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19 晴嵐


「こーんばーんはー」


 玄関先から声が聞こえた気がして私はハッとして雨竜さんを揺り起こした。


「雨竜さん、雨竜さん、お客様ですよ」


 んん、と雨竜さんは小さく声をあげたけれど起きる気配がない。その間にもおーいと玄関先で声をかけてくる声がある。私は玄関の方と雨竜さんの顔とを交互におろおろと見たけれど、まずは出迎えないとと思ってそそくさと立ち上がって玄関へ向かった。


「あ、あの、ごめんなさい、お待たせしました」


「あれ、あんた誰?」


 高校生くらいに見える少年が玄関先には立っていた。梢枝さんに似た雰囲気の美人な男の子だ。大きな風呂敷を背負い、両手にも同じくらいの風呂敷包みを持っている。艶やかな黒髪は少し長くて前髪を斜めに流している。切長の紅葉色の目が私を訝しむように見て、細められた。


「あ、あの、深琴といいます」


「あぁ、あんたが」


「僕の嫁だ、晴嵐」


 後ろから雨竜さんの声がして私は振り返った。まだ少し眠そうにしながら、袖手をした雨竜さんが立っている。なぁんだ、と晴嵐と呼ばれた少年が声をあげるから私はまた振り返った。


「姉さんが言ってたの、ホントだったんだ」


「疑ってたのか?」


「そりゃ信じられないでしょ。雨竜のおっさんが結婚したとか」


 少年は笑う。それから私をじっと見るから私は何処に視線を向けて良いか分からず挙動不審になった。あの、と思わず組んだ指先を絡めてもじもじしてしまう。


「見過ぎだ、晴嵐」


「え、ごめん。雨竜のおっさんが結婚するってどんな子か興味あって」


 晴嵐と呼ばれた少年は雨竜さんに向かって笑うとまた私に視線を戻した。


「人の子なんだ」


「……もう良いだろう。それより荷物を運んでくれたんだろう、見せてくれ」


「あー、はいはい。これ、三つとも全部そう」


 これは下着類だからあんたに、と晴嵐というらしい少年が私に風呂敷をひとつ渡してくれる。受け取って私はお礼を言った。


「ねぇちょっと上がらせてもらって良い? 見てもらうなら広げた方が良いだろうし」


「あぁ、それもそうだな」


 雨竜さんはくるりと背を向けて廊下を行く。お邪魔しまーすと言いながら少年は下駄を脱いで上がり、その後ろをついていった。私はどうして良いか分からず、ひとまず下着類だというものを持ちながらついていくのもどうかと思って自分が寝ていた部屋へ持っていく。


 梢枝さんが何度も晴嵐に持っていかせますと言っていたし雨竜さんも呼んでいたから彼がきっと晴嵐さんなのだろう。話の流れから類推するに、梢枝さんの弟にあたるようだ。お店のお手伝いをしていて、荷物を届ける配達担当みたいなものなんだろう。


 風呂敷はきっとお店の物だ。中身は出して返した方が良いかもしれない。私は自分が寝ていた布団の枕元で風呂敷を広げて中身を出した。これが肌着、足袋、と梢枝さんに教えてもらったものがお店で用意された数だけ入っている。


 風呂敷の皺を伸ばして丁寧にたたみ、私はそれを返すために廊下に出た。二人が何処へ行ったか分からないけれど取り敢えず居間にあたる座敷にいるんじゃないかと見当をつけて向かう。けれど座敷は空だった。雨竜さんが脱ぎ捨てていったと思しき布団が捲れたまま放置されている。それもたたんで私は廊下に出ると左右を見回した。


 客間にあたる部屋はあっただろうかと思って私は今朝案内してもらった記憶を辿った。差し当たって自分に関係しそうなところしか覚えなかったからどんな部屋があったか分からない。まぁ用事が済めば玄関に戻ってくるだろうから、最悪そこでお見送りも兼ねて風呂敷を返せば良いかと思い直して声が聞こえる場所がないかと思って歩き始めた。


 二階はないけれど広いお屋敷は作りも似ていてまだ慣れていない私には自分が何処を見て何処を見ていないのか把握するのが難しい。かといって廊下に目印になるような置物があるわけでも、襖の柄が違うわけでもない。まさか家の中で迷子になるんじゃないかと思って私は不安な思いを抱いた。


 幸いにも話し声が聞こえてきてそちらへ足を向けた。晴嵐さんの声と思われる楽しそうな笑い声が聞こえる。近づいた私は襖が少し開いていることに気づいた。声がよく聞こえる。


「で、これが雨竜のおっさんの。久々だね、自分の分を仕立てるなんて。人の子が選んだって姉さんに聞いたけど?」


「そうだな」


「随分と入れ込んでるじゃん。でも向こうは覚えてないんでしょ」


「想定してたさ。別に構わんよ」


 ……覚えてない?


 私は近づいていた足を止め、いけないと思いながら聞き耳を立てた。その話題は文脈的にきっと私のことだ。


「ふーん。ま、良いけど。オレが来るのを許可したってことは、じーちゃんに報告行くのも想定済みだよね。良いの?」


「小言のひとつやふたつは覚悟しているよ。聞きはしないがな」


「あ、やんちゃな頃の顔」


 くす、と晴嵐さんが笑う。あのさ、と落とした声がして私は一層聞き耳を立てた。足が床板にくっついてしまったかのように動けない。


「あんた“隠し”てるよね?」


 雨竜さんは答えない。しばし無言が続いて、晴嵐さんが言葉を続けた。


「オレは別に良いけどさ、山に人が入ってる。あんたも気づいてないわけないと思うけど。戻すにしても出すにしても、まぁ、三日から五日ってところでしょ。オレが言えるのそれくらい。後はあんたたちの問題だし。姉さんは喜んでたけど実際どうなの? 生きる気あるの?」


 え、と私は聞こえてきた言葉に瞠目した。どうしてそんなことを確認するように彼は訊くのだろう。そして雨竜さんはどう答えるのだろう。でも雨竜さんの声は聞こえない。まだ無言を貫いているのだろうか。


「……何でも良いけど。あんたはあの時のことがどうあれ今は水神なわけだし、あんたの結論にあのおひいさんも従うでしょ。オレは良いと思うよ。あんたが生きたいって願っても。罰は十分に受けたし罪も償った。オレ、あんたのこと結構気に入ってるんだよね。食べても良いんじゃないの、人の子」


 食べ──。


 私は聞こえてきた言葉に思わず後ずさった。そろり、と一歩ずつ部屋から遠ざかる。


「罪咎が消えることはない。僕は定められたままを受け入れるさ」


 雨竜さんの穏やかな、けれど決意を固めた声がした。晴嵐さんがそれに何か返すけど、少しずつ部屋から離れた私の耳にはもう言葉としては聞こえてこない。心臓がどくどくいう音が大きくて、耳の中で鳴っているみたいだ。


 食べられても構わないと思っていたけど、でも、どうしてだろう。いざそう聞くと体が竦んだ。怖いと思ってしまった。もう死んだのに私はまだ、生きたいと願うのだろうか。この心臓の音だって本当かどうか判らないのに。それなのに。


 私は逃げるように、その場を後にした。



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