79 七日目の朝
山神様が認めてくれた私たちは夫婦の契りを交わし、御神酒を三つの杯で頂いた。ほんのり甘くて美味しい御神酒は杯に山神様の桜がひとひら滑り込んで浮いて、とても綺麗だった。
厳かに執り行われた式が終わり、宴になると山のものたちはやんややんやと盛り上がる。元々が花見のつもりでやってきていたものたちは飲めや歌えやの大騒ぎで、賑やかすぎて目が回りそうだ。梢枝さんに本当にお色直しで色打掛を着せてもらってあまりの忙しさに本当に目を回した。
山神様の傍で休ませてもらいながら、水希ちゃんや晴嵐さんが龍泉さんの話を山神様としているのを雨竜さんと一緒に聞いた。そうしている間にも、誰もがおめでとうと声をかけてくれる。私たちはお礼を返しながら龍泉さんの話に耳を傾けた。
「疲れたか、深琴」
うつらうつらして雨竜さんにもたれかかってしまったらしい。お祝いと一緒についでもらったお酒が回っているのかもしれない。並んで座っていた私は頭を振って目をしぱしぱと瞬かせた。
「ごめんなさい」
「良いさ。今夜は頑張ったからな。疲れただろう。少し眠ると良い」
雨竜さんが肩を貸してくれる。私は一度は断ったものの、数分後にはまた同じ状況になって笑われてしまった。
「宴がお開きになる頃にはお前を起こすから眠って良いぞ。僕はもう少し此処にいたい」
「はい……すみません……」
お兄さんの話を聞ける機会を奪うのは本意ではない。私は雨竜さんの言葉に甘えた。雨竜さんが私の肩を抱いてくれる。呼吸に合わせて微かに上下して、雨竜さんの体温と沢山着ているせいか夜の外でも寒くはない。
山神様の夜桜はとても綺麗で、宴を楽しむ山のものたちは顔が判るものは笑顔で、そうでなくても楽しそうに跳ね回っていて、不思議だけれども幸せな光景だと思った。
こんな風に誰かと寄り添うことがあるとは思わなかった。一時だけ見る春の夜の夢でも死の間際の幻でも構わない。幸せだと思う。幻想的で美しくて、楽しくて。全部、外にしかないものだと思っていた。私の行けない外にあるもので、永遠に手の届かないものだと思っていた。お話の中にしかなくて、私のためにはなくて。
夢なら覚めるとなくなってしまうだろうか。でも雨竜さんは起こすと言ってくれたし雨竜さんが嘘を言ったことはないから、安心して眠っても良いのかもしれない。何より温かい。この温かさを私はずっと求めていたような気がする。雨竜さんもそうだろうか。求めていた温もりが、私の温度で丁度良ければ嬉しい。熱すぎず、冷たすぎず、丁度良ければ。
「深琴、深琴、起きてごらん」
うとうとしていたつもりがいつの間にかすっかり眠っていたらしい。揺り起こされて私は目を開いた。その目に最初に飛び込んできたのが眩しさで思わず手をかざす。朝陽だ。此処へ来てから初めて見る、眩しい朝陽。
「……綺麗」
知らず、声がもれていた。ゆっくりと昇ってくる朝陽は世界を祝福しているようだ。段々と白んでいく空に、木々の緑がよく見えるようになっていく。山の上から見る世界は綺麗で、優しさに満ちている気がした。私が上手く生きられなかった世界。けれど違う環境でやり直す機会を与えてくれた世界。私を支えてくれて、私も支えたいと思う人がいる世界でなら、今度は違った生き方ができるだろうか。
「水の底に朝陽が差すようになるまでには時間がかかるからな。お前に見せたかった」
雨竜さんの私の肩を抱く手に力がこもる。私は雨竜さんにもたれかかったまま、はい、と答えた。綺麗です、と言えばそうだろうと返ってきた。
「此処から見る朝陽は僕のお気に入りなんだ。とても綺麗だから、お前もきっと気に入ると思った。皆は寝てしまったがな、僕たちだけでも堪能しないと勿体ないだろう」
雨竜さんが綺麗に笑う。嬉しそうで、雨竜さんがまた此処に来られて良かったと思う。私もつられるようにして笑えば雨竜さんは益々嬉しそうに笑った。
「花が咲くように笑うな、お前は。そんな風に笑えるなんて知らなかったぞ。もっとよく見せてくれ」
「え、あ、あの」
雨竜さんの顔が近づいてきて私は驚いて目を丸くする。雨竜さんの優しい黒い目に驚いた私が映っていた。目が離せなくて雨竜さんを見つめる。雨竜さんのもう片方の手が伸びて私の頬に触れた。温かい。壊れものでも扱うようにそっと触れてくれた指先の温かさに緊張が少し解けた。
「深琴」
雨竜さんが優しい声で私を呼ぶ。
「ありがとう。僕と在ることを選んでくれて。僕と在ることを望んでくれて。お前の願いを叶えるのが僕であるなら、お前が僕を信じてくれるなら、僕は神で在り続けられる。お前が望んでくれる限り、僕はお前と永遠に等しい時間を生きられる。
勿論この時間が兄夫婦から奪ったものであることは重々承知している。だから無為には過ごさず、神としての役割を果たしながら山のために、水希のために、そして何より深琴、お前のために生きていこう。
僕からも言わせてくれ、深琴。僕と、永遠を生きてくれ」
この身が尽きるその時まで。雨竜さんの音にしない言葉が聞こえた気がした。前から聞こえた気がしたその言葉は、以前は終わりを見据えたものだったけれど、今は違う。永い永い時間を、この人となら一緒に過ごせると思うから。
「はい。不束者ですが、どうぞ、末長くよろしくお願いいたします」
朝陽に照らされながら、私たちはお互いに咲った。




