その一
一
柴栄は、じっと朝廷に居並んだ廷臣たちの顔を、強い視線で横一文字に斬った。それに対して帰ってくるのは不安の視線と静寂のみであった。だが、沈黙は数瞬の短い間であった。一人の男が口を開く。
「ここは陛下御自らが漢を討つべきです。陛下の武威を天下に示し、周は未だに健在であると列国に見せ付けるべきでしょう」
そう言ったのは王溥、字は齋物であった。年のころは四〇代に入ったぐらいであろう。丸みを帯びた顔の輪郭に穏やかそうな瞳と、見るからに学者という印象の線の細い体格を持っている。実際文官として周の前の皇帝からずっと仕えている。
「その言、我が意を得たり」
一層強い声で柴栄は言った。若い、ようやく三〇に届いたばかりというふうの顔に強い自身が溢れている。
彼は後に後周の世宗と謚され、五代随一の名君と評されることになる。九五四年、後周の年号で顕徳元年、先帝郭威が病で倒れ、その後を受け継いだのが彼である。養子ではあるが、優秀であったことから郭威が特に目をかけ、武将としても数多くの功績を挙げていたことから、誰もが郭威の後継者として認めていた。この年三四歳。眼には鋭い光があり、長い間戦場に立ち続けることで鍛えられたのであろう力強い肢体には、一片の脆弱さもなかった。
ただ、その年齢が仇になったのだろう。郭威が死んで柴栄が継ぐ、と公表された直後に北漢が周に攻め込んできた。柴栄はまだ若く、優れた君主であった郭威に到底及ぶまい、それに郭威の死んだ直後で混乱しているに違いない、そう踏んでの北漢の侵攻であった。言ってしまえば見くびられたわけである。それをどう対処するか、が今朝の朝廷の主な議題であった。
「ここは朕自ら軍を率い、周の武威を見せ付けるべきだろう」
どうだ、といわんばかりに柴栄は居並ぶ群臣を見渡した。その表情に自信が溢れているのは、これまで彼自身が戦場に出続け、赫々たる戦果を挙げているが故であった。実際、柴栄といえば周の一番の名将として名前が挙がってくるのである。
やはり群臣から返答はなかった。全員がどう判断したらいいのか困っている、そんな感じである。柴栄は名将だからまず負けることはないだろう。しかし、皇帝の身に万が一何かあったらそれはまた大事である。その思いの間で群臣たちは揺れ動いていた。一つには、彼らには柴栄が親征したがっているのが見えていたからかも知れない。だから言っても無駄かもしれない、という考えもあっただろう。
「なりませぬ」
不意に、宮廷に枯れたような、静かな声が響く。その声は、決して威厳があるわけでも、力強さがあるわけでもなかったが、その場に居合わせた全員が声の主の方を振り向いた。
そこには、一人の老人の姿があった。官衣を身に纏い、静かにたたずんでいる。既に七〇歳に達しているだろうと思われるが、腰は全く曲がっておらず、杖も支えもなくまっすぐ立つ姿は鶴を連想させた。馮道、字は可道。後周の先帝、太祖郭威に仕えていた宰相である。だが、彼の場合、後周の宰相、というより五代の宰相と言うべきであったかもしれない。
彼は、後唐、後晋、後漢、後周、更には異民族国家である遼で重要な地位にありつづけた。一時的に遠ざけられる時期もあったが、これだけ王朝が変わっても長く国家の枢要にありつづけた男は彼しかいないだろう。別に彼が自ら売り込んだわけではない。五代という時代は乱世だ。王朝交代に際しては前王朝の重臣が殺されることも珍しくない時代であったが、彼の場合は、むしろこれらの王朝や国が彼に重要な地位を与え続けた。これだけ多くの王朝、国に必要とされた男も珍しいだろう。
「何故だ」
柴栄は自分の倍の年齢の臣下をにらんだ。
「陛下が即位されてまだ間もなく、国内には動揺している者も多くおります。そのような情況で戦うのは得策ではありませぬ。ここは守りを固めて相手が疲れるのを待つべきです」
特に独創性のある意見ではなかった。だが、それ故に理に適っており、容易に反論を許さない。しかし、柴栄も含めて、彼を知る人間は、馮道のこの意見に軽い違和感を覚えた。彼の口調がこれまでよりもやや強いものであるように感じられたのだ。
「齋物殿よ、宰相のこんな強い口調を、聞いたことはあるか?」
