貞操観念をしっかり持っている俺が婚前に童貞を卒業するなんてあるわけない(と思っていた時期がありました)
非処女のヒロインとの恋愛を声高に叫ぶアニメや漫画が話題を呼ぶ昨今、別にそれを否定する気はない。
だが、やはり付き合うなら貞操観念をしっかり持っている人の方がいいに決まっているというのが俺の持論だ。
学年が上がり、1ヶ月が経過した。
そんな俺の高校生活は、朝のSHRまでの時間を読書で潰すことから始まる。
クラスメイトと談笑している者、机に突っ伏して仮眠を取る者と様々ではあるが、その中でも一際目立つ存在がいる。
肩まである髪を茶色に染め制服を着崩した彼女の名は、仁科優奈。
学校屈指の美少女と言われ、陽キャ女子のグループの中心で楽しそうに会話をしている。
別に聞き耳を立てている訳では無いが、時折会話が飛び込んでくる。
こないだ行った店が良かっただとか、彼氏の惚気話とか。
もちろん仁科さんにも付き合っている人がいるらしく、彼氏自慢をしている。
『勉強が凄く出来る』『天然な所があるけど周りに気遣いが出来て優しい人』 『男のツンデレって最高』
ふん、そんな完璧人間居るわけないだろうが……いや、容姿に触れてなかったから意外と顔は普通なのか?
まぁ恋は盲目っていうし、彼氏の本質が見えてないだけだろう。
毎日飽きもせず下らない話をしているが、学生の本分は勉強だと言ってやりたい。
別に彼女の事が気になって盗み聞きしてるとかじゃない、俺の隣の席が仁科さんだから聞きたくなくても聞こえてくるのだ。
「優奈、いつもの彼氏自慢ご馳走様です。で、どうなのその後進展はあった?」
「えっ!?あ、うん。彼の部屋に呼ばれてその……」
「おお、遂にヤったの!?」
「ちょ、ちょっと。そんな大きな声で言わないでよ恥ずかしい」
落胆する男達の声が聞こえてくるが、別にワンチャンある訳でもないんだ。
俺からしたら絶対にこういう女とだけは付き合いたくないけど。
結婚するかどうかも分からない相手に対して、大切な初めてを捧げるとか正気の沙汰とは思えない。
結婚し初夜に、お互いの初めてを交換する事に価値がある事をなぜ理解しないのだろうか。
そう思っていた時期が俺にもありました……。
~9月某日~
「ね、本当だったでしょ?約束通り責任を取ってね」
そう言って彼女は嬉しそうに笑う。
一糸まとわぬ姿で俺に抱きつくこの黒髪のショートボブの彼女こそが、俺が嫌っていたはずの仁科優奈なのだから人生とは小説より奇なりである。
え?話が一気に飛びすぎて状況が見えてこない?
大体俺の恋愛話とかそもそも需要あるの?
まぁいいや、興味がある人だけ俺達に何があったかを聞いてくれ。
~6月~
流石に2ヶ月近くも経てば、新しいクラスで友人ぐらいはできると言いたいところだが、絶賛ぼっち継続中だった。
このクラスにも昨年同じだった奴は、何人かはいるが接点のなかった奴ばかりだ。
別に意味はないが、隣の席の仁科さんも昨年同じクラスだった。
俺に課されたミッションは、新しい友達を見つける事なのだが、イマイチその必要性を感じない。
「ねぇ、香月君……数学の宿題ってやってきた?」
数日前から読んでいた本は昨日読み終えてしまったので今日はとりあえず寝て時間を潰すか。
「香月君、聞いてる?数学の宿題やってたら見せてくれない?」
誰だか知らないが、宿題見せてってお願いされてんぞ。香月……あ、俺に尋ねてたのか。
「仁科さん、宿題やってないの?」
「昨日はちょっと忙しくて……」
「人の見ても自分の為にならないよ?」
「あ……そうだね。ごめん変な事言った、忘れて」
「まぁ気をつけな。あんまり時間がないから急いで書き写してくれ」
そう言って俺は鞄から出したノートを彼女に渡す。
数学の後藤先生は、宿題を忘れた生徒に対して厳しい所がある。
間違ってはいないのたが、その厳しさ故に生徒からの評判が悪い。
「え?いいの?」
「出席番号で考えると仁科さんは今日当たりそうだろ?後藤先生めんどくさいから」
ありがとうと感謝され、彼女はどうにか数学の時間を乗り切った。
このやり取りが、彼女と俺の始まりだった。
