった。例えば花を見るとき。写真や図解では無地の単色の花びらになっているのに、彼女が見ると、そこにはっきりと模様が見える場合が頻繁にあるのだ。だが、それを質問すると、やはり不審がられる。だから彼女はそれも口にしないように気を付けるようにした。


 そんな風に彼女は自分が普通でないことを知るに連れ、それを周囲に示さないように配慮するようになった。しかし、それでも彼女が普通でないことを隠すことは出来なかった。

 例えば彼女の目玉は今では目の前のものを追って動くようになってはいた。だがそれは所詮、普通の人が無意識に動かすものを模倣したものでしかない。それで納得したのは実の親だけだったろう。

 それに、ただでさえ赤い目は他人の目を引きつける。その動きが不自然であることは不気味な違和感をもたらすものだった。

 その上に白すぎる肌と、これも普通でない白髪は、彼女を見るものをして不安を掻き立てるものだったらしい。顔立ちそのものは整った美少女だったが、むしろその印象を助長するものでしかなかった。


 だから彼女が幼稚園に入った時、あだ名はすぐに『お化け』に決まった。もちろん誰も一緒に遊んでくれなかった。保育士達は当然ながら世話してくれたが、それも仕事だからやむを得ずであり、彼女を気味悪く思っていることが幼心にも実感出来た。

 小学校でも状況はさほど変わらず、違いと言えば、あだ名のレパートリーに『ユウレイ』が増えた程度だった。


 苛められそうになったこともある。もっとも彼女は頭も身体も人並みかそれ以上だったから、おいそれとやられはしなかった。

 それどころか撃退法も身につけた。相手の顔を睨んでおいて、それから目玉を妙な方向に動かしてやるのだ。それで大抵の子供は逃げ出したし、泣き出す子も多かった。

 ただしその技は自分の異様さを利用したものであり、次第にそんな自分が惨めに思えるようになって、高学年になる前にやめた。

 その頃には彼女と周囲の子達の関係も確立していて、要するに誰も彼女に働きかけて来なくなっていた。朱音は完全に独りぼっちだった。

 五年の時、朱音に初経が来た。既に学んでいたからさほど取り乱しもせず対処した。しかし同時に奇異な思いを味わった。こんな異常な自分に、普通の女の子としての機能があるのが不思議に思えたのだ。

 それに、こんな人間に子供を作る機能があっても仕方ないんじゃないか、そんな自虐的な思いもあった。自分の身体が女らしく成長を始めると、それも愚かしいことのようにさえ思えるのだった。

 中学になっても状況はさほど変わらなかった。あだ名にもう一つ、『吸血鬼』が増えたのは、多分目の色からの連想だろう。彼女は相変わらず孤立していた。

 ただし一人で過ごしても、退屈することはなかった。取り組むべき対象が別にあったからだ。

 小学校の終わり頃から、彼女は理科の学習を趣味にし始めていた。特に生物に関する分野を、図書館やネットも使って自力で学びだしたのだ。

 理由の一つは、生き物は彼女をのけ者にしたり噂をしたりしないから。特に花については、彼女にしか見えない色や模様があるのが興味深かったこともあり、次第に関心が深まっていった。

 そしてもう一つは、それが自分の特殊性を理解する上で役立つと考えたからだ。彼女は自分の見ているものが他人と違う理由、どうしてそんな違いが生じるか、それを知りたかったのだ。


 それは当たりだった。

 彼女は中学二年の時、自分の視界の謎を一つ解決した。つまり、どこで見ているかは分からないけれど、彼女に見えるものが他人と違うのは、見える光の範囲が違うからだ、ということを突き止めたのだ。

 光というものは、物理学的には電磁波というものだ。その波の長さ、つまり波長には様々なものがあり、それは光の色の違いに反映される。

 例えば太陽の光は白く見えるが、これは多数の色の光が重なっていることの結果だ。虹はそれが空気中の水滴に当たったときに、その波長、つまり色の違いによって屈折の程度が変わることで生じる。一番波長が長いのが赤、短いのが紫だ。