旧知の范質に字で問われて、王溥は首を横に振った。范質、字は文素。王溥とともに後周の郭威に仕えており、当然馮道とも付き合いがあった。范質に至っては、強く馮道を尊敬していた。ちなみに字というのは、基本的には一人前になった証として、成人して後自分でつけることが多い。日本で言う元服に近いだろう。他人につけてもらう場合もあるし、必ずつけるとも限らない。ただ一人前の証ではあるので、これを持っている人間には余程親しいか身分が上の人間を除いて字で呼ばねばならない。名前で呼ぶことは、相手を一人前と認めていない、ということになるのである。
「私も初めて聞きました。宰相には何か思うところがあったのでしょうか」
王溥も声を潜めた。范質が軽く首を傾げる。その間にも君臣の問答は続いていた。既に柴栄は肩をいからせ、今にも踊りかからんばかりの姿勢になっている。
「唐の太宗皇帝を見よ。太宗皇帝は自ら何度も前線に立ってきたではないか」
「陛下は唐の太宗皇帝ではございません」
馮道は、相変わらず鶴のように立っている。柴栄の若い英気を受けて、群臣の中にはたじろいでいる者もいたが、馮道の態度、姿勢は全く変わらなかった。
「だが、朕もこれまで何度も戦場に立っておる。北漢の劉崇程度の率いる軍勢など、石どころか山で卵を押し潰すように容易く潰して見せるわ」
柴栄はさらに語気を強めた。流石にここまで真っ向から否定されては、面白かろうはずがない。だが、馮道には全く引く気がないようだった。
「陛下は山にはなれませぬ」
ひやりとしたのは、当の本人ではなく、群臣たちであっただろう。これまで君主を強く諫めて殺された臣下の何と多いことか。柴栄の眉が跳ね上がり、肩が震えた。群臣は、馮道がその多数例の一つに加わるのではないか、と恐れた。だが、馮道にはまったく恐れた様子はなかった。ただまっすぐ若い君主の眼を見ている。ややあって、柴栄は低い声で搾り出すように言った。
「うるさい、朕の親征は最早変わらぬ。老人は黙って朕の戦いぶりを見ておれ」
柴栄は身を翻した。そして宮廷から出て行く。群臣はほっとした。どうやら最悪の事態は免れたようであった。さらに、王溥の場合は自分の進言が取り入れられたことによる安堵感もあっただろう。しかし、その場に居合わせた全員が馮道の態度が気になったのであった。
その日の夜、范質と王溥は馮道の私邸を訪れた。長年要職にありながら、馮道は富貴とはまったく縁がなかった。賄賂は一切受け取らなかったし、俸給の殆どは貧しい民衆や親戚などに分け与えてしまうものだから、彼の小さな家には財産と言っていいものが全くなかった。その質素な家に相応しい粗末な卓を馮道は二人に勧め、自分も二人と向かい合って座った。
「何故、宰相は今回の親征にあれほど強く反対されたのですか」
范質が口火を切った。馮道はすぐには答えなかった。軽く目を閉じる。ややあってその目を開いてから答えた。
「陛下は、これまでの皇帝とはまったく違う。先帝陛下も名君の資質をお持ちであられたが、それに勝る、優れた資質をもっておられる」
静かに、しかし淀みなく馮道は話し出した。
「今、周には北漢と誼を通じているものが多数いる。陛下が北漢と戦うとなれば、当然その者たちは陛下に刃を向けよう。今、陛下を害させるわけにはいかないのだ」
范質と王溥は静かに聞き入っていた。やや范質が上体を前に傾けている。本来范質も馮道に負けず劣らず物静かな人物だが、この男でも興奮することがあるのだな、と王溥は意外の念を禁じえなかった。
「今の乱世だ。これを統一し、平和な、民が安心して暮らせる世の中を作れる人間は、そうはおらぬ。陛下には、その可能性がある。陛下には太宗皇帝とは違うと申したが、太宗皇帝にも劣らぬ力がある。それを、こんなところで潰させるわけにはゆかぬ」
言い終えてから、馮道は軽く肩を落とした。普段はまったく年齢を感じさせぬ馮道だが、この時だけは年齢相応に見えた。
「私も、寄る年波には勝てぬようだ。陛下の鋭気を抑えることができぬとはな」
范質と王溥は痛ましげに大先輩とも言うべき老人を見やった。特に、范質の場合は、私利私欲を全く考えず直言で持って行動する馮道が憧れであり、目標でもあった。だから、馮道のこのような姿を見るのは耐えられなかった。
「丁度今日この日にお主らが訪れたのも何かの縁かも知れぬ。一つ、頼むことがある」
馮道は、まっすぐに二人を見やった。この二人も柴栄よりは年上であるが、当然馮道とは年齢に大きな開きがある。五代を代表する大宰相にまっすぐ見つめられて、二人とも身動き一つ取れなかった。