それから彼女は朝の挨拶はもちろんの事、休み時間にも俺に話しかけてくる様になった。
かと言って、彼女が俺に対して好意を抱いてるとかそんな勘違いをする気はない。
代わり映えのしない一日を過ごし、帰り支度を整えて教室を出ようとした時、クラスの男子が友人にお願い事をしていた。
「今日どうしても部活に早めに顔を出さないとまずくて、掃除当番変わってくれないか?頼むっ!!」
「いや、俺も今日は彼女と予定があってすまん……」
「マジか……困ったなどうしよう……」
はぁ……見て見ぬふりしてもいいが、この後特に予定もない。仕方ない変わってやるか。
「えっと武田君だっけ?良かったら掃除当番変わろうか」
「え、マジで!?助かる…えっと……」
満面の笑みを浮かべた後にすぐに困り顔になった彼を見て俺は察した。
「あー、香月ね。無理に名前を呼ばなくていいよ」
俺の名前なんて覚えてる訳ないよな。
分かってはいたけど、こういうのって地味に傷つく。
「香月、すまん。この埋め合わせは必ずするから!!それと……」
何か言いづらそうにしているが、頼み事が1つぐらい増えた所で大したことではない。
「何?まだ他にもお願いあるなら遠慮なく言っていいよ」
「他にって訳じゃなくてさ……俺の名前さ……武田じゃなくて岸田なんだ。いや、いいんだ。名前なんて大した事じゃないよな。掃除当番変わってくれたのに揚げ足取りみたいですまん」
「あ、こっちこそごめんなさい……岸田君。部活頑張ってね」
まさかのブーメラン。
教訓、人の名前はきちんと覚えましょう。
「ぷっ……」
視線を隣に向けると、いつの間にか横に居た仁科さんが、この一連のやり取りを見て吹き出していた。
デリカシーのないこういう所が嫌なんだよな、俺はジト目で彼女を見た。
「何か言いたいことあるの?」
「べ、別に…ぷぷぷ……。わ、私も掃除当番だったからさ。一緒に掃除をパパっと終わらせて早く帰ろうね」
どうやら彼女も掃除当番だったらしい。
そんなに笑いたいなら遠慮なく笑えばいいさ。
俺は不機嫌を隠すことなく掃除を始めたが、彼女は手を動かすより話に夢中だった。
そんなこんなで掃除はそれなりに時間がかかってしまったのだが、仁科さんは終始ご機嫌な様子だった。
「あ、やば。友達とカフェに寄る約束してたのにもうこんな時間。香月君また明日ね」
掃除が終わると彼女は慌てて教室を出ていった。
予定があるなら、口を動かすより手を動かせばいいのに……よく分からない人だと思ったが、まぁいいや。
俺もそのまま帰路についた。
~7月~
「香月君ってさ、前髪邪魔じゃないの?」
昼休みにご飯を食べようとしたら、突然仁科さんがそんな質問をしてきた。
「別に……そもそも俺の髪が仁科さんに関係あるの?」
「いや、ないんだけどさ……目にかかってるから気にならないのかなって」
前髪切ったらイケメンとか流行っているが現実はそんなに甘くない。
そもそも俺は背もそんなに高い方ではない。
別に外見にコンプレックスがある訳じゃないから、そこは誤解しないで欲しい。
「目に髪が入らないように伸ばしてるから問題ないかな」
「そうなんだ、でもほらこれから暑くなるからサッパリしたらいいのに……」
そう言って彼女は俺の髪をかきあげた。
咄嗟の事で反応出来ずされるがままになったのだけど、彼女は無言ですぐに手を離した。
「ごめん、やっぱ切らなくていいと思う」
そう告げる彼女の目は見開かれていた。
そうかいそうかい、そんなに俺の顔は酷かったか。
要は人前に見せるなって事でしょ、それぐらい理解出来る。
少しだけ不愉快になったので、彼女が話しかけてきても曖昧に返事をするだけだった。
俺の態度に何故か慌てていた様だったけど、それなら失礼な事を言わなければいいのにな。
「香月君、今日の放課後って空いてる?」
「いや、予定が入ってる」
「もう、こないだ誘った時もそう言ってたじゃん。いつなら空いてるわけ?」
「ずっと空いてないよ、それじゃまた明日」
最近こうして仁科さんが放課後の予定を聞いてくる事が増えた。
そもそも空いてると言ったらどうする訳?
