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7 読み聞かせとうたた寝


「これでよし、と」


「ええっと……本当にこれで……?」


 雨竜さんの羽織に包まれて私は目を白黒させた。羽織は暖かいけれど私はすっぽりと、羽織だけでなく彼の腕の中にいた。足の間に入って、なるべく小さくなる。背中から熱を感じて心臓が跳ねた。


「お前は(ぬく)い。僕も温かい。本も読みやすい。一石二鳥どころか三鳥だと思うがな」


 耳元で雨竜さんの深い声がした。顔が見えないからいつ話し始めるか分からなくて私は身を縮める。座布団も火鉢と一緒に持ってきたからお尻の下は座布団がある。温かな熱に包まれてひんやりとした部屋でも寒さは感じない。火鉢のおかげでもあるとは思うのだけど。


「他に気になることはあるか? なければ早速読むぞ」


 あるけどあると言えなくて、というか言ってはみたものの大したことではないとばかりになったからそれ以上は言えなくて、私は口を噤んだ。それを了承と取ったらしい雨竜さんは本を開く。筆文字が縦に並ぶ、まさに古文だった。


 雨竜さんの声は深くて、心地良い。そして読み聞かせがあまり上手じゃないと言ったのはどうやら本当で、語り口のせいなのか、それとも文体のせいなのか、私は淡々としたそれを聞いていると段々と瞼が重たくなるのを感じていた。読んでもらっているのはかぐや姫のようだけど、文体が竹取物語だから学校の授業を思い出した。一般的なかぐや姫なら短いのに、竹取物語は長い。とにかく長い。姫に求婚してきたのは帝だけではないし、姫はその求婚を退けるために無理難題を求婚者たちに出す。求婚者たちは果てには命を落としながらもそれらを求め、そして結局は誰も姫とは結ばれない。


 そういえば、とうつらうつらしながら私は思う。昔話は、人と人でないものとが結婚するものも多い。鶴や雪女などが奥さんになり、その正体を知ってしまうと男の元から去ってしまうのが典型的だ。天女は羽衣を残して帰り、蛇の娘は愛した男を焼き殺した。神様と結婚する場合はどうなのだろう。海外のお伽噺には恋多き神様に見初められた人間が不幸になるお話が溢れているけれど、日本では、此処では。


 水希ちゃんは私を不安定な存在だと言った。人の世に戻るには進みすぎて、かといって死者の世界に進むにはまだ生きている。神様の花嫁なんて、それは昔々なら生贄と呼ばれた儀式だったのだろう。大抵は生贄以外の命に恩恵を願って。人ひとりの命でどれだけ願いは叶えられるのだろうか。神様はそんなに、人の願いを叶えてくれる存在だろうか。


 人の世界になんて戻れなくて良い。二十八年、頑張ってみたけど人と上手くいったことなどなく、これを後何十年も続けるかと思うと気が滅入った。家族は壊れ、二度と元には戻らない。仕事も壊れ、何ひとつとして手元には残らなかった。圧倒的に人の世で生きるには向いていない私が、更に頑張ることはできそうになかった。


 ぐ、と力を込められて意識が覚醒した。夢現(ゆめうつつ)を彷徨っていたみたいだ。うつらうつらしていた自覚はあるけれど、寝入り端のような感覚を覚えるなんて読んでもらっておきながら流石に失礼すぎると思う。自分の血の気が引く音がする。青ざめてしまっていないだろうか。それを後ろから見ている彼に、気づかれてはいないだろうか。


 左肩が重くなって心臓が跳ねた気がした。恐る恐る視線を向ければ色素の薄い髪が視界に入る。細い髪はしなやかで、さらりと音を立てそうだ。滑らかな肌が目の前にあって息を呑んでしまった。髪と同じ色をした長い睫毛が伏せられている。すぅ、と聞こえる呼吸は、寝息……?


 え、寝てる……?


 人の肩に頭を置いて、まるでぬいぐるみでも抱えるように私を抱き枕にして雨竜さんは寝ているようだった。本のページを捲っていたはずの手はいつの間にか回されていて身動きが取れない。


 私はこんなに近くで誰かの寝顔を見たことがないし、寝息を聞いたこともない。抱き枕にされたことだって勿論ないからどうすれば良いか分からなくて固まった。触れている背中が温かい。首に寝息がかかって少しくすぐったかった。


 どのくらい経っただろう。私は固まったまま、雨竜さんの寝息と時折外から聞こえる空気の音に耳を澄ませていた。掃除をする水希ちゃんが近くまで来たら助けを求めようかと思ったり、でもこんなところを見られるのはどうなんだと思ったり、けど何も言わないのも変じゃないかと思ったり、内心は結構忙しかった。


 そのうちに火鉢の火も翳り、冷えが床を這うようになった。足先が冷たくなってくる。雨竜さんも冷えてしまうのではないかと思って声をかけようかと悩んでいるうちに、ぶる、と雨竜さんが小さく震えて目を開けた。その動きで起こった風が届いたかのように行燈の灯りがゆらりと揺れる。


「あ、ご、ごめんなさい。寒くないですか?」


 まだ目が完全には覚めてないのか雨竜さんの目は焦点が合わない。でも声をかければ、ああ、と綺麗に微笑む。私はその微笑みを本の中で見たことがある。あるいは家の近所にあった教会の聖母の像で。


(ぬく)いな。人とはかくも温いものか」


「う、あ」


 更にぎゅっと腕に力を込められて私は息が詰まった。物理的にも、気持ち的にも。暖を取ろうとするように足が絡まってきて私は身を捩る。回された腕から僅かに逃れようとすれば首筋に雨竜さんの顔が近づいた。


「う、うりゅ、さ」


「……深琴?」


 は、としたような声がして雨竜さんの意識が覚醒していくのが分かる。息を呑む音がして、そっと、恐る恐るといった様子で熱が離れていった。離れた熱が少し惜しく感じるのはきっと、寒いせいだ。


「すまない、寝惚けていた。冬はいかんな。眠くなる」


 目を伏せて申し訳なさそうに項垂れる雨竜さんに、いいえ、とたったそれだけの単語さえつっかえながら私は返した。本を読んでもらいながらうたた寝したのは私ですし、と俯いて言えばくすりと困ったように笑われる。


「お前が気を遣う必要はないぞ、深琴」


 深くて優しい声に呼んでもらって、私は思わず顔を上げた。優しい眼差しが相変わらず向けられていて、何だか泣きそうになる。優しさは怖かった。いずれなくなるものなら、知りたくなんてないのに。


 そう思いながら突っぱねることができない私は、自分の浅ましさに内心で息を吐いた。



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