「私も年だ。もうすぐ死ぬだろう。私の死後、陛下のことを頼む。そして、陛下を助けて、民が安心して暮せる世を作り出してくれ」
静かな声だった。むしろ淡々としていたぐらいだろう。しかし、それに万感の思いがこもっていることを二人とも見逃してはいなかった。これまで罪もない民が傷つかないようにどれだけのことを彼がやってきたか、二人は知っていた。悪法には真っ向から諫言し、戦を減らすよう勤めてきた。俸給は全て貧しい民に分け与えてもきた。それは全て自らの栄達のためではなく、民のためであった。そのことを、二人は知っていたから、馮道の静かな思いを見落とすはずがなかった。
ややあって、先に范質が頭を下げた。
「若干非才、到底宰相に力及ばぬ身ではありますが、全力で陛下に尽くします」
遅れて、王溥もそれに倣った。
「そうか、済まぬな。若い者に苦労をかけてしまうようだ。本来であれば、私が死ぬまでに成しておかねばならなかったというのにな。力及ばず、陛下も含めて多くの若い者に荷を押し付けてしまうようだ。だが、お主らの誓い、心強く思うぞ」
馮道は再び目を閉じた。表情に安堵感があった。それと同時に、馮道の顔が急速に老け込んだように思えた。
馮道の私邸を辞して後、夜道を歩きながら、范質は王溥に言った。
「齋物殿よ、私に、宰相殿の代わりが務まるだろうか」
「私にはわかりませぬ」
王溥の答は明快だった。
「ただし、宰相殿を尊敬しておられるのでしょう。であれば、代わりを務められるのは、文素殿しかおられません」
范質は、夜空を見上げてふうっと息を吐いた。澄みきった初春のまだ冷たい夜空を、無数の星々が彩っている。范質は視線を王溥に戻した。
「私は、陛下に全力で尽くすことを、お主と、宰相に誓おう」
「私も、文素殿の手伝いをさせていただきましょう」
それが、二人の誓いだった。新しい皇帝に忠誠を尽くし、平和な世の中を作る。彼ら二人のみの、崇高な誓いだった。
この後、柴栄は北漢を迎撃し、勝利を収める。その報告を聞いた直後に、馮道は死亡した。年齢は七三歳。当時としては異例の長寿であった。それからというもの、范質と王溥は着実な成果を挙げ、二人して宰相に任命され、政治、軍事の両方にわたって柴栄を助けていくのだった。
二
「何故だ、何故こうなった」
宋の二代皇帝、趙炅は、目の前の光景が信じられなかった。西暦九七九年、宋の年号で太平興国四年。天下は後周の後を継いだ宋によってほぼ統一されていた。残るは北漢と、その更に北にある、九三六年の後晋時代に北方遊牧民族国家の契丹に割譲された燕雲十六州を取り返すのみ、という情況であった。そして、先日の戦いで北漢を破り、天下統一が成った。
その勢いに乗じて、趙炅は契丹から燕雲十六州を取り返そうと戦いに望んだ。だが、目の前には宋の兵士は殆どいない。いや、いないわけではない。ただ契丹兵に斬り伏せられて死体となっているだけである。自分たちが倒した兵士たちを馬蹄で蹴散らせつつ契丹の兵士たちが馬を駆って押し寄せてくる。
「何故だ」
なおも趙炅は煩悶した。勝てるはずであった。北漢を討ち、その勢いを持ってすれば契丹など物の数ではない。一人の将軍がそう主張し、その意見を採用して戦いに望んだ。そのはずだった。
契丹の兵士の剽悍な喚声が聞こえてくる。矢が趙炅の近くにまで飛来し、そのうちの一本が趙炅の太ももに突き刺さった。
趙炅は呻いた。表情が苦痛で歪む。顔から血の気が完全に引いている。
「聖上」
近くの兵士たちが叫ぶ。趙炅はずるずると後ずさるのみであった。顔は青ざめ、恐怖におののいている。兵士たちの呼びかけに答えることすらできなかった。
「ここは危険です、早く車にお乗りください」
矢の飛び交う中、兵士たちは自らの身体を盾にして皇帝を守り、馬車に乗せた。傷の手当てをする暇はなかった。とにかく、ここから皇帝を逃がさねばならない。
「逃げろ」
趙炅は考える暇もなく御者に命じた。彼をかばってくれた兵士たちのことを考える余裕すらなかった。果断にして沈着冷静。それが、彼に浴びせられる賛辞のうちの一つであった。だが、今の彼にはその果断も沈着も冷静も、一欠片として残っていなかった。
趙炅に命じられて御者は馬に鞭を打った。黄色の布を張った馬車が反転し、二頭の馬が全力で駆け出す。