俺と一緒に出かけるつもりなの?彼氏がいるのに?
これ見よがしに大きなため息をつき、鞄を持ち昇降口に向かった。
「香月、ちょっといい?」
靴に履き替え、後ろを見ると仁科さんの友達が居た。
えっと確か彼女の名前は……佐藤さん?だったはず。
「さ……なんですか?」
別に自信がなかったから名前を呼ばなかった訳じゃないから。
彼女をこんなにしっかりと見た事なかったけど、流石は仁科さんの友達だ。
派手な格好はどうかと思うが、凄く綺麗な人だ。
「私の事分かる?」
「はい、分かりますよ(顔だけは)」
「なら話は早いね。あのさ、私が言えた義理じゃないけど……優奈にもう少し優しく接してくれない?」
「…………」
質問の意図が理解できなかった。
俺が彼女に優しく?何故?
頭の中がクエスションマークで埋め尽くされた。
「キミってさ、優奈の誘い断ってるでしょ?あの子の事そんなに嫌いなの?」
ああ、その事ね。
この人は何か勘違いをしている。
「彼氏がいる人に誘われて僕が頷くと?それは僕も舐められたものですね」
「あ……」
友達なんだから彼氏がいる事は佐藤さん?も知っていたはずだ。
「婚前にたかだか付き合っているぐらいの男の家に行く?僕はそういう貞操観念の低い人は好ましく思ってないので……」
「え、何それ?香月ってやっぱり童貞?恋愛感拗らせまくりの処女厨とかってやつ?まさか、初めては結婚式の日に……とかは流石に……」
「そのまさかですが何か?それが問題あります?誰かに迷惑かけてます?」
馬鹿にされたと思ったので、つい語気が強くなってしまった。
「ふーん、いいんじゃない別に。むしろお似合いだと思うよキミ達」
「どういう事です?」
「その話はいいや。聞きたい事は別だから。で、どういう女の子がタイプなの?」
「………え?」
何この展開。私実はあなたの事が……みたい流れ?いや、それはない。
確か佐藤さんも彼氏がいたはず。
「佐藤さんって彼氏いたよね?なんでそんな事聞くの?」
「香月それ本気で言ってるの?」
「うん、言ってる。盗み聞きするつもりはなかったけど前に彼氏の話してたよね?」
「あ、いや。彼氏いるのは間違ってないからいいんだけど、佐藤は那月の方だから。優奈と私ともう1人居るでしょ?そっちが佐藤ね」
「…………」
またやってしまった。教訓、人の名前と顔は一致させましょう。
「話には聞いてたけど、香月って本当に天然だね。私の名前は八代瑞穂、自己紹介したんだからちゃんと覚えてね」
「そ、その……ごめんなさい……」
「気にしなくていいよ。あ、でも申し訳ないと思ったならさっきの質問に答えてくれたらチャラって事でどう?」
「ああ、好きなタイプってやつ?八代さんは僕に興味なさそうなのに何で知りたいの?」
「こういう時は詮索しない方がいい男なんだよ」
そう言われてしまうと何も言い返せなくなる。
「えっと好みのタイプって言うか、貞操観念をしっかり持った女の人が好みかな」
「他には?顔がいいとか、胸が大きいとか、性格はこういう感じとか色々あるでしょ?」
うーん、好みのタイプとか考えた事なかったな。俺ってどんな子が好きなんだろう。
「…………」
「あーもう。そしたらこっちから質問するから答えて」
何も言えずにいると、八代さんはそんな提案をしてきた。
「一重と二重はどっちが好き?」
「二重かな」
「髪は長いのと短いのどっちが好き?」
「短い方」
「カラーは?金髪とか茶髪とか黒とか」
「黒」
「背は高いのと低いのはどっち?」
「低い方」
「性格は明るいのと物静かならどっち?」
