71 届けたい言葉
「ごめんなさい。水希ちゃん、ごめんなさい」
私は謝罪の言葉を口にする。意味のない言葉だと知りながら、それでも言わずにはいられない。こんなことを言ったって水希ちゃんの両親は帰ってこないし、時間は戻らない。私が抱えきれなくて赦して欲しいだけだ。でも赦さなくて良い。こんなこと、赦す方が難しい。それは私にだって解る。
「ずっとひとりで、抱えていたんですね。何とかしようとしてたのに、何とかなりそうだったのに、私がまた、引っ掻き回してしまって。それなのに水希ちゃん、私に良くしてくれた。凄いことだと、思います。やっぱり優しいとも、思います。私は優しい人を、傷つけて、ばかり。
昨日、私が川の向こうに落ちた時、助けてくれた。その時、水希ちゃんの声、聞こえたんです。雨竜さんの名前、呼んでました。此処に来て初めて、聞きました。水希ちゃんも、雨竜さんが、大切ですね」
水希ちゃんを抱きしめる腕に私はぎゅっと力を込める。これから言うことが少しでも届けば良いと思う。私にも雨竜さんみたいな深い声があれば良かったのに。雨竜さんの声ならきっと、すんなり入る。優しくて、包んでもらえるような、深い声。安心する声。
「雨竜さんも、水希ちゃんのこと、お風呂まで連れてきてくれました。ちゃんと水希ちゃんが大切だから、です。寒いのは苦手だって、聞きました。だから冷たい水に入った水希ちゃんのこと、温めなきゃ、って思ったんだと思います。私のせいで二人の関係がぎこちなくなったんだったら、ごめんなさい。でも、二人ともちゃんと、お互いを大切にしてるのは、分かります。だから、誤解したままなんて、勿体ない、です。
複雑な気持ちだろうって、思います。恨みに思う気持ちも、憎い気持ちも、きっとご両親が大切だから、忘れられない。忘れなくて良いです。でも今度からはそれ、私が引き受けます。私に、ください。それは雨竜さんのせいじゃなくて、私のせい、なんですから。私の代わりに雨竜さんは十八年もずっと水希ちゃんのその気持ちを受け止めてくれた、優しい神様です。ずっと肩代わりしてくれた。今度は水希ちゃん、私にぶつけてください。そして雨竜さんとは、どうか、家族として」
家族を知らない私が願うそれは、本当に家族の形をしているだろうか。判らない。でも。二人が家族なのは、間違いないと思うから。
「水希ちゃんに家族を二度も、失くしてほしくない。雨竜さんもそうです。家族を、失くしてほしくない。折角、二人とも、家族、なんですから。遅くなってごめんなさい。でもきっと、優しい二人なら大丈夫、です。もっと家族らしく、なれますよ」
私は水希ちゃんの頭を撫でた。雨竜さんがしてくれたように、優しく。水希ちゃんはしゃくりあげる。本当ですの、と途切れ途切れに確認する声が聞こえてきて、本当です、と私は返した。
「自信、あります。大丈夫ですよ」
「わたくしが叔父様にしてきた仕打ち、とても赦して頂けるようなものでは」
「雨竜さん、怒りそうですか?」
「判りません。叔父様、あまり怒りませんもの」
そうですね、と私は頷いた。水希ちゃんは私の胸に頭を預ける。私は息を零して水希ちゃんの頭を撫で続けた。
「もし怒るようなら、一緒に怒られましょう。でもきっと怒らないですよ。だって水希ちゃんのそれは、自分を大切にする怒り、だったんですから」
「……仰ってることがよく解りませんわ」
すん、と水希ちゃんは鼻を鳴らして笑った。私は苦笑する。説明が下手で、と言い訳すれば叔父様に説明してもらうから良いです、と言われてしまった。
「いつまでもこんなところにいても仕方ありませんわ。山神様が何を試したかったのか判りませんけれど、此処からは出なくては。叔父様のところへ行くつもりなのでしょう、奥様」
着物の袖で涙を拭った水希ちゃんはすっくと立ち上がるといつもの調子で私に尋ねた。はい、と答えてから私は水希ちゃんが尋ねた意味に思い当たる。
「一緒に行ってくれるんですか?」
はぁ、と水希ちゃんに息を吐かれてしまった。
「だってわたくしたち、家族、なのでしょう」
「……! はい、はい!」
「返事は一度で聞こえます」
水希ちゃんがさっと顔を背けてしまった。けれど私は嬉しくなって笑う。水希ちゃんはちらりと私の顔を見て驚いたように目を丸くする。何か変だっただろうかと思って私が不安そうな表情をすると、まぁ、と驚いた声をあげた。
「奥様、そうやって笑えるならそうすればよろしいのに。まさか叔父様よりわたくしが先にその笑顔を見てしまったなんてこと、ありませんわよね」
「え、あの、ど、どうでしょう。笑ってたなんて、それさえ判らなくて」
しどろもどろになって答えると水希ちゃんはまた、はぁと息を吐く。居た堪れなくなって私は肩を縮めた。
「仕方のない方。叔父様は奥様の笑顔を見たいときっと思ってらっしゃいますわよ」
「そ、そうでしょうか」
「当然でしょう。何たって、愛する方の笑顔ですわよ。奥様、あなたも叔父様の笑顔を見たいとお思いでしょう?」
「それ、は、そう、です、けど」
目を逸らす私に、信じられませんか、と水希ちゃんが尋ねた。私は一昨日に指摘されたことを思い出してハッとした。
──叔父様の言葉や態度よりも、ご自身の経験を信じていらっしゃるのでしょう。
「どうぞ自信をお持ちになって。叔父様は山に入ったあなたのことにすぐ気付きました。あなたが身を投げた時、抱き止めに行きました。あなたが目を覚ますかと随分と心配されていました。抱き止めた時に死なせてしまったのではと、いくら息がおありですと申し上げても不安に駆られるほど。
奥様、あなたも叔父様を愛していらっしゃるでしょう?」
「あ、あい」
愛している、だなんて大層な感情すぎて私には身に余る。向けるのも、向けられるのも。私が欲しかったもの。私が欲しがったもの。愛が何かも知らないのに。でももし、雨竜さんからもらった優しさが愛と呼ぶものなら、そして私も同じものを返したいと思った。もしもそれも、愛と呼んで良いなら。
「その、好きだとは、思い、ます」
烏水君にしたのと同じ返答を水希ちゃんにもした。はぁ、と水希ちゃんは何度目とも判らない息を吐く。
「まぁ、今はそれで結構です。急ぎましょう。此処から出なくては」
私は頷くと立ち上がって二人で部屋を出る。夢の残骸である、雨竜さんの実態のない亡骸を残して。




