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38 沁み入るもの


「深琴」


 深い声が呼びかけてくる。水の底から聞こえるような、深い声。


「深琴」


「うりゅ、さ……」


 自分の声で目が覚めた。頬が温かい。どうやら今夜も夢を見て泣いたようだ。雨竜さんがまた起こしてくれたらしい。此処へ来てからずっとだから、そろそろ人間は毎晩寝ながら泣くものであると思われてしまいそうな気がした。


「ご、ごめんなさい」


「謝る必要はないさ。どうした、また夢を見たのか」


 相変わらず優しい声が目の前の暗闇からした。目が少し慣れてくれば、ぼんやりと雨竜さんらしい塊が見える。はい、と見えないからなのか私は素直に答えた。


「嫌な夢だったのか?」


「嫌な夢……?」


 質問に質問で返してしまったことに言ってから気づいた。でも雨竜さんの優しい指がそっと触れた頬の涙を拭ってくれる。気を悪くしていないのはそれで判る気がした。人の気持ちも考えていることも察するのが苦手なのに、雨竜さんの優しさは判る気がして少し嬉しくなった。そうだったら良いのになんて思う自分が信じられない。


「泣くほど嫌な夢ではないのか?」


「そう、ですね。こわい夢、でした」


 まだ喉に手の感触が残っている気がする。リアルな夢だった。でも毎晩見ている夢だ。毎晩誰かが、私を殺そうとしてくる。もうとっくに死んでしまったのに。それでも死ぬかもしれないと思うのは、こわい、のだ。


「深琴?」


 怪訝そうに雨竜さんが私を呼ぶ。はい、と私は返した。雨竜さんは不思議そうな声で続けた。


「こわいと言う割に笑っているぞ」


「え」


 私は驚いて雨竜さんの手から離れようとした。私の頬が上がったのだろう。それを触っていた雨竜さんは指先に感じて不思議に思ったのだ。私だって判らない。こわいと思いながら笑うなんて。あぁ、いや、本当はある。でもそうと認めたくなくて、知られたくなくて、咄嗟に距離を取ろうとした。


「待て待て」


 雨竜さんの手が追いかけてくる。頬から離れない手に焦りと同時に安堵を感じて私は自分が解らなくなった。


「あ、う」


 何と言って良いか判らなくて、でも何か言わなくてはと思って声を出してみたものの、まとまっていない言葉はただの呻き声と変わらない。こんなことなら何も言わなければ良かった。


「深琴、そんなに怯えるな。何もしない」


「そんなつもり、じゃ」


 雨竜さんに怯えたわけじゃない、と思う。それともこれは雨竜さんに怯えたのだろうか。知られたくないと思ったのは、知られることで何かを怖がったからで。


「すまない、僕もそういうつもりではなかったんだが。大丈夫だ。此処は夢とは違う。何もこわいことなどないぞ」


 す、と優しく頬を撫でられて、たったそれだけで私はひとつ体を震わせて落ち着きを取り戻していく。雨竜さんが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろうと思った。根拠なんてないけれど、雨竜さんの深い声でゆったり話してもらうととても安心する。


「私」


「うん?」


「笑うようにして、過ごして、ました。誰とも上手くやっていけなくて、でも、笑ってたら少し、優しい時が、あって。どうしたら良いか判らないから、こわい時も笑うように、して」


 博打を毎日打っているのと同じだった。たったひとつの上手くいったような気がする方法に(すが)って、他の方法など試す余裕もなくて。馬鹿のひとつ覚えみたいにどんな時もその方法を選択し続ける私は周りにどう見えただろう。


 だからこわくても笑うのは癖だった。愛想笑いにもならなくても、へら、と笑ってさえいれば相手によってはそれ以上怒らない。嫌味を投げつけられることはあっても、気づかないフリをすれば傷つかずにいられる気がした。鈍麻させて、麻痺させていれば、日々を過ごせると思ったのだ。その結果、その場所にはいられなくなったのだけど、それ以外を知らないから。


 それはついぞ上手くいかなかったから、同じ方法しか選べない私を知られたくなかった。


「こわい時ほど笑うのは、武者、というものだと聞いたことがあるぞ」


「え。そ、それは、ちょっと違う、と、思います……」


 そんな格好の良いものではないと思って慌てて否定する私に雨竜さんは何を言う、と驚いた声をあげた。


「さながら戦場(いくさば)に向かう武者なのだろうな、お前の心持ちは。他者との交わりは本来恐ろしいものだから、それは自然なことだ」


 立ち向かっていたのだろう、と雨竜さんが優しい声で続ける。いつもの優しい目を思い出して息が詰まった。油断すると涙が出そうなくらい優しい声だった。


「逃げたこともあっただろうさ。それでも立ち向かっていったことも、あったのだろう。その姿は武者のそれと相違ないと僕は思うぞ」


 まぁ当世には武者など最早いないのだろうが、と雨竜さんは苦笑する。雨竜さんの優しい指がまた私の頬と目元を撫でた。見えなくても指先に触れれば判るものだから、そっと掬い取ってくれるその動作を私も知る。


「……頑張ったんだなぁ」


「……っ」


 しみじみと、かけられた言葉は労いだった。それは私の奥に沁み込んでいって、痛みを伴いながら優しく撫でてくれる。初めての体験だった。私はどうして良いか判らず、ただ嗚咽を抑えるのに必死になるしかない。そんなことをしたって雨竜さんには全部バレているのだけど。


「な、ど、どうした、深琴」


 それでも雨竜さんは慌てるから、私は小さくかぶりを振って今度は意識して頬を上げたのだった。



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