「あの黄色い馬車を追え。あれが皇帝の馬車だ」
契丹の将軍が叫ぶ。黄色は中国では皇帝にしか使うことが許されてない色であり、この色を使っている者はすなわち皇帝であった。追う契丹兵にとっては、格好の目印であった。
御者は必死になって馬を走らせた。いまや彼の腕に皇帝の命がかかっているといっても過言ではなかった。その馬車の中で、趙炅の端正で神経質そうな顔が青ざめていた。もともと細い目が、今や殆ど閉じられている。苦痛に顔を歪ませながら、彼はなお何故だと反芻していた。それからどれくらいの時が経っただろうか。何時の間にか周囲が静かになっていることに、全く気がつかなかった。
「聖上、ご無事ですか」
その力強い声には聞き覚えがあった。頼もしい味方の声である。
「枢密使か」
弱々しい声で趙炅は応じた。
「は。追っ手は追い払いましたゆえ、もう安全かと」
枢密使、曹彬は皇帝を守るように馬車に馬を寄せた。字は国華。堂々たる体躯を白い甲冑で包み、彫りの深い顔には、歴戦の武将とは思えぬ穏やかな光を称えた瞳と、不釣合いなほどの見事な髭を備えている。流石に美髯公という綽名はついてはいないが。
「枢密使の言うとおりになったな。卿の言に従っておれば、このようなことにはならなかったろうて」
趙炅は馬車の中から姿を現した。顔は出血と敗戦による心理的打撃で憔悴しきっている。ちなみに、曹彬は北漢を討った所で軍を返すべきだと主張していた一人である。
「勝敗は兵家の常。お気になさることではないかと。それよりもお怪我はありませんか」
尋ねると、趙炅はふっと笑って自分の太ももを示した。曹彬は急ぎ応急手当を行った。本格的な治療は近くの城に戻ってからということになった。
「とりあえず、開封に戻ろう。今から卿の言に従っても遅いかも知れぬが、漢を討ち天下を平定した。それだけで今は満足するべきであろうな」
力のない声であった。このような皇帝の姿を見るのは、曹彬にとっては初めてのことであった。武将の力強さこそないものの、優れた知性、決断力、冷静さを兼ね備え、その威は文武百官を圧倒するに足りた。しかし、今はそれが全て失われていた。
「やはり朕には兄上と違って戦はできぬようだ」
自嘲気味に笑った。だが、すぐにそれを収めた。
「今回は北漢を討ち、天下を平定しただけでよしとしよう」
言いながら、趙炅は心中で苦笑した。
「よく考えれば、柴栄に始まる天下統一の戦いの始まりは北漢との戦いであった。その北漢が天下統一の最後を締めることにもなったのだ。妙な因果だ」
心中で呟ける程度には趙炅は冷静さを取り戻していた。柴栄、兄の趙匡胤、そして趙炅と続く天下統一の事業はこうして成ったわけである。柴栄が先南後北、豊かではあるが武力の弱い南を先に平定して基盤を作り、強力な北に対抗する、の方針を打ち出し、それを趙匡胤が継承して推し進め、そして趙炅がここに完成させた。その始まりが、実は北漢との戦いであったかもしれない。
この戦いは兄弟にとっても大きな戦いであった。馮道の危惧が一部的中する形となり、軍の一部が寝返りはしなかったが、戦闘が始まるや否や武器を捨てて逃げ出してしまった。それを柴栄自身の奮闘と趙匡胤の活躍で盛り返し、勝利にこぎつけたのである。この戦いで趙匡胤の名は大いに響き渡り、後に柴栄が国内の精鋭を選りすぐって禁軍を作るとき、最強の兵士たちを趙匡胤に与えた。
それからであった。後周の天下統一の戦いが始まったのは。柴栄の先南後北の方針は見事的中した。後周は豊かな南の地を手に入れ、経済力で他の国を圧倒した。その経済力で精鋭の禁軍を養い、後周は軍事力でも他国を圧倒した。柴栄が後に天才と称される所以である。柴栄は病により、志半ばで倒れたが、趙匡胤が宋を建国して柴栄の後を継いだ。柴栄が決して無茶な冒険はせずに確実に力をつけていったことで、宋は天下統一の戦いを常に優位に進め、趙匡胤も倒れた後、趙炅がここに完成させたのである。
「我らの念願がようやく成ったのだ。燕雲十六州など後でも構わぬ。何も欲張る必要はあるまい」
趙炅は心中で呟くと曹彬に撤退の命令を出した。曹彬は一時はちりぢりになった軍をまとめなおし、宋軍は帰還の途についたのであった。西暦九七九年、太平興国四年のことであった。後に言う「高梁河の戦い」である。この一件が意外なところで波紋を起こすとは、この時の彼らには想像できなかった。