俺が根暗だから、明るい方がいいのか?いや、でも相手がつまらなくなりそうだから物静かな方が……
「今まで出会った人で、この人と話して楽しいとかそういうのなかった?」
俺には友人と呼べる人は少ない。それこそ1番話をした人を聞かれれば、仁科さんと答えられる程度にコミュ障である。
ふと気づいのだが、仁科さんと話している時だけは自分が出せていると感じた。
他人の前では萎縮してしまう傾向があるのは自覚していたが、彼女に対してはそれがなかった。
「明るい方だね」
「そっか。ねぇ、聞いてもいい?最後の質問の答えを出した時に誰を想像してたの?」
「…………」
ニヤニヤしている八代さんに、仁科さんとは口が裂けても言えない。
俺は無言の睨みで抗議したけど、前髪で隠れているのできっと気づかれないだろう。
「香月って前髪切らないの?今から夏なんだし、少しは切ったらいいのに」
そう言って俺の前髪をかきあげた。
これ前にも同じようなことあったな……。
「…………」
「何?」
何故か固まっている八代さんが鬱陶しくなったので手を振り払った。
「あ、ごめんね。自分から言っておいてだけど、やっぱり髪は切らない方がいいね」
そう言って苦笑いをする彼女を見たからと言って、俺の心は傷つかない。
そう絶対に傷ついたりしていない。
「私から言うのはちょっと違うかもしれないけどさ、これからの優奈を見てあげて欲しいんだ。キミにとってもきっと悪い方向の話にはならないから」
そう言って八代さんは颯爽と去っていた。
その翌日、仁科さんが黒髪のショートボブで登校してきた。
俺の好みを反映させたかの様なタイミングだが、ただの偶然だろう。
「どう、似合う?」
席に着いた彼女は早速とばかりに質問してきた。
それを俺に聞く必要があるのか疑問だが、一応答えておく。
「ふ、ふつう……でも前よりはいいんじゃない」
「そっかそっか」
何故かドヤ顔している彼女から慌てて目を逸らすが許さないとばかりに会話を続けてくる。
「香月君、良かったら連絡先交換しない?」
「連絡先交換するほど俺達仲良くないよね?それに彼氏がいるのに大して仲良くない男の連絡先を聞くってどうなの?」
いつもよりも冷たく当たってしまった。
彼女の見た目が自分好みだったから……そんな事を彼女に言って欲しくなかった。
「あ……その……」
気まずくなりそうな雰囲気になりそうな所で底抜けに明るい声がした。
「優奈おっはよー。髪切ったんだね」
八代さんだ。お役目御免とばかりに読書に戻ろうとするもそれを許して貰えなかった。
「見てたよ、相変わらず拗らせてるね。たかだか連絡先交換するぐらいでムキになってウケる。これだから童貞は……」
八代さんは、小声で俺にだけ聞こえるように煽ってきた。
「今それは関係ないでしょ!?連絡先交換する程の仲でもないし……」
「クラスメイトと連絡先交換するぐらい普通でしょ。いいからスマホ貸して。じゃないと、もっと騒いで皆の注目集めるよ?」
見え透いた嘘であると思うけど、注目を集めるのはこちらとしても本意ではない。
渋々、俺は彼女にスマホを差し出す。
「やった!!瑞穂ありがと」
喜ぶところか?それ彼氏が見たら泣くぞ。
そんな彼女をジト目で見るが、視線はスマホに向いておりこちらの態度に気づく素振りはなかった。
「どう、ウチの優奈って可愛いとこあるでしょ?」
「べ、別に……」
八代さんにこれ以上弄られる前に撤退しよう。
3度目の正直とばかりに俺は読書に戻ったのだった。
ここから2人の距離が近づき……みたいな展開を期待しただろうか?
