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ラーメン食べている時の頭の中

作者: 高内優都

 いつもいつも、希死念慮を抱えている。

 不幸なわけでも、絶望するほどの何かがあったわけでもない。ただ昔から死にたかった。楽しいことがあった日は今この瞬間に世界が終われば幸せだと感じ、落ち込めば私なんぞは消えればいいと思う。私のいない世界はさぞ綺麗で、そして私がいなければ皆もっと幸せになるだろうと思うのだ。私がいない空間がきらきらと輝いて見え、自分の存在が罪だと感じるのはよくあることだった。

 しかし本当に死ぬほどの勇気と度胸はなく、ただひっそりと死を拗らせていた。


 嗚呼死にたい死にたいと、それを口に出さない分別はさすがについているから心の中で繰り返す。周りに拗らせてる人間だとも思われたくないからにこにこと笑って愚鈍に日々を過ごす。私は愚かで無害な人間です、と必死に過ごす日々は希死念慮を更に加速させた。

 こんな私が死んで悲しんでくれる人はいるのかしら。でも、私のことを好いてくれている人を悲しませるのは嫌だなぁとブレーキがかかってやっぱり死ねない。死ねない理由を探して見つけて死にたい気持ちと一緒に閉じ込める。何も考えずにただ死を選べたら楽なのかなと思うが、死んだ後のことを考えるとそれはそれで面倒になる。たぶんその面倒だという気持ちも大きなブレーキになっている。

 しかしたまにこうも考える。もし、自分の存在が、生きていた証が全て消えて、皆私のことを忘れて生きていけるのだとしたら、そしたらもうブレーキは無くなって、その時私はどうするのだろう。あっさり消えるのか、躊躇してしまうのか、そうなってみないと案外わからないものかもしれない。

 そして思うのは、一人だけ、ただ一人だけ、私のことを覚えていてくれないかなと、ひっそり思い出として心に抱えてくれないかなと。私のことを想ってくれている人なら誰でもいい。一人の心の中に生きた証として残るなら、それはもう大満足で、その為に消えるなら本望ではとすら思うのだ。


 でも現実ではそんなことはもちろん不可能で、だから私は今日も希死念慮を拗らせて生きている。

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