 しかしもっと波長の長いのも短いのも電磁波にはあり、それぞれ赤外線、紫外線という。ただし、それは存在するものの人間には見えない。感知する機能が人間の視細胞にないからだ。


 その赤外線と紫外線が、朱音には見えていたのだ。

 赤外線は温度の高い物体からも放出される。つまり、赤外線が見えると、温度の違いが見える。彼女の目では人の肌色が部分によって違って見えたのはそれだった。

 また、人間と違って昆虫は紫外線を見る能力がある。花が綺麗なのは、本来は虫を呼ぶためのものだ。だから花には人間には見えないが、虫には見える模様を持っている例がままある。彼女にはそれが見えていたのだ。

 朱音は色々と試して、自分の視角と同様、可視帯域も調節できることを知った。意識を集中すると、普通の人間と同じ可視帯域、つまり紫外線も赤外線も見ないことが可能だった。ただし、これはそれなりの努力が必要で、だから彼女は美術の写生の時間など、その必要がある時だけ使うようにした。

 他方で、電磁波にはもっと様々なものがある。赤外線より波長が長い電磁波には電波など、紫外線よりずっと短いものにはエックス線などだ。彼女にはそれまでは見えていないことも知った。つまり、彼女は異常ではあるが、そこまで普通とかけ離れている訳ではなかったのだ。

 でもそれを知った時、彼女にはそれが慰めとは思えなかった。それどころか、新たな疑問が湧いてきた。

 確かに彼女の可視帯域は、普通の人のそれより多少広いだけだ。だがその共通部分さえ、本当に同じなのだろうか。普通の人の見る赤と、自分が見ている赤は、本当に同じなんだろうか。

 そんな疑問を、彼女は自分の心に閉じこめるしかなかった。学校では誰とも話さなくなって久しい。いや、会話した記憶がそもそもない。

 教師も彼女にとって相談相手ではなかった。大抵の教師は大多数の生徒に迎合して彼女を敬遠した。時折彼女を気にしてちょっかいをかけに来る教師はいたが、それは彼女に気をかけていると言うよりは、クラスで孤立している彼女を他者と馴染ませようとの意図でのことだった。

 それは彼女の望むことではなかったし、他の生徒の希望でもなかったから、試みは必ず失敗した。そしてそのあとは元通り、何一つ変わりはなかった。


 家庭では、実質的に母子家庭になって随分になる。彼女が幼い頃には彼女のことで親戚と軋轢があったらしく、小学校に入った頃には親戚との行き来は一切無くなっていた。

 両親の間でも彼女のことで諍いや言い争いが耐えず、だから小学校低学年の時に遠方への転任の話が出たとき、父は逃げ出すように単身赴任で家を出た。それ以来ほとんど戻ってこず、朱音はもう何年も父の顔をまともに見てはいない。

 しかしそれはむしろ母に安息をもたらすものだったらしい。父がいなくなってからは、家庭内は遙かに落ち着いた雰囲気になり、朱音にとっても安心できる唯一の場所になっていた。

 そんな経過から、彼女は高校には何一つ期待を持っていなかった。東高校への進学を薦めたのは母だった。朱音のいた校区からはそこに進学するものはほとんど無い。新天地で新たな歩みを、という期待を込めてのものであることはすぐに分かった。

 もちろんそれが儚い望みであることが、母にも分かってはいたろう。だが、そんな気持ちを無下にするのも朱音にははばかられた。


 彼女自身はどうでも良かった。そもそも、彼女にとって学校が楽しい場所であったことなど一度もなく、単に勉強が出来る場所で、それに行かなければならない場所だから行くだけだ。高校だからと新たに期待する気持ちなど、涌いて来る筈もなかった。

 彼女は自分のことを知らない地域で、新たに奇異の目を向けられることを鬱陶しいと考えはしたが、そんなものは程度の問題で、どこへ行っても同じだ。要するに彼女はどこの高校でも良かった、あるいは悪かったのだ。

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