残念だったな、1学期が終わる頃になっても彼女からは一切連絡はなかったよ。
~8月~
夏休みも中盤を迎えたとある日の午後。
買い物をしに街中まで電車に揺られながら向かった。
目的地のある駅に着くと、広場の噴水に男の子が1人で座っているのが目に止まった。
誰かを待っている様にも見えるが、もしも誘拐とかされたら嫌だな。
少し近づいてみて、迷子とかだったら声をかけてみるか。
5分程様子を見たが、誰かが戻ってくる素振りもないし、男の子もずっと俯いている。
仕方ない、声をかけてみるか。
「こんにちは」
声をかけてみたものの、反応がない。
「こんにちは」
2度目の声がけでようやく男の子が顔を上げ、こちらを見る。
唇を噛み締め、その目には今にも溢れんばかりの大粒の涙が溜まっていた。
「やぁ、どうしたの?迷子かな?」
「迷子じゃない。迷子なのは……ゆうねーちゃん」
子供あるあるだ、自分が迷子である事を認めない。
「ふーん、君じゃなくおねーちゃんが迷子なのか。それは困ったね」
今にも泣き出しそうな子をこのまま放置する訳にも行かないが下手に移動しない方がいいだろう。
最悪、警察に届け出ればいいか。
でもとりあえず、汗をびっしょりかいてるのが心配だ。
「ちょっと待ってて。いいかい?知らない人に付いて行ったらダメだからね」
少し離れた自動販売機で、水とお茶とジュースを買って急いで戻る。
「汗かいてるから水分補給しようか。どれが飲みたい?」
「知らない人から物を貰ったダメなんだって」
その返しに感心するものの、今はそんな事を言ってる場合ではない。
「俺はゆうねーちゃんの友達だからさ。知らない人じゃないよ。だから飲んで」
「ゆうねーちゃんのお友達なの?」
「そうだよ、だからほら。飲み物はどれがいい?」
「これ」
男の子が選んだのはジュースだった。
しっかり飲んだ事を確認して、俺も水に手をつけた。
「俺の名前は、すぐり。キミの名前は?」
「こう……」
「そっか、コウ君な。暑いから日陰に移動するか?」
「いい、ここで待つ」
もしかしたら迷子の時はここで待つように言われているのかもしれない。
具合が悪くなりそうならその時移動すればいいか……状況を鑑みてここで待つようにした。
コウ君は保育園の年長らしく、母親と姉との3人暮らしだそうだ。
聞いてもいないのに、どの辺に住んでるとか母親の帰りが遅いから姉といつも一緒にいるとか個人情報ダダ漏れである。
「コウ君、おねーちゃんの友達だとしても初めて会った人にそういうのを話したらダメだからね」
一応釘は刺しておく事にした、伝わってるかは分からないが……。
「それでおねーちゃんはどこにいるか分からないよね?」
「おねーちゃんは探し物。なんか落としたんだって」
落し物をしたとは言え、こんな子供を放置するのはダメだろう。
会ったら一言ぐらい文句を言ってやろう。
その機会は直ぐに訪れた。
「滉…ごめんね!え、嘘……なんで……」
後ろから声がしたので振り返るとそこに居たのは仁科さんだった。
「ゆうおねーちゃん」
そう言ってコウ君は立ち上がると、彼女の脚にしがみつく。
彼女達が落ち着くまで待って、改めて声をかける。
「仁科さん、君はこんな小さな子を1人にして何してるんだ?」
「あ、そ、それは……その……ごめんなさい」
「落し物をしたって聞いたけど、それはこの子を置いてでも探さないといけないものだったのか?」
何故か彼女に対しては、語気が強くなってしまう。
だが今回に関して言えば、悪いのは彼女の方だ。
「スマホ落としちゃって……軽率でした、ごめんなさい」
弟を置いてまで探す必要があったとは思えない。
バックアップを取ってないとかもないだろう。
「ウチ、あまり裕福じゃないんだ。だからその……それに連絡先……」
だんだん声が小さくなっていき最後は何を言ってるのか聞こえなかったか。
でもこれだけは言っておかないと。
「コウ君は、おねーちゃんの友達って言ったら信じたぞ。さっきそれで水分補給させたけど、これが悪い人だったらどうする?彼氏と連絡とるのに大事なのは分かるけど、恋愛ばかり考えてないでちゃんとしな」
少し言い過ぎたかな。仁科さんはすごく落ち込んでしまった。
俺達の間に気まずい空気が流れる。
「おねーちゃん、かれしって何?」
「コウ君が知るのはまだ早いかな」
「おしえて!!」
そう言って俺のズボンを引っ張る。
「うーん、そうだな。一緒に遊びに行ったりする男の子?」
「おねーちゃんと?それっていつ?」
「え、どうなんだろ?休みの日とか?学校が終わった後とか?」
「おねーちゃん、そうなの?でも、いつも僕と一緒にいるよね?」
ん?話が見えてこない。
「仁科さん、どういう事?」
観念したのか、彼女は小さく溜息をついた。
「香月君、この後時間ある?」
そう言って連れて行かれたのは彼女達の家だった。
彼氏でもない男を家に入れるなんてどうかしていると猛抗議したが押し切られてしまった。
彼氏にフラれたからって文句言うなよ、俺は悪くないからな。
「ごめんねお茶しかなくて」
通されたのはリビングだった。そこそこ古めの市営住宅、意外にもウチの近くに住んでいた。
あれ?でも中学校とか同じじゃないぞ?
