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17 団子屋に向かって


「では夕に晴嵐を向かわせます。それまでにはお戻りになっていてくださいね」


「ああ、ありがとう。ではな」


「またのお越しをお待ちしております」


 お店の軒先で深々と頭を下げる梢枝さんに私も小さく会釈をした。左耳の上につけてもらった花結びの飾り紐が揺れる。紐の房が視界に入るとくすぐったい思いがした。


「深琴」


 雨竜さんが当たり前のように手を出してくれるから、少し躊躇ってその手を取った。嬉しそうに息を零す雨竜さんの笑顔が可愛い。


 蛇のように流れる細いポニーテールを結ぶのは、私の髪飾りと同じ紐で作られた髪紐だ。あの後、梢枝さんに奥様もお選びくださいと促されてたっぷり十五分は迷って選んだ。雨竜さんはすぐにその紐で髪を括り直し、満足そうに笑った。色素の薄い髪に桜色の紐はとても綺麗で似合う。


「足は痛くないか?」


「大丈夫です。雨竜さんがゆっくり歩いてくれるので」


「お前を抱えて歩けるような体躯を持っていれば良かったんだがなぁ」


「抱えるってそれは、ちょっと……恥ずかしい、です」


 それに筋骨隆々の雨竜さんはちょっと想像できない。中性的で線の細い綺麗な人だから尚更だ。はは、と雨竜さんは笑った。優しい目が私を見る。その目を見ると思わず唇が弧を描く気がした。まだじっとは見られなくて視線を逸らしてしまうこともあるけど、でも嫌な感じのしない眼差しは穏やかで、温かい。


「水希に団子を買ってってやろうと思ってな。この通りの四つ辻を二つ行った角にある団子屋をあれは気に入っているんだ。其処の団子を買って、今日は帰ろう。付き合ってくれるか?」


「はい」


 頷く私に雨竜さんも頷いた。繋いだ手が握り直されて心臓が跳ねる。雨竜さんには何でもないことかもしれないけど、思えば異性と手を繋いだのだって学校行事で仕方なく繋いだ以来で、何だか急に凄く恥ずかしくなった。ちゃんとその、夫婦に見えるのだろうか。恋人だっていたことはないのに。


 雨竜さんの優しさはどういう類のものだろう、とは思う。夫婦らしくあろうと形から入ったものか、それとも願いの聞き届け方を間違えたと思うからか。形式的なものにしては目に浮かぶ優しさは本物に感じられてくすぐったい。願いの聞き届け方を間違えたことによる、罪悪感や罪滅ぼしの方が有り得る気がする。そして水希ちゃんが言っていたようにきっと、私の最後の願いが叶うことに意味がある。人の願いを叶えてこそ神様が神様として在れるなら。


 きっと私が本当には雨竜さんと夫婦にならなくても恋さえすれば事足りるのだ。祝言をあげる前に私が雨竜さんに恋をすれば。


 ──どうか僕と、最後の恋をしてほしい。


 神様が願ったそれを叶えるのは誰なのだろう。今回はきっと私だ。だから水希ちゃんも梢枝さんも、雨竜さんが生きられるようにと私に言うのだ。それを叶えられるのが今のところは私だけ、なのだろう。


 私に特別な力はない。得意なことだって、自信のあるものだって、何もない。でももしも、私が恋をできるように雨竜さんが優しくしてくれているのなら。それに報いることだけが、私にできることなのではないか。


 もう死んでしまった命に、捨ててしまった躰。それらはもう雨竜さんのものだと水希ちゃんは言った。私があげられるものはもう、心くらいしか残っていないのだろうから。


 無言で歩き続けていたら、見えてきたぞ、と雨竜さんが道の角のお店を指差した。それに意識を戻して私は視線を上げる。軒先に細長いベンチを出して外でお団子が食べられるスペースが設けてある。ベンチには毛氈(もうせん)がかかっていて、時代劇で見たような大きな和傘がビーチパラソルよろしく出ているから更に赤い陰を落としていた。団子ののぼりが緩やかな風にはたはたと揺れてお店をアピールしている。


「……並んでますね」


「なにぶん人気でな」


 長蛇の列ができていて私は面食らった。長いけれどお持ち帰りが目当てのお客さんが多いようだから捌けるのは早い。私たちもその列に並んで順番が来るのを待った。


「再三で悪いがな、足は痛くないか?」


 立ち止まったのを機に雨竜さんが気遣わしげに訊いてくれる。大丈夫です、と私は答えた。こんなに心配してもらえたことがないからむず痒い感覚を覚えてしまう。これはきっと、ありがたい、というものなのだろうと思うけれど。


「難しい顔をして考えているようだったから躊躇ったが、足が痛いなら遠慮なく言うんだぞ。抱えられなくてもおぶるくらいならできるから」


「そ、そんなことさせられません。本当に、大丈夫、ですから。ありがとうございます」


 水希ちゃんが見繕ってくれたものは足袋さえ生地がしっかりしていて鼻緒が擦れて痛くなるのも防げているのかもしれない。それに本当に、雨竜さんはゆっくり歩いてくれる。のんびり散歩でもしているみたいに私に合わせてくれるから、道行く人にはどんどんと抜かされた。それでも嫌な顔ひとつせず、気遣ってさえくれる。


 誰かを好きになったことさえない私が、恋なんてできるのかも判らない。でももし、この心をあげられる存在があるとするならそれが、雨竜さんであれば良いのに、とは少し思った。


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