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75 試したもの


「はいはーい、じーちゃん、全部見てたでしょ。オレ、もう充分だと思うよ。どれだけ試したってじーちゃんの望む結果にはならない。だって龍泉のおっさんの弟に、龍泉のおっさんの娘だよ。それにその二人が選んで認めた人の子。絶対じーちゃんの思い通りになんてならないでしょ」


 晴嵐さんが場違いなほど明るい声をあげて私たちと山神様がいるだろう場所の間に立った。軽やかに、風に乗るように。桜の花びらがふわりと舞い上がって晴嵐さんの手に収まる。夜の中に段々と山神様の姿が浮かび上がった。最初からずっと其処にいたのだろう。私たちが桜の影に隠れて見えなくなっていただけで。


「これが人の子の力」


 しわがれた声が言う。はぁ、と疲れた溜息を吐くような声だった。


常世(とこよ)にあっても(つが)う神を信じれば其処に生まれるのは信仰というわけか」


「神様ってば人の子のために存在してるようなものだからね。ただ自然に還るだけのオレたちとは違うんだよ。動物同士なら、尚更」


 晴嵐さんは優しい表情で答える。でも安心したでしょ、と笑って。


「雨竜のおっさんが水神に相応しくないって思ってるやつ、この山にはもういないよ。反対してるのはじーちゃんだけ。いや、ホントはじーちゃんだって反対なんてしてないんだ。深琴サンの言葉で気付いたよ。じーちゃんが試してたの、オレ、だよね?」


 え、と私は目を丸くした。慌てて水希ちゃんと雨竜さんの顔を見た私は二人もぽかんとしているのを知って自分だけじゃなかったと少し安心する。


「オレは風の精だからさ、行こうと思えば何処だって行けるんだよね。でも自分が行きたいところに全部顔を突っ込むなんて、そんなの長としては失格だ。線引きをして、山にとっての最善を選べるような長じゃないと山神には相応しくない。だってこれ、代替わりの宴、だもんね」


 晴嵐さんは苦笑した。


「オレたちが次に相応しいかを試したかったんでしょ。どうかな。じーちゃんが期待したようなものではないかもしれないけど、オレたち、次を担える? 許してくれるかな」


 私は固唾を飲んで答えを待った。水希ちゃんの腕に力がこもる。雨竜さんと繋いだ手を、知らないうちに固く握り直していた。


「お前たちは」


 山神様が口を開いた。


「わしにはないものを持っている。前へ進む力だ。永く此処に在るだけのわしにはないものだ。

 風が吹いて人を動かし、人の力で澱んだ水は流れ出す。流れ出した水は人を巻き込み大いなる力を生み出す。風の力だけでは水を動かすのは難しく、人がいなければ水は流れない。風も水もなければ人は生きられず、風が起こす細波(さざなみ)で水は進路を導かれる。お前たちはそう在るのだろう。単体では心許ないが、補い、支え、話し合いながら進んでいくのだろう。そういう姿が見えた」


 龍泉の子よ、と山神様が水希ちゃんを呼んだ。はい、と水希ちゃんは返事をする。私から離れ、背筋をしゃんと伸ばして。少しだけ指先が震えているのを見て、私はそっと手を伸ばして指先に触れた。水希ちゃんが驚いて私を見て、それから頷いた。


「お前はもう、良いのか。わしはお前のことが気がかりだった。お前が良いなら反対するものではない」


「ありがとうございます、山神様。わたくし、ずっと見守って頂いていたのですね。正直に言って判りません。この長く燻っていたものがどうなるのか予想もつきません。消えるのか、はたまた燃え広がるのか。それは叔父様と話してみないと判らないですし、すぐに結論が出るものかも判りません。でも、それを試さずに叔父様がいなくなるのを許したら、わたくし後悔すると思います。もう二度と話せない場所へ行ってしまった方と話したかったと思うのはもう、まっぴらですの。それは山神様、あなたとて同じです。代替わりということはそろそろお還りになるのでしょう。その前にわたくしと父様の話をしてくださいね」


 水希ちゃんは微笑む。息を零すような音がして、承知した、と山神様の了承が届く。笑ったのかもしれないと私は思う。


 雨神の子よ、と山神様は雨竜さんを呼んだ。はい、と雨竜さんも返事をする。私と繋いだ手はそのままに、視線だけ真っ直ぐに向けて。


「神殺しを望むなら人の子の手を借りずともわしが今すぐ送ってやるぞ」


 遠慮申し上げる、と雨竜さんは苦笑した。


「お前に龍泉の後が務まるとは思えんがな。山全体の総意ならわしも反対するものでもない。確かにお前はこの十八年、川を治めてみせた。山のものにも親切にした。評判はわしの耳にも届いている。本来ならお前などもっと重い刑を課してやりたいところだ。だがそれはわし個人の感情であり、山神として下せる審判ではない。お前を龍から堕とす。それが山神としてできたことだ。それ以上は私刑になる」


 雨竜さんは息を零した。微笑んだようにも見える。埋められない二人の間の溝を見つめて離れた距離に寂しさを覚えているような微笑だった。


「僕のことを赦す必要はない。僕はあなたに赦されたいと思うけれど、あなたが受け入れられないならそれを叶えなくたって良い。僕はそれだけのことをした。でもそうだな、水希とあなたが話す兄の姿を傍で聞くことだけ許してくれたら嬉しいとは思う。僕は此処で水神として在った兄のことをほとんど知らない」


 雨竜さんは目を伏せた。水希ちゃんと山神様の見てきたお兄さんの姿を聞きたいと言う雨竜さんの願いを、そのくらいなら、と山神様は渋々といった様子ではあったけれど受け入れてくれた。


 人の子よ、と間髪入れずに声をかけられ、私はやや間を置いてからはいと答えた。まさか話しかけられるとは思っていなくて一瞬頭が真っ白になる。


「お前に神殺しが務まるか」


 真っ直ぐに問われて私は言葉を詰まらせた。でも一拍置いて、はい、と答える。私も真っ直ぐに山神様を見つめ返す。何処を見て良いか判らないけれど、綺麗な薄紅の花びらに視線を向けた。


「それが雨竜さんの願いなら。雨竜さんが心から願うことなら、やってみせます。その時は私も一緒に逝きます。言葉の重みから、きっととても大変なことだと思うから、私も無事では済まないんでしょう。でも雨竜さんと一緒なら怖くありません。二人で辿る黄泉路はきっと、幸せでしょうから」


「奥様、嫌味に使うのはおやめくださいませ」


「深琴、お前をそんなことにはさせない」


 両側から水希ちゃんと雨竜さんに掴まれ責められ諭され、私は思わず笑ってしまった。水希ちゃんと雨竜さんは二人で顔を見合わせている。私が笑った理由が判らないのは自分だけではないことを確かめて、怪訝そうに二人して私を見た。私は二人に笑いかけると、山神様へ視線を戻す。それから深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。私の願いが発端で、私が上手く生きられなくて、全てが始まって狂ってしまった。謝って済むことじゃないのは重々承知しています。もう龍泉さんは戻ってこないし、水希ちゃんのお母さんだって戻ってはこない。折角助けて欲しいと願って叶ったのに、また此処へ戻ってきて今度は自分で命を投げ捨ててしまった。雨竜さんはそれも自分のせいだって言うけど、でも、やっぱり違うと思うんです。神様のおかげで助かった命でも、神様のせいでなくすことになる命なんてないと思います。私が上手に生きられなかったから、山神様も水希ちゃんも、雨竜さんのことも苦しめてしまった」


 どれだけ苦しくても辛くても、諦めてはいけなかったのだ。此処へ来て雨竜さんに会えたとしても。どれだけ好きだと思っても。私は人の世で頑張らなければならなかった。


「赦されるとは思っていません。けれど謝ることは許してください。ごめんなさい。申し訳ありませんでした」


 頭を下げる私に、山神様の疲れたような声がかけられた。




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