その謎はすぐに解決した。
「へぇ、引っ越してきたんだ。俺の家もこの近くなんだ」
「知っ……そうなんだ。知らなかった」
「ここからだと学校には電車で行ってるんだよな?今まで会った事なかった気がする」
「そうだね、乗ってる電車の時間が違うんだと思う」
「…………」←俺
「…………」←仁科さん
「…………」←俺
「…………」←仁科さん
そこで話題に詰まってしまった…。
「あ、あのさ。それで話って何?そうだ、その前に……男を簡単に家に入れるのはダメだぞ。彼氏が聞いたらきっと怒るぞ」
「誰にも言ってないから秘密にして欲しいんだけど……彼氏は居ません……」
「え……?振られたの?」
「振られたと言うか……誰とも付き合った事がないと言うか……」
頭を掻きながら、困った様に笑う仁科さん。
いやいや、流石にそれは嘘だろう。
だってあんだけ彼氏自慢してたのに、実は居ませんでしたは通用しない。
「中学時代から告白される事はあったのだけど、昔からの知り合いは私の家庭の事情を考慮してくれてお断りしたらすんなり引き下がってくれてたの。でも高校に入ったら『弟の面倒見るの手伝う』とか『毎日面倒見てる訳ではないだろうから休みの日は』とか押しが強くて。でも家庭の事情をよく知りもしない人に吹聴したくなくて……」
ウチは生活が苦しいから付き合いませんとは、さすがに言えないか。
「弟の面倒を見るのは嫌じゃないし、それに人と付き合う余裕は今の私にはないから。それで瑞穂達に相談したら、彼氏がいる事にしたらいいって言われてそれで……」
彼氏自慢ばかりする女には流石に告白しようとするバカもいないだろうって事ね。
「なるほど事情は分かった。確かにこんな話を外でするわけにはいかないか」
「うん、それに私だって危機管理ぐらい出来るよ。香月君なら大丈夫かなって思ったから」
その信頼はどこから来るのか?ま、まさか……
「は、は、初めては……結婚式の日に……だもん……ね」
そう言って顔を真っ赤にして笑う彼女の顔を多分僕は一生忘れる事はないだろう。
それからは目まぐるしい日々だった。
勉強が苦手だった彼女と夏休みの課題を一緒にしたり、コウ君を連れて3人で色々な所に遊びに行ったり。
世界一安心な男友達として認知された俺は、何故か彼女の母親に気に入られた。
そしてそれは優奈も同じで、俺の両親からとにかく可愛がられている。
こんな無愛想な息子ではなく娘が欲しかったんだと。
1度、お互いの家にお泊まり会まであった。
貞操観念にうるさいクセに、どの口が……と思うかもしれないが安心してくれ。
俺が優奈の家に泊まりに行った日、何故か優奈は俺の家に泊まっていた。
普通に考えておかしな状況だが発端はコウ君の、『すぐりおにーちゃんともっと一緒に遊びたい』なのだから仕方ない。
便乗して『私も優奈ちゃんともっと一緒に遊びたい』って言った母親にはドン引きしたけど。
更に貞操観念のない子は嫌いなんでしょ?と両家の親に言われてしまえば俺に拒否権はない。
こないだ優奈に聞いた話によると、冬には家族合同で旅行に行く事まで決まっているらしい。
え?俺はその話を親から何も聞いてないぞ。
最近は孫の顔が…とか言われる。
有耶無耶になってるが、そもそも俺と優奈は付き合ってすらいない。
それを言われた時の優奈が、満更でもない態度を取るのが悪いんだよな……。
え?いつから名前で呼ぶようになったか?仲良しなら名前で呼ぶのが普通って優奈達(八代さんと佐藤さん)に言われたけど違うのか?
他に名前を呼ぶやつが居るかだって?どこの世界に彼氏持ちを名前で呼ぶ馬鹿がいるよ?
お前ら貞操観念低すぎな、発言するなら冷静に考えてからにしてくれ。
男友達?作り方を先に俺に教えてから言ってこい。
あれ?そう言えば八代さんと佐藤さんが今度彼氏を紹介するって言ってたな。
悪いなお前ら……。俺の恋愛話に興味を示すコミュ障のお前達とは違って俺有能みたいだわ